手塚治虫『火の鳥』の中の1エピソードが、不意に頭によぎって、
殺人とは、一体全体何なのだろう、と考え込んでしまった。
殺人のどの部分が罪で、それはなぜ、他の生物を殺すこと、
例えば蚊を叩いて殺すことと、区別されているのだろうか、と。

誤読を防ぐためにあらかじめ言っておくと、
何も殺人を許容しようとしているわけではない。
刑法その他の法律に疑問を呈しているわけでもない。
ただ、それはなぜ、禁忌とされているんだろう、
他の生物と人間とを区別しているのはなぜなのだろう、と思った。


その『火の鳥』のエピソードとは、こうだ。
食糧不足や種の絶滅などの問題を解決するために
各国でクローン技術が研究されていたが、完全なクローンは生み出せていなかった。
ただ、ペルーの奥地、インカ帝国の末裔と呼ばれる人々が取り組んでいた研究だけは、
完全なクローンを作り出すことに成功していた。
日本人の実業家が、その技術を買うべく出掛けるのだが、無碍に断られ、
挙げ句の果てに、火の鳥の化身の手によって、自らがクローンになってしまう。

数年後、日本では、クローンを狩る番組がTVで放送されるようになり、
大きな話題を呼んでいた。
そのTV局の社長の言い分は、
『目が一つ無いとか、指が2本多いとか、人間と違う特徴があれば良いんだ、
人間じゃないのなら、殺人にはならないよ』
まさに詭弁ではあるが、反論もなかなか難しい。


そう考えると、『人を殺すことは罪』…小さな刑罰を割愛して極端に言うと、
『人を殺すことのみが罪』とする人間の倫理観は、
嫌悪感や種の危機感以外に、
何の理由もない、意外と自分勝手な考え方なんじゃないか、と思ったのだ。

隣人を愛せよ、はイエス・キリストの言葉だが、
キリスト教は、主に人間の平等を説いている。
でも、仏教では、すべての生命の平等を説くこともある。
人間だけが生きているわけではないし、死ねばミジンコも人と同じなのだ。
宗教を持ち出すとややこしくなるが、
つまりは、蚊を殺すことさえも、本来は罪であるべきことで、
殺人が悪いこととされるのは、純粋には、
それが罪であるからではないような気がする。


ふと思って、5分程度巡らしただけなので、
何の論拠も、むしろ何の結論もないのだけれども、
そんなことを感じた。