模様替え。

部屋の模様替えをしました。 大掃除もろくにしないのに、年明けてから模様替えってのもなんだか変だけど。 新しく買ったプリンターを置く場所を考慮して、 食器棚を移動し、PC関係のスペースを若干広くとり、 すぐにプリンターに手が伸びる位置に設置。 作業する分には非常に楽になりました。 それと同時に、今まであった食器棚より50cmくらい低い棚を置いたので、 結果的に、よく目にはいる壁が見えるようになって、 部屋が少し広い感じに。 (その影響で、インターフォンを置く場所が無くなったけど) たまには模様替えしないとダメだなー ちょっとすっきり。

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強風注意。

今日、昼休みに一旦自宅に帰ろうと丸太町を走っていたところ、 目の前に強風にあおられた鉄板が…! 当然よけきれるわけもなく、当たってというよりは、 直撃を無理矢理避けるために転倒。 鉄板の正体は、正月休み中のそば屋の、 ショーケースで雨戸代わりに使われている鉄板。 俺だったからいいものの…あれ、お年寄りだったら骨折もんだよ。ホントに。 店から人が出てきて、雨戸を直してくれたけど、 すみませんも、大丈夫ですかもないってのはなんだそりゃ! 風のせいだからまぁ怒っちゃいないが、ちゃんとやっといてくれよ… というわけで、あのそば屋には死んでもいかねぇ。 正直、痛かったし。

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PearPC

HotwiredのNewsで以前読んでそれ以来失念していたのだけど、 WindowsでMacOSXを動かすソフトウェアってのがあるらしい。

PearPC 『ペアーPC』(Pear PC)は、米アップルコンピュータ社の『マックOS X』を、米インテル社や米アドバンスト・マイクロ・デバイセズ(AMD)社製プロセッサーを搭載したマシン上で稼動させられる、初めてのエミュレーター・ソフトウェアだ(スクリーンショット)。
この記事が掲載された当時(2004/5/18)このソフトはまだバージョン0.1で、 『生産的な使い方には不向き』 『重要なデータは扱わないこと。遅かれ早かれ、データは壊れる!』 『ペアーPCで、OS Xを実用的な速度で実行するためには、150GHzのプロセッサーを搭載した パソコンが必要だと推定しているユーザーもいる』 などなど、パーフォーマンスへの評価は厳しいものがあるが、 しかし存在自体が既に歓迎に値するというのが大勢の意見か。 実際、WEBの動作確認をする上でも、これが有れば便利だし、 もし、様々なネットワークにも対応できるなら、 (AppleTalkだけのエミュレータなら存在してはいるけど) 作業効率的に非常に便利な気がする。 今現在のバージョンは0.3.1で、 職場の作業用PCに入れる勇気はまだ持てないんだが…いずれ入れてみたい。 なお、どうでもいいことだが、共同作者のひとりの名前が、 『ドイツに住むバイアーグラフ氏』 というのは、微妙に受けた。

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コミュニケーション能力

『僕はこの人を知らない』 そういう立場を失っては、相手を分かることは出来ないと思う。 例えば妹は…長い間一緒にいた、という経験からか、 少なくとも僕に対してそういう考えを持つことは出来ないようだ。 初めに感じたことを尊重するのはもちろん間違いではないが、 そこに縛られすぎる傾向があるようだ。 (まぁ確かに妹にとって、ガキの僕は相当周りの見えない、プライドだけ高い、 威張る人間であったことは疑いようもない) 相手の言動をつぶさに感じ取ることには長けているようだが、 それを積み上げる土台はあくまで第一印象や、以前の印象であるし、 土台に誤解が含まれている場合、 それ以上に正しく自分を分かってもらうのは難しい。 確かに僕は、京都大学に入りこそしたが、留年した挙げ句に卒業していない。 早稲田大学に入り、大学院まで修めた妹から見れば、人生の落伍者かもしれないな。 両親の期待は、確実に裏切った。 でも、『落伍』する過程に色々なパターンがあるように 落伍者といわれる人にも色々な人がいるし、 実際に今どうかは、過去どうだったかの上に必ずしも成り立っているわけではない。 言うまでもないと思って省いたが、落伍かどうか、だって実際は曖昧なのが現実だ。 人間は(僕も含めて)知らないことは省略するように出来ている。 英文を読むとき、わからない単語を飛ばして、文脈や経験で補おうとするように、 わからない部分は、確かめるよりまず、過去の切れ端や、 似たような人のパターンで埋めようとするのが常だ。 相手が、芸能人や、赤の他人であれば、それもまた正しいことだろう。 正確に言えば、間違ってるということを証明する手段はない。 文脈に沿って言えば、それはコミュニケーションではない。 証明を待たずに逆説的に言えば、 そうした無責任な補填の目立つ会話は、望まれたコミュニケーションではない。 主張のとっちらかしは、けして相互対話ではないし、 片方の努力で何とかなるものではないのだ。 僕自身、妹のコミュニケーション能力に、 若干、欠落した部分があるということは伝え聞いている。 あ、名誉のために言えば、別に精神に問題があるわけでもない。 むしろ自覚もないようだ。 少数の分かる人間以外には、誤解され嫌われる、そういうことだ。 それがどういうことなのか、考える勇気を持てなかったが、 一時逆上し、その後で冷静に見てみると、 やはり、彼女にはコミュニケーション能力の中のどこか、 自分を相手の向かい側(もしくは隣)に置く能力や、 相手の言動の表面だけではなく、その構造を想像する能力に、 問題があるように見受けられた。 本当に名誉のために言うが、彼女は、良い人間なのだ。 腹黒くなく、姑息でもなく、本当は同じくらいお人好しで、傷つきやすい。 兄でなければ、そしてわからぬまま非難されなければ、 絶対に欠点を指摘したりしたくない。 だが、彼女の中の足りない点は、そのまま自分に当てはまることもある。 この文章を彼女が読むことはないわけだし、 同じようにコミュニケーションに悩む人に当てて書くこともない、 ただ、自分はどうなのか、そう思うために書く。 もう、26なのだし、いくら諭しても彼女には伝わることはあり得ないだろう。 だがそういう人間なのだ、と覚悟していれば、もし次会っても兄として耐えられる。 そして、自分がどのような人間としていきたいか、 という問いの答えのきっかけにもなるかもしれない。 僕が誤解されるのは、 親元を離れて以来、僕が何を考え、どう行動してきているか、 MUTTERの一片すら親に伝えていないことにも問題があるだろう。 家族の中での僕という人間は、それ以前と一つも変わっていない、 だから久しぶりにあっても、変わったことを認めるより、変わらない事への確認に目がいくのだ。 確かに、だらしなく、不愛想で、気が短く、冷たい、そういう部分は今でもある。 でも、それを自覚し修正しようとしていることを、彼らは知らないし、 僕も表だって伝えようとしない。 たとえ伝えようとしても、生返事が返るだけだろう。 人のステレオタイプとは、かくも厳しい。 であるならば、僕には、分かってもらうことを放棄し、『演じる』しか手段は残されない。 あらゆる無理をして、両親のリクエストに応えて帰省して、得たことは、これだけだ。 分かっていたことの確認。 言ってみれば、僕自身も家族とのコミュニケーションを放棄したと言えるし、 その時点でさして変わらない。 それでも、妹、あなたまで僕を誤解し続けるのか。 それに対する僕の失望は、決してわかり得ないことだろうし、 僕に出来ることはもうない。 せめて、こうしたバックグラウンドを理解した上で、罵詈雑言を投げつけてくれればいいのだが、 それは死ぬまでかなわないことだろうな。

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帰ってきました。

散々な帰省でした。 …と、その愚痴をここに書こうとしたけど、止めとこう。 何の意味もないや。 俺が今どう生きてるか見てるわけでもないくせになぁ。 よくもまぁ言ってくれるよ。 当分、静岡には帰りたくないな。

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ゆくえ。

将番頭の曲にあったな、確かこんな曲。 今日は家族会議でした。 祖父が死んで、父親は生計を成り立たせることができなくなり、 望むと望まざるとによらず、何かを始めなくてはならない。 もちろん、僕も妹もすでに独立しているから、 自由にすればいい、でも、 なんだって勝手にやれば?ということじゃない。 やっぱり、心配はするし、いろいろ考える。 ただ、父親は、決して何もかもしゃべるような人間ではない、 むしろ、基本的には明るくて冗談ばかり言っている人間なのに、 こと自分のことになると、何一つ語ろうとせず、言葉にする努力もせず、 相手が自分のことをわかっていないということもわからず、 (年齢や見た目にしては少し古風なのかもしれない) 僕らは振り回されるばかり。 自分では、さ、思いついたままに生きよう、と思ったのかもしれない。 わからなくはないし…できることなら、そうさせてあげたい。 でも、あいにくと、もう、家出少年ではないわけで。 すくなくとも、母親の人生は巻き込むのだ、ということを認識して欲しい。 父親以外の家族は、どちらかといえば、本音で勝負する人間たちだ。 真面目なことを言うのに冗談で誤魔化す必要はないし、 自分の思考を省略して話すこともない。 だから、話し合いとしては相容れないことは、当たり前のことなのだ。 でも、たとえ家族以外の人間にはそうであってもいい、 でもとても重要なことであるなら、家族にだけはきちんと話して欲しい。 少し、いろいろなこと言い過ぎて、妹と二人でいじめすぎてしまったような気がする。 話せないからといって考えていないわけではない、それはわかっているつもりだ。 辛抱強く、質問をし、考え、意見を述べた。 だが、僕は、結局何も話さないまま結論だけを出す態度が変わらずに、 あきらめて退席してしまった。 『一緒に考える』というのであれば、いくらでも、どんなことでも付き合うよ。 でも、考えたことを聞けってんなら、ただ聞くか、聞かないかしかない。 それは家族じゃないよ、父さん。 非常に不安だし、心配だ。 でも僕は見ているしかないのだろう。

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PIXUS iP4100 購入。

新しいプリンタ買いました。 きちんと選んで金出して買ったプリンターって初めてじゃないかなぁ… 今までのは、大体パソコン変えるときにしょぼいエントリーモデルを買ってただけだったので。 てか、わざわざ静岡で買う必要もないんだけどね…(苦笑) まぁ、友達に電話がつながらず暇だったということで。 今設定中。 (実家のPCは未だにWindows98なのでいろいろとドライバの設定が面倒) また後ほどレポートでも。 【追記】 使用してみました。 率直な感想から言うと…こんなに綺麗でいいんだろうか? 今までの自分が持ってたプリンターが如何にしょぼかったか… 印刷ごとのラインが全然でないし、本当に写真そのもの… いまどきのプリンターでは当たり前かもしれないけどねぇ…すばらしい。 びっくり。 そういうわけで、今日の午後は、母親と妹のパッチワークの写真撮影と、 画像プリントに便利使いされて終わりましたとさ(笑) でもここまでちゃんとプリントされちまうと… なんか楽しみだなぁ…

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仕事における2005年。

年始セールも無事に。 自分で用意して静岡に帰ってきた年始セール。 正直、諸事情により一部やっつけ仕事だったので、不安だったんですが、 ほとんどの点において僕の予想通りに動いてくれたようで、 かなり一安心。 諸事情に関しては…やはり時間の問題かな。 かなり前からせっついてはいたんですが、まぁ、よくあることで、 企画をやろうということは前々からの決定事項であったにもかかわらず、 企画内容に関しては直前になって決まるという… いろいろな動きが主に一部の対話とメールで構成されていて、 書類としてまとめられ、回覧されることのない、 そんな中小企業のサガというヤツでしょうか。 決定までの時間が短縮されているという点で メリットを発揮する部分は多いんだけど、通常業務とはなれているせいか… 実現しようということが技術的にどの程度のものかというスリあわせがないのは やはりしんどいなぁ。 技術的なことに関しては、たとえミスがあっても誰に責任を追及されるということもなく、 謝罪すれば何のお咎めもなし、というのはある程度楽ではあるけど 僕みたいな人間にとっては少ししんどいところもありつつ。 誰に責任があり、どうしたらよいのか?ということが見えないまま、 粛々と作業が進み、それに追われるってのはあんまりね。 自分ではかなり責任を負ってるつもりでも、会議に出席は求められていなかったり。 しかし、もう今の会社で働いていて長いし、2004年。 ある程度わかってきましたよ。 なんだろう、一般的に『愚痴』、それも仕事の愚痴というヤツは 自分では不満があるけれど、どうしようもできないことっていう類のことだと思う。 まぁ、僕が個人的に書くこと(極めて近い人間が見てるのに個人的かどうか悩むが)の なかにも、そういう種類のことはあるけれども、 でも、会社としてはあまりに規模が小さく、 一般的なサラリーマンほどは、『どうしようもない状況』ではないんだよね。 結局は、僕がどこまで望んでいくか、ということ。 年初の文章でここまで書いて良いのかという気はするけれど たとえ、少々言い過ぎたとしても、立場的に僕をすぐに首にするわけには行かないわけで。 (なぜなら他にやるやつはいない) そして多くのスタッフの中で、おそらく唯一僕だけが、『社長』に対して、 忌憚のない意見を言える立場にあるということ。 性格的なこともあるけど、疑問に思うことはぶつけるし、言いたいことは言う。 そうして解決できる可能性のあることを、愚痴として述べるのは、 いささか後ろ向き過ぎるんではないか?と。 会社に入ったときから気をつけているのは、 他のスタッフに対しては、あまり出過ぎたことを言わないようにしよう、 “ボス“と個人的な(それもかなり近い)知り合いだからといって、 虎の威を借るようなことを言ってはならないし、 『みんなを代表する』なんてひとりで気負って、周りの白けた目を見逃すようでもいけない。 ものを言える立場にいるからこそ、私利私欲は捨てなければならないし、 まぁとはいっても… いくら報奨金というニンジンがつってあっても 絶対にそのために無遅刻無欠席を狙うなんてことはできない、立派な人間ではない、 ただ、軽蔑されるような人間であってはならない、と。 それは、馬術部のときに痛いほど感じているからね。 僕自身が、抗議としての『サボタージュ』を選択したときでさえ、 それを理解してくれる人間はひとりとしていなかったし、もちろん決定が覆ることもなく、 ただ義務を果たせないダメな人間というレッテルを貼られ、 言うことはただの美辞麗句でおまえは実行できないといわれ、 発言力とモチベーションの低下という、 悪循環に陥っただけだったから。 それではいけない。 自分が悪いときに頭を下げるのは下策だ、 自分が優位に立ったときに頭を下げてこそ、上策となりうるわけで。 いずれにせよ、自分に変えられるものは、たとえ少しずつであっても、変えていかなくちゃならない。 不満を言って『もう辞める』と、辞表をたたきつけるのは簡単なことだが、 それをやっちゃあ、自分が納得できないし、僕だって困る。 はっきり言ってこれまでの人生、交渉能力に関しては、ほぼゼロに等しいが、 それも学んでいかねばならないかな、と思う。 全ては、自分の『利益』のためではなく。 自分が、納得できるような仕事をするにはどうしたら良いか? それだけ。 それさえ実現してくれるんなら、焦って給料なんか上げてくれなくたって 僕は要求される以上に働いてみせる。 そんなわけで、今年はひとつ戦ってみようかな。 閉塞感を打ち破るには、一度、壊してしまう必要もあるかもしれない。 今まで以上に前を見て。 多くのものを見、感じ、考え、そして行動するのだ。

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2004 -> 2005

本年も一年間ありがとうございました。 本当に長い一年でした… 来年もなるたけいろんな事を『やらかして』いきますので ひとつ、よろしくお願いいたします。 (忌中により年賀状はお受けできませんが…明けおめメールくらいなら) それでは静岡に帰って参ります。 またね。

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