ややこしい問題。
問題6 残るか辞めるか‥‥人と一緒は嫌だ、とは言え、 常に少数派になりたいということと同義ではない。 そうではなくて、自分で判断したい、ということなのだけど、 こういう問題は本当に難しいと思う。 自分一人の未来だけでも見通せないのに、 会社が今後どうなっていくか、何て事までは、正直わかるはずもない。 きっと、責任のある人にさえ、わからないんじゃないだろうか。 とにかく、覚悟は決めておく方が良さそうである。
問題6 残るか辞めるか‥‥人と一緒は嫌だ、とは言え、 常に少数派になりたいということと同義ではない。 そうではなくて、自分で判断したい、ということなのだけど、 こういう問題は本当に難しいと思う。 自分一人の未来だけでも見通せないのに、 会社が今後どうなっていくか、何て事までは、正直わかるはずもない。 きっと、責任のある人にさえ、わからないんじゃないだろうか。 とにかく、覚悟は決めておく方が良さそうである。
ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)で連載されていた、 『Say Hello! あのこによろしく。』 母犬と、3匹の子犬の、 生まれて、育って、巣立つまでを、 愛に満ちた写真で綴ったストーリー。 本にもなったので知ってる人も多いかもしれません。 昨日、ODEONに髪を切りに行ったら、 雑誌に紛れてこの本が置いてあって、 待ってる間に何と無しに手を取って読んでたら、 髪を切る間の本にピックアップしてくれていて、 久々に通して読みました。 微笑ましいやら… 愛おしいやら… つい、無口に。 でも、最後の最後の言葉、 糸井さんの言葉かな、 それを読んだとき、思わず泣きそうになりました。 (正直に言うと、これを書いてる今でも、目頭が熱くなります) 髪を切ってもらっていて、 雰囲気的には何の脈絡もなく涙を流すわけには行かなかったので、 ぐっとこらえましたが、 声に出せない、想いは、確かにそこに。 今日、本屋で探してこようと思います。 あのこに、よろしく。
僕もいつも思っていて、気をつけ、また危機感を持っていることと同じことを、 『ダーリン』がほぼ日で言っていた。
今日のような、つまり「8月15日終戦記念日」のような、 特別な日には、この『今日のダーリン』を書くのが難しい。 「思うことを書く」のではなく、 「書くために思う」なんてことをしそうになるからだ。 自分のこころで思っていることが探り当てられないで、 どこかで仕入れたような、 先生にほめられそうなことを書いてしまう。 そういうことが、いちばん起こりやすいのが 8月15日のような特別の日なのだと思う。そうなのだ。ものすごく難しい。 きちんと、書き表せてるように見えてしまうが、 自分ではかけ離れているという印象も同時に持つ。 僕の場合で言えば、 多くの人の意見で、既に決まっているというようなこと、 例えば『戦争はいけないことだ』というようなことを前にして、 何かを書かなければ、と思う、そこで、書くことを考えてしまう、 すると、書くことを思うと、道筋が二つしかないように見えてしまう、 戦争はいけない、と書くか、そうでもない、と書くか、 要するに世論を肯定するか、否定するか、どちらかに自分を同化させてしまう。 自分は自分の思いがあって成り立つはずなのに、 世論なしでは、自分の思いが成り立たなくなってしまう、 それはきっと僕ではないし、書く言葉に対しても責任を感じられない。 結局ね、 上手くいえないんだよ。 もう最初から、絶対的に自由じゃない。 思うことを手のひらの上に乗せて、 回しながら書いていくことが『書くこと』だと思うのだけど、 今日みたいな日のことは、手に乗りきらないんだよ。 これが例えば、アメリカ同時多発テロのことならまだ書ける。 でもそれって、あまりに他人事だからね。 アメリカ人が、原爆を平気で肯定しちゃうのも、あまりに他人事だから。 人を殺すための『必要』なんてあるわけがない。 昔はそれでも、無理矢理、感想を書いてしまうこともあったんだ。 俺はこう思う、みたいな、ね。 でも、世の中はそんなに簡単には切り取れないよ。 だから、最近は、書けないことを感じることが出来るようになったと思う。 それを書ききるには、時間と知識と、覚悟が必要なんだ。
紹介するの忘れてました! デザイナー佐藤可士和さんと、糸井重里さんの会話が またデタラメに面白いです。 なんつーかね、ロジックは一通りじゃないな、ということを実感できる間です。 それぞれがやったり考えたりしている、具体的なことじゃなくて、 そこにいたる間、というか、空気というか。 興味のある方は是非。 今日の佐藤さんの発言で一番印象的だったのは、 もしかしたら、 ただ驚きたいだけなのかもしれませんし。 うん、そうかもしれない。 ほぼ日刊イトイ新聞 – デザイン論!