アウトプットは重要、それが誰かのインプットにならなくても
サイバーエージェント社長、藤田晋さんのインタビュー。
そうだよなぁと思います。 「インプットしたつもりのこと」が自分の中にどうインプットされているかを確認することがアウトプットで、 それを繰り返すことで「インプットしたつもりのこと」がきちんとした形で「インプット」になるのだと思うのですよね。 読んで即座に身になればいいけど、殆どの人はそんなに優秀ではないと思うから… アウトプットの仕方は人によって違って、文章に書く人もいれば、人に喋る人もいますけど、 何はともあれ自分の中での落ち着きどころがないと、アウトプット出来ません。 んで、さらに言うと、これを目的にアウトプットをするのであれば、 それが誰かのインプットになる必要すらないと思うのですよね。 「どうせ誰も読まない」のをアウトプットしない理由にしている人がいますけど、 仮に誰かが読んだところで、自分の理解には別に関係ないわけで。 僕はたまたまブログという公共領域を持っていて、そこで駄文を垂れ流してますけど、 これが例えば僕しか見ないB5ノートであっても、自分のためのアウトプットとしては同じ。 大事なのは咀嚼することなので… …あ、それで思い出したけど、読んで読書感想文を書くつもりで書けてない本が何冊も… ポストイット挟んであるんだけど、アウトプットにまとまらないんだよね。 きっとまだきちんと心に落ちるまでは理解できてないと言うことなんだろうなぁ。本は、次々に読めばいいというものではありません。読んだ感想を自分の言葉でまとめたり、ブログなどに長い文章で書いたりしないと自分のものにはなりません。それは面倒で大変なことだし、アウトプットに対しても責任を持たねばなりません。けれど、それをやることで初めて本が自分の中で消化されるのです。例えば、本を読んでTwitterで「読了」とか、単に「面白かった」とだけ述べている人がいますが、そんなのは簡単ですよね。簡単なことをやっていても何も身には付きません。1冊の本を読み、きちんとしたアウトプットをすることで、得たものは何倍にもなります。
わが座右の書:「経営にバイブルなんてない」 サイバーエージェント・藤田社長 (1/2) – ITmedia ニュース
何かちょっとした文章を書くときに、
自然と「4段落で落ち着けよう」とする癖があるみたいです。
別に「起承転結」を狙ってるというわけではないのですけど、
思いついて書き出して、補足説明をして、最後の1段落で結ぶという感じ。
間の2段落が「承」「転」になっているかどうかは場合に依りますが。
文章ってのは長く長く書くのは意外に難しくなくて、
特にエッセイみたいな文章だと、
自分が書いた文章の補足説明で延々と書き続けることが出来ます。
大枠から書き始めて徐々に微細な描写を行っていく、
マトリョーシカとか、フラクタルみたいなイメージ。
文章を書く人間としては行数で満足感が得られることはあるんですけど、
読んで解りやすいかどうかって言うとねぇ。それはまぁ期待できない。
丁寧に細かく書いた文章よりかは、多少不正確でもざっくり明確に書いた方がわかりやすい。
誤解を生じさせる可能性が高い方がわかりやすいなんて随分悩ましいけど、
でもそんなもんですよね。
だからまぁ、これは誤読されては困るとか絶対に正確に伝えたい、
という事以外は、なるべくなるべく簡素に。
何でもかんでも頑張って書くと疲れちゃうし、4段落くらいでサクッと書く方が楽で良い。
それなら5分で書いて5分で推敲して終われるし、ボツになってもショック小さいし。
そんなもんだと思うのですよねー。
