New Trino

僕らは車じゃないから アクセルを踏むほど スピードが上がるわけじゃない 100%より、80%の方が早いときだってある、 その方が多い、 肩の力を抜きなよ、 じっと見つめててもダメさ、 君が見てるのは、 ツルツルの表面だけだろう? 物の向こう側を見つめるんだ、 80%の方で 内側をすり抜けて 全てが見えるよ、 ニュートリノのように (2000.12.31)

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base of floor

スカレゲ(12.29)にて。 僕らは、DJに全てを頼ってる。全てを任せて、頼り切ってる。 MCも全てにリズムが、そう、それを頼り切ってる。 たとえ、音が途切れても、そのリズムのまま、繋がっていく空気。 そしてそれはきっと、そのまま、DJにまで繋がってる。 フロアで、身を任せながら、 それを大事にしたかった。 (2000.12.30)

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12-30-[2000]

12-30-[2000] 2000 December 29 Fri. 22:00 『SKAっとReggae』@METRO この時期、油断してると、つい、その年を振り返ってしまう… カウンターでビールを飲みながら思った。本当は既に帰省しているはずだったのだけど、色々あって予定を変更。どうせ京都にいるんだから、暇だし、と言うわけでメトロに。 それで、別に誰も誘わなかったし、誰とも会わないメトロってのも久しぶりにはいいかな、と思って、出掛けた、でも、友達がたくさんいて、話し相手に困らない(ややもすると忙しい)時間に慣れすぎてしまったらしく、カウンターで飲むビールは相変わらず美味しかったけど、すごく暇だった。あまりに気乗りがしないので(あ、それと、寝不足のため激眠くて(^-^;)、帰ろうかとも思ったけど、BLUE BEAT PLAYERS のLIVEは見たかったし、どうせ帰っても寝るだけだし、レゲエのリズムを体に刻みつつ、ビールを飲んでた。 おおっ、blink-182がBEST GROUP VIDEO賞だ。 キリがないから、止めとこうと思ったんだけどね、でもやっぱり考えてしまう、俺にとって2000年てどうだったかなー…あーかっこつけすぎた、つまりは、何があったっけかな? 前半と後半では、全く違う『色』だった気がする、本格的にメトロに行きだしたのが、去年(1999)の秋だから、今年はかなり通った気がする、試しに8月からのを書き出してみたけど、かなりの数だ。でも例えば、1月とか、2月とかは、そんなに行ってなかったと思う、確実に行ってたのは69tracksだけだったし、でも、記憶(それと日記)によると、3月からはかなりの数行っている、周りの人と話をして一番違うと思うのは、俺は、そのイベントよりも、メトロというクラブを優先させている気がする、箱に客のつくクラブ、そうかも知れない。だから、自分が全く聴かないような音楽であっても(それは例えば、テクノとかハウスとかだが)、メトロでやっていれば、行こうかな?という気にもなる。もし、誰かが、行こうよ、と言ってくれれば、行くかも知れない。 おおっ、シスコ(sisqo)いいなぁ…。 実際の話、前半(つまり夏休みくらい)までは、馬術部に全てを捧げていた自分、から離れることができなくて、もしできることなら、もう1回馬に乗りたいとか、そんな心境だった。 Eminem、かっこいいぞ。 でも、何か、それもどうでも良くなってしまって、今でも愛馬は愛してるけど、でも会いに行くのもほとんどなくなってしまって(1ヶ月に1回くらいかな)、何となく、自分のいる場所、を、メトロに頼ってる気がする、それはいいんだけど、照れくさい言い方をすれば、居場所を見つけた?現実から逃げているとしても…でも、2000年後半が象徴してるのは、そういうことだった、そして、いろんな出会いや、いろんなことがあって、楽しかった。現実から逃げても、悩まなくなるわけじゃない、現実のことに悩んでいる方が、実は悩む量は少なくて済む、現実から逃げてもそのことは悩むわけだし、逃げた先でのことでも悩む、2倍になる、You Know? 結局振り返っちまった。止めよう、不毛だ。こんなの、自分で考えるだけにしとけばいいんだ、だってキリ無いだろ?365日分を2時間で振り返ろうって無理なのさ、100年だったらなおさらさ、なんで? だってさ、 明日はまだ続くんだぜ。 (2000.12.30.)

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For Emotional Stability

何かよく分からない文章を書いてしまって、 ちょっと後悔。 読めば分かるとおり、途中まではある人へのメールで、 でも途中で書くのを止めて、 でも何となくどこかに書き留めておきたかったから、 そのテンションのまま続きを書いて、 『すべてを』 というモットーに基づき、載せてしまった。 文章をボールペンで書くことの多い僕は、 なるべくなら、後の推敲よりも、 その場のフィーリングを大切にしたい方で、 論理の矛盾や、自己との乖離が顕著でない限り、 なるべく、そのまま残すことにしてる、それは、 きっと無意識が書かせてくれたことだから。 (載せるかどうかはともかく) きっと、これは想像だけど、 一瞬、自分の中にわき上がった感情を説明できなくて、 そんな中で、メールの返信をしてしまっていいのだろうか? とは思ったけど、 でも送ってしまって、 そして、混乱し、動揺してしまったのだと思う。 『視野狭窄。』 そう思える。一歩引いてみれば、ただのフックなのに…。 『…』 『…』 いや、もうぐだぐだ言うのはよそう。 その言葉は、僕の中では、 様々な幅や広がりを持っていても、 ここに文字として表示されたとたんに、 そういうモノとして固定されてしまう、 説明的であればなおさらだ、 だからやめよう、 1つだけ言えることは、 僕は、当初、自分が望んでいた結果を、 出すことができた、ということだ、 そうだろう? うん、たぶんね、 曖昧さ、が好きだ、 でも、行動に関してははっきりを求める性格、 言いたいことは言わずにはおれない性格、 でも、気を遣ってしまうから、 これ以上、謝らないで。頼むよ。 君が僕から得たのと同じだけ、 僕は君から得たのだから。 ちがう? ありがとう、そして、 『できれば』 これからもよろしく。 (2000.12.25.17:21)

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For Your Happiness

返信すべきじゃない… かも知れない、と思いながらこれを書きます。 でも、何か書きたかったから。 この間、でも、見送った後、後悔してた、 何で俺はそんな偉そうに話できるわけ?とか思って、 言い過ぎた気がして、 でもね、絶対に言わなければいけないことも、 含まれてたんだと思う、 多分、最初に話をしたときからずっと感じてたことだと思う、 でも、思うけど、 本当に伝えたかったことは、 きっと伝えられなかったと思う。 話しながら、 ずっと、思ってた。 俺が言いたいことはそんな事じゃない、 って、 でも、それしか伝えられなかった、 俺には言えなかった。 たぶん、次逢っても、どんなに酔っても、言えないと思う、 でも、言いたいことは、言ったと思う、 今更言うのは反則かも知れないけど、 俺も好きだったのかも知れない。 でも、それを認めることは、俺にはできなかった。 Why? その理由が分かるくらいなら、悩んだりしなかったし、 それはきっと、去年もそうだっただろうし、 それが分かっていれば、あの子も傷つけずに済んだだろう、きっと。 自分の気持ちが解説できない、 良かったねと、嫉妬が交錯する? Why? それが分かってれば、 あの子を傷つけずに済んだのに… 俺には分からない。 君の幸せを、切に、想って。 (2000.12.25.12:11)

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Length of the time.

京都から鈍行で静岡へと帰る。 乗り継ぎ3回(米原、大垣、豊橋)、5時間?5時間半掛かる。もし、京都から新幹線に乗ってしまえば、そしてそれが『ひかり』なら(静岡に止まる『ひかり』は1時間に1本しかないが)1時間半余りでついてしまう。 その差4時間。 でも、5時間半電車に揺られて静岡に帰って気付いたのだが… 新幹線の方が、時間は長く、そしてイライラした。 鈍行で移動する5時間半はそれほど長くは感じず、もちろん、乗ってる間に日が傾いたから、その時間差は感じたけれど、でも、実際には、それほどイライラもしなかったし、苦痛でもなかった。何故なんだろう? それを言うなら、自転車で静岡に帰ったときは2日、しかも、両日ともほぼ一日中自転車をこいで(愚かにも、その時の僕には『休憩』という概念は飯どきを除いてはなかった。信じられないことだが)、非常に苦労して帰ったが、それほど長い時間には感じなかった。2日目はほとんど死にそうだったが、実家が近づき、見慣れた風景が目に飛び込んで来るに連れ、この旅行が終わってしまう悲しさ、寂しさが、心にわき上がってきた…。 いや、少し極端な例を出しすぎた、いま言ってるのはそんな感動的な事じゃないや、もっと、普通で単純なこと。 きっと、今年も、鈍行で帰るだろうと思う。新幹線のように取り敢えず乗り込んでしまえば後は着くだけ…というわけじゃないから、荷物もできるだけコンパクトにしなければならないし、それなりに退屈しのぎも持っていかなければならない。でも、そんなことは、全然面倒じゃないし、苦痛じゃない。それよりも、新幹線で車輌に表示される『静岡まで後5分』の方が、よっぽど苦痛だ。静岡に向かうときの、安倍川駅、などは、むしろ、心地よい、帰ってきた、という気がする。もちろん、新幹線の方にそういう気持ちがないわけじゃないんだけど…。 自分の中で、この感じ方の違いについては、安易な、結論を既に出してしまっている。でも、それは、言ってみれば、『そうかも知れない』ということであって、というより、僕が思っていることと比べて、どうでもいいこと、であることは確かだ。僕が言いたいのは…そう、スピードが全てじゃないってことかな?(とか言っててもF1はマニアックなほど好きなくせに) 鈍行に乗ってて思うこと。 地域ごとに、その地域の『生活』が、乗ってくる。 中学生だったり、おばさんだったり、おじいさんだったり。 鉄道には全然詳しくないけど、 そんな感じが、好き。 (2000.12.24)

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Music 010

Garden 2000.12.24.12:26 Sugar Soul feat. Kenji ▲▼ さあ皆 空気さえも蝕まれていきそうな  こんな時代にキバを剥き出すような アスファルト蹴り上げ動き出すような俺達を CHECK してきな  愛の庭に咲く百合は瞬く 風に揺られ悲しみ抱く そんな中に天使羽ばたく 歌い続けてくれ絶え間なく  陽の光が部屋に差し込む 日々の痛みもすべてつつみ込む あふれる喜び TRACK に乗せる BY MY SELF 青空がそうさせる  あの日描いた夢にぎりしめ 今ここに生きた証刻み込め 99道を照らし出した 終わらない 響くよ女神の歌 このメロディ・ラインを聴くだけで、涙が出そうになる、 悲しい想い出があったわけでも、 忘れられない素晴らしい想い出があった、 だけでもない、 この曲を一番印象的に聴いていたのは…多分、1999、冬。 今、2000年が終わろうとしてるけど、 僕にとって『1999』という年は、いろんな事があまりにも起きすぎて、 僕の中で、何か大事なことが終わって、 そして、いろんな事をしてしまって、 つらいこともあったけど、でも僕にとって大事な1年で、 このメロディには、そういうことがギュッと詰まっていて、 僕にとって、そんなメロディの、一番最後に来るのが、 『GARDEN』 『1999』についての想いは、 ちらりちらりと書いているけど、 その全てを掌握してるのは僕だけだし、 僕にとって『僕』という存在は、その全ての真ん中に存在していて、 その1つ1つは、その全てを象徴してはいるけれど、 それを表す物ではなくて、 全てを集めてはじめて、その全てを把握できる、 僕が犯した過ち、それをそれだけでは判断できない、 僕の中にはそれを支える心情がある、 その全てを分かってもらおうとは思わない、 でも、そのことを知っておいて欲しい、 僕がしたことについて言い訳はしない、 でも。 決して、そうしようと思ってしたことじゃない、 それに影響を与える何か、そして、君、 そして、君の中の何か、そして、君に影響を与えた彼、 そして、彼の中の何か、そして、彼に影響を与えた彼女、 そして、彼女の中の何か… その全てを、 その全てが、 このメロディ・ラインにはある、 『僕』は全てのことの真ん中に存在している、 かもしれないけど、 その全てのことの中心を象徴し、 そして時にはそれさえも越える、 ギザギザな心の表面を、 省略することなく、 細かなキズにまでしみこむ、 それが、僕にとっての、 『GARDEN』

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WOMEN 002

WOMEN 2000.12.23.23:26 who’s in Lonely. ▲▼ 誰にでも、寂しい瞬間はある。 でも、女の子のそれって俺が思う寂しいのとは少し違うような気がする。 寂しがりや、って言葉がある。 俺は、正直に言って、独りでも全然構わないし、実際のところ、 恋人がいないならそれはそれで全然気にしないんじゃないか? 『気にしない』どころじゃなくて、きっと思いもしないと思う、寂しいなんて。 『女は二十歳越えっと1人の夜には耐えらんねぇって言うぜぇ』((c)鴨川ラモ@B-Virgin) という山田玲司の発言も、あながち、的を外してるとは思われない、 ただ焚き付けるためだけのセリフじゃない気がする、 ねぇ、どうして、そんなに寂しくなるの? ここまでとこの後を読んで、彼女は悲しくなるかも知れないけど、 『寂しい』といわれて、いちいちケアするほど暇じゃないわけで。 もちろん、相手がストーカーでない限り、そういわれて悪い気はしないのだけど、 でも、そうそう毎回、逢いに行くとかはできないし、 電話するのも(俺に限って言えば)照れくさいし、好きじゃないし、 こんな事言ってるからダメなのかも知れないけど、 でも周りを見るに、女の子の『寂しいよ…』っていう言葉に振り回されてる男は大勢いるわけで。 何でそんなに寂しいんだろう? ただ単に人恋しいということなのか? 誰か特定の人に傍にいて欲しいと言うことなのか? んーいや、俺が1人になれてるのか? 男でもそういってる人はいるだろうけど、 女の子って、『いつも』寂しいような気がする。 少なくとも、いつも寂しく感じてるような気がする。 時々は寂しくない。 これを読んでる君、だけじゃなくて、 いろんな女の子が同じようなことを言う。 なんでさ? ねぇ、なんで、そんなに寂しいの? 男には分からないこと、 と、片づけるのはすごく簡単なんだけど、身の回りにあることだから、 そんなに簡単に片づけるのは難しい。 分かってあげたい、女の子の感情を。 知りたい。 『そうなんだ』と、割り切るのなら楽だけどさ。 傍にいないときでも傍にいてあげられるように、 なりたいんだけどな。

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Face.

『右側がね、人に見せる用の顔なんだよ』 そうなんだ。 聞いたことある、 人は右と左とでは顔が違うんだって。 そういえば、右の顔の方が、 暖かそうに見えるね、 でも、じゃ、自分を冷たく見せたい人は? 左の顔を見せればいいのかな? カウンターで座っていて、 恋人がどちらにいた方が、落ち着くだろう? 僕は何故か分からないけど… 恋人が左側にいる方が、断然安心する。 相手に、“冷たい顔”を見せることになるのに? …。 でも、その時に見える相手の顔は、 “暖かい顔”だ、それで安心するのかも知れない、 自分はクールに、 格好良く見せて、相手の穏やかな顔で安心する。 …。 何か、嫌な奴だな。 でも僕は。 『君の左側の顔』も好きだよ? だって、 いつも正面から見てるんだもん。 (2000.12.22)

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Long for Korean

韓国サッカーは強くないといけない。いつまでも格好良くいてほしい。 このところ、ずっと思う。 正直に言って、韓国という国も、韓国人という人達も、当然そのサッカーも、昔は大嫌いだった。確かに僕は日本人だけど、そして、僕の曾祖父や祖父の世代が過ちを犯したことはそれも事実だし、それを否定するつもりは更々ないのだけど、でも、僕の正直な感想は、そういう態度とはかけ離れていた。ようするに、僕が既に憶えていないことを、いつまでもいつまでも言い続け、文句を言い続け、謝罪してもどうせ満足しないのに、いつまでも謝罪を要求し、そして何かって言うと日本と日本人を目の敵にする…だから、常に日本より強いと声高に言い続け、しかも実際に日本を阻む大きな壁となってきた韓国サッカーも、大嫌いだった。 でも、最近、少し、いや、だいぶ変わってきたと思う。 2002年W杯の日韓共催が決まり、韓国に対する思いが少しずつ変わってきた。それは、例えば、金大中大統領の、対日政策の変換やなども影響があるのかも知れない。でも?日本サッカーに対する余裕なのか?わからないけど、シドニーオリンピックや、アジアカップを通して伝えられる韓国の不振と、自らの目でテレビを通してみた韓国サッカーのひどい有様を前に、僕は気付いた。コンプレックスかも知れないが、強くて、格好いい韓国サッカーに、実は憧れに近い物を抱いていたんじゃないか?と。 いや、日本が負けてもらっては困る、だから、12/20の日韓戦、退場で1人少なくなった韓国相手に引き分けで精一杯だった日本に対しては、正直不満だった。でも、不振を伝えられていた韓国サッカーの、強くて速くて、格好いい姿、それは例えば洪明甫の姿だ、日本とは指向が違うから、きっと遠い将来を見ても、その強さや、格好良さには追いつけないと思う、韓国は、強くなくてはいけない、憎らしいほど、いや本当に憎んでさえいた、その強さを、彼らは持ち続けていて欲しい、そしていつも日本の前に、最大のライバルとして、立ちはだかって欲しい、これ以上近い隣国はないんだし… (2000.12.21)

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