つきあうということ。
つきあっている、ということは、一般的にかなり制度的で、幻想だ。 (これはきっと結婚にも関わるだろうけど、俺は結婚をしたこともないし、 今すぐには考えてもいないので、子供らしく『つきあう』という表現にする) 結局、お互いの『契約』なのだ、つきあうってのはさ。たいていの場合。 そのときの合図?挨拶?が『好きです』だったりすると思う。 そういう関係ならば、つまり、好きじゃなくても 『付き合おう』──『うん』 ならその2人は付き合ってるってことになる。 だが、冷静に立ち戻ってみると『付き合う』ってそんな制度的なもんでいいの? もっとピュアに考えると、 好き同士であるということを確認している? いや違うな、それも儀式だ、 お互いを好きで、深いコミュニケーションがある、 くらいにしとこうか。 それが本当に恋人であるということだと思う。青臭いけどさ。 つまり、そういう器を用意すれば、中身も得られる、と思うのは、 全くの幻想だってことだ。本質的でない。 あなたの恋愛は『制度的』を脱していると言えるだろうか? 僕の恋愛はどうだろう? 『制度的』により敏感なのは女の方だ。 にこにこしていたとしても、次第に『制度的』恋愛に嫌気が差してくる。 寂しくてあなたといるのなら、あなたとでなくても構わない。 男は、生物学上、いい男が1人いればいいのだから。 もしその匂いを嗅ぎ分けられないでいれば、男は女にスポイルされる。 それは、女が悪いんじゃない。男が鈍いだけだ。 女にはよりいい男を見つけてよりいい子孫を残す『義務』がある。 あなたも『制度的』恋愛に甘えてろくでもない男になっていると 女にスポイルされてしまうよ。 スポイルされた男は…ただただ悲惨だ。 それは失恋なんて綺麗な甘いもんじゃない。 スポイル、されているんだ。