送別。
僕は、泣かなかった。 普段、滅多に会わない人、親戚や友人であれば、 『葬儀』という場は、別れを悼み、涙を流す場なのかもしれない。 でも、僕にとって涙を流す場は、そこではなかったと思う。 一緒に住んでいた僕ら家族の、葬儀での合い言葉は、 『最後は、明るく、送り出してあげよう』 別に無理して笑っていたわけではない、悲しくなかったわけでもない、 でも、別れることを意識して押し黙ることは 少しも、嬉しくなかった。 そんなもっともらしい『演技』など、僕らには必要ない。 人が見たら、『不謹慎だ』と言われるくらい、僕らは冗談を言いあっていたし、 そうして生きていくことが、残された僕らに出来る唯一のことだ。 『質素にやって欲しい』という遺志をくんで 葬儀に呼んだ人は決して多くなかった。 それでも倍以上の人が、新聞に掲載された『お悔やみ』を見て葬儀に訪れ、 葬儀場はほぼ満席だった。 人柄を、忍ばせるような、そんな葬儀だった。 挨拶中、一度文章を間違えそうになり、一度、涙を落としそうになり、 僕は少し沈黙の時間を作った。 でも、文字から頭を上げると、そこには、祖父の優しい顔があり、 僕は誰に聞かせるわけでもなく、祖父にだけ、話せば良かった。 僕は最後まで言葉を伝えたかったし、 結局、涙は流さなかった。 なるべく平易な日本語を使おうとしたし、 大仰な表現や、小ぎれいな言い回しはなるべく省いた。 出席者としての弔辞、という点で言えば及第点ではなかったかもしれないが 遺族の挨拶としては、十分に、気持ちを伝えられたと思う。 葬儀の前、出棺を終えて、火葬場に向かうと、 雨が、落ちてきた。 火葬場の待機場所で、僕らは、 寂しげな顔と、シリアスな表情と、笑顔とを交互に見せながら しとしとと降り続く雨を、見ていた。 いい葬儀だったと、思う。 僕らは、祖父がいたことを実感し、 もういないのだ、ということを理解し、受け入れる。 これが、死ぬ、ということなのだろう。