selfish
俺ってホントに、或る意味、自分勝手だな、と思う。 ほんとにしょーーーもないことで なーんだか落ち込んでみたり。 きっと俺にはなんにもないからだろうな。 あーあ。
俺ってホントに、或る意味、自分勝手だな、と思う。 ほんとにしょーーーもないことで なーんだか落ち込んでみたり。 きっと俺にはなんにもないからだろうな。 あーあ。
何故か、影響を受ける人、がいる、 『誰』とか特定の人というわけではなくて、 なんとなく。 例えば ある人は、そうだなぁ…知ってるけど別に親しいわけでもない、 ずっとそんな感じ、 というヒトなんだが、どうもまったく違う考え方、を持ってるらしい。 そして、良くも悪くも(賛成も反対も) 影響を受けることがある、 そこはわかるけどそれは違うでしょ、とかね だけど別にダイレクトにコンタクトとるわけでもないので なにを言っても届いてないんだろうけど まぁたぶん、例によって上手く言えそうにないので(苦笑) それでいいんだけど、 でも、影響を受ける。 でもまぁそんなこと言うとなんかあれ、なので、 こっそり。 いっとこう。
theme。 モノを作るとき、なにかこういうモノを作りたい、と言って作るときと、 取り敢えず作ろう…ん?こんなん出来ちゃった…というモノとがあるんだけど いずれにしても何かあるんだろう。 僕が創るモノは絵か、文章なので、言葉には起こしやすい。 だから、自分がどんなテーマを持っているのか?ということも、 さして深く考えずに断言できてしまう。 ことによると心理的なレベルの話になってくるけど、 何か、創るときには、自分に付随した、『理由』みたいなモノがあるはずで、 先述した2つの流れは、その『理由』をいつ見極めるか、ということだろう、 『理由』ってのは大概、自分の状況とか心境とか世の中とか、そういうことなんだろうけど、 そうしたことをまどろっこしく感じて、考えたくない、 曖昧な(言葉が悪ければ、漠然とした、輪郭のない、いずれにせよ悪い意味で使ってるのではない) ままにしておきたければ、それは、 theme=『無題』で、全然構わない、とおもう、 だが逆説的に言えば、 それはそのものを見つめるということを放棄している、または、そんなことは必要ない、 という『主張』になっており、 それはそれでいいのだ。 そんなわけで僕はいろんなthemeを設けるのが好きなんだけど、 それはきっと僕が言葉をこねるのが好きで、 遊び心を発揮できる場所が一つでも増えて、 嬉しいからなんだろうなぁ… と、思ったのはたったいまで、 ホントのところはどうなんだかね。
わかりあう、ことなど、そうはないのだ 『わかりあえる』、そんな幻想にいつもとらわれてしまう 出会い別れていく男女のすべてが そのお互いをわかりあって判断し出会い別れるわけじゃない むしろ わかりあうまえにもう、嫌になったから、それで、 わかれても、全然、不自然じゃない それでも、誰かに言う、例えば にこにこして上手くいってないことを語る19の女の子 言いたいことを言えずに、わかりあわないで、わかれちゃうのはさびしいよ。 恋人/親友、でさえ、言わなければ聞かなければ、本当のところはわからない わかってもらわなくてもいい ことならば、言わなくてもかまわない わかって欲しいことならば、余計に口に出せない それに、聞いてさえ、わからない わかりあえることなど、ない。 だけど、僕はわかりあって生きたい。 誰かについて想像するのは簡単だし、それが当たる確率もまずまずだ だけど、それではわかりあってはいない。 『だまっていてもわかるでしょ。』 そういう人とは、上手くコミュニケート、できない、違う、誤解しないで欲しい、 だからこそ、コミュニケートするのだ、 『ぼくはあなたのことがわからない。』 それを相手に伝えるのは勇気がいる。ただの知りたがりと見られたらどうしよう? 気にされたらどうしよう?嫌われたらどうしよう?誤解されたらどうしよう 1人の人とわかりあうのは疲れる だから、わかりあう人を制限する。 いろいろなことを口に出せないような人とこそ、いろいろなことを話したい 僕には出来ないけどね(苦笑) 思い焦がれる人と話題のない日々。時間。 いまの僕なら…… ぜったいモノにするのに! …たぶん、おなじ。
不思議な力がある 感情が 流れ込んでしまう 少し 怖さ も ある そのときの僕の感情を 正確に思い出すことは もう出来そうにない もう数えられないほど 唇を合わせているのに そのとき、 少し、 ドキドキした。 kiss。
かなり楽しみにしていた割には なかなか微妙な心境・テンションで、楽しめるかどうか不安だったけど 結局、そんな心配は無用でした。 何も解決はしない。心が完全にクリアになるわけじゃない。 だけど、いまそのときだけは、少なくともその、 一瞬の連続した時間だけは ほっと、安心することができる。 俺はここにいていいんだという喜び。 自分の愛するものを、そこにいる多くの人たちが共有してくれるという喜び。 それが多分、癒されるということ。 すべての人に感謝を。愛を
OMNIDIRECTIONAL DIPLOMACY 『全方位外交』 すべてのものに対して、門戸を開こうとする外交政策。 BREAK THE WILD HORSE ! 『荒馬を乗りこなせ!』 恋愛の隠喩。 THEME の響きの良さ、だけでなく、 デザインもバランスが良くてなかなかお気に入り。 FLASHを使った『遊び心』も
Flash Works 2001 October テーマは特にない。モデルも特に決めていない。 何かを見て、思いついたものを、形にしていくだけだ。 何かを伝えるための、実務的なものもあるだろう。 しかしそれも、自己表現だ。 僕の場合、自己顕示欲が強いのか、根気がないのか、 作りこみが足りないことがよくある。 きちんと作りこむ前に、飽きてしまったり、 人に見せたくなったりして、作成を止めてしまう。 もちろん、熱中するタイプでもあるので、 どこかで止めないと、 膨大なファイルサイズになることも予想されるのだが。 それにしても、この『道具』は、視覚的自己表現としては、 初歩、と言っていいほど簡単に、自己表現が出来る、 非常に楽しいおもちゃだ。 改めて、そう思った。 this week my works: 69tracks.com top image theme 10 theme 09(is-You top image) theme 08
いつの頃からなのか定かではないが、僕は、 Sports Graphic Number という雑誌を愛読している。 『ナンバー』と一般的に呼ばれるこの雑誌は 世界的に有名なスポーツ誌『Sports Illastrated』を意識して作られ、 その名の通りスポーツ専門誌であり、スポーツ全般を扱う。 中身は、試合の詳細の記事や、コラム、エッセイ、寄稿、写真など様々だが、 一貫しているのは、『スポーツへの情熱』ということだ。 最近日本サッカーの躍進とともにサッカーの比率が上がっていることは 否めないが、特集されるスポーツは、サッカー、野球、F1、 ラグビー、プロレス、競馬、など多彩だ。 そのためか、人によっては、『興味のあるスポーツの特集のときだけ、買う』という人もいるが、 僕の場合はあまり特集記事には頓着しない。 知っているスポーツであればより深く知ることができるし、知らないスポーツであれば、 そのスポーツを知ることができる。 例えばプロレス。ほとんど興味はなかったが、 プロレス専門誌や、スポーツ新聞、プロレス番組などとはまた違った角度で書いてくれる。 先述のようなメディアの情報は、好きなものには喜ばしいかもしれないが、 あまりわからないものにとっては、少々うるさい。 しかし、プロレスというSHOW、ぼんやりしてわからないものではなく、 プロレスラーと、リング、という配置で見ると、少しわかる気がする。 ドラマを求めてるようで恥ずかしいが、 プロレスは、あれはあれで結構面白い。もちろん、『格闘技』としても。 ナンバーの読み方として、 僕は、面白い記事に出会ったら、その記事を書いたのが誰か、を必ず確認するようにしている それはよく知っているスポーツ、全然知らないスポーツに限らず、 きちんとした文章を書けるという人は決まっている。 ナンバーで文章を書いている人数は多いので、1回や2回では憶えられないが、 次第に確認した名前がかぶってくるに連れ、 『ああ、こいつはいい文章書くよな』 なんて思ったりする。 今週発売された533号(10/18号)はF1特集である。 自分がかなりのF1好きであることもあって、 かなり楽しく嬉しく読んでいる(もったいないのでゆっくり読む) 今号は、米国で起きたテロに対する、編集長の文章で始まった。 『ワシントンやニューヨークで起こったことに比べれば、スポーツは意味がない』 心情は理解できるが、マーク・マグワイアのこの発言には失望した。 そんな視点でスポーツを語るのなら、スポーツは平常時でも意味はない。 しかし、スポーツ選手がそれを口にしてはダメだと思う。 あなたに出来ることはなんなのか? どうしてそれが出来る立場である人間が、それを口に出来ないんだ。 キャップやユニフォームに米国国旗をつけることは、 喪に服すときにつける黒い喪章と同じなのか? スポーツを愛国心を高揚させるために利用していないか? アメリカ人は、スポーツを見失っている。そんなアメリカは見たくない。 国民が不安と恐怖に震えているときこそ、 メジャーリーガーにはプレーしていて欲しい。 阿部雄輔(スポーツ・グラフィック ナンバー編集長) 『スポーツが人々の喜びであるかぎり』 報復活動の圧倒的支持、あらゆるメディアを使った国威発揚、 軍事行動への各国の参加の強要、 アメリカはすべてを見失っている。危うい。 せめて、スポーツ選手には、スポーツで自己表現してもらいたい。 それがあなたの選んだ人生ではないのか? ナンバーの読み方を語るつもりがすこしそれてしまった。 しかし僕の言いたいことには代わりはないので修正しないことにする。 国としてのアメリカは大嫌いだが、 文化としてのアメリカはそうでもない。 彼らが、心配だ。
突然こんなこと言うのも変だけどさ… みんないいSEXしてる? いいSEXは戦争を防止するとか某作家が言ってたけど(説明割愛) じゃあ、アメリカ人は下手くそなのか?ベッドの上でも力任せとか?(笑) まぁ…パレスチナとか『戦場』の場合は『戦争をする国』とは違って それどころじゃなさそうなのでしらんけども。 極論すると自分が気持ちよければいいわけだけど かといって自分だけ気持ちよく相手があんまり乗り気じゃない… とかいうのもなんかそれはそれで全然嬉しくない(僕の場合) 自分だけが気持ちよければいいんだったら それこそ独りでやってればいいわけで それを敢えて相手を求めるっていうのは…どういうことなんだろうね? なんか『気持ちが…』か、『子孫を…』という ちょっとベタな結論を導いてしまいそうだけど、 SEXするたびに子孫が残ってたらそれこそ大変なことになるわけだし 世の中には気持ちがこもらないSEXだって山と有るわけだし うーん…。 結局は体が求めるから、 っていう話もあってそれ以上の理屈はないのかもしれんけど。 いいSEXしたいねぇ…