苛々の形状
まだ、生乾きの時には 触れるたびに苛々が伝わってきたり 形を変えたり 広がったりする。 暫く放置すると 徐々に乾いてはくるが、消滅することはない。 安定し、風化することなく、 そこにとどまる。 そしてある瞬間、 あるきっかけによって、エネルギーを放出する。 苛々は蒸発し、 甚大なダメージを残す。 さて、我々は彼らと、 どのように付き合っていけばいいのだろう?
まだ、生乾きの時には 触れるたびに苛々が伝わってきたり 形を変えたり 広がったりする。 暫く放置すると 徐々に乾いてはくるが、消滅することはない。 安定し、風化することなく、 そこにとどまる。 そしてある瞬間、 あるきっかけによって、エネルギーを放出する。 苛々は蒸発し、 甚大なダメージを残す。 さて、我々は彼らと、 どのように付き合っていけばいいのだろう?
同僚達の仕事ぶりを見ていて驚くことは、 日常作業していて、 『メモリ(およびリソース)を管理する』 という考えが全くないこと。 Outlookやら、Internet Explorerやらを とにかく開けるだけ開けまくって、 タスクバーをめいっぱいに使った上で、WORDなんかを立ち上げ、 かつ、保存せずに長い文章を書いていたりする。 あんまり細々人の仕事のやり方に口出すのもどうかな、と 思ってはいるけれども、 そういう姿を見ると、背筋がぞっとしてしまう… 無知ってのは本当に恐い。 例えるなら、何気なく電線を歩いて渡っているようなものなのに 上手くいく時もあるもんだから、気にしない、 もしアプリケーションが落ちると、 『こいつ使えねぇなー…!』 使えねぇのは、お前だよ。 昔使ってたPCが極端に不安定だったので、 いつの間にか僕は、そういうことに非常に慎重になった。 文章を書いてる途中でも、区切り毎に必ず保存するし、 変更前のデータを別名で残しても置く。 こういうのは結構当然だと思ってたんだけど… ごく普通に、日常的に、綱渡りを始める人が多くて、びっくりする。 なんかこう…責任感みたいなもの、無いんだろうか。 自分のPCじゃなくて、会社の設備、みたいな感覚だとそうなんだろうか。 怒るのに、そのくせ、 アプリケーションが落ちたのはなぜなのか疑問に思わず、 こういうこともある、と通りすぎてしまう。 うーむ。 責任転嫁されるPCがかわいそうだ。 せめて、使いこなしてやってもらいたいなぁ。
一気に話題になったiPod nanoと同時に公開されたのが、iTunesの新バージョン。 どんなところが変わったか… …というところはITMediaのレビューを読んでもらうことにして(手抜き) ITmedia +D LifeStyle:iTunes 5の新機能をチェックする 考えてみると、iTunesって凄いよなぁ、と思う。 何がって、iTunesのソフトウェアとしてのカテゴリ分けで言うと、 昔から競合ソフトウェアはたくさんあったわけですよ。 MP3プレイヤーしかり、音楽プレイヤー、CDプレイヤー、ラジオ、エンコーダ… 言ってみれば、既にソフトウェアが飽和状態で、 新規参入の余地なんか無かったわけですよ。 そこへ、iPodというキラーアイテムを従えて、 ガツッと割り込んできたのがiTunes。 しかも、iPodを使ってない人でも使いやすいユーザーインターフェイス。 今までのソフトと何が違うかって言われると困るけど、 なんとなく、すべての面でベターを取れるソフトという感じで。 コアな人…例えば、高音質のMP3化を求める人とか、 そういう人は別にして、それ以外の多くの人が入りやすいソフトだよね。 この、今まで多くのソフトがあって、 多くの人にそのチャンスがあったにもかかわらず、 実現できていなかったことを、 さくっと入ってきて実現した、と言うのが凄いな、と。 しかも、バージョンアップ毎にきちんと使いやすさも向上してるしね。 無駄に機能追加、とかではなくて。 僕は、Appleにも、iPodにも何の感情も抱きませんが、 これだけは認めるな。ホント。
何となくやってみた。 自分の中の表に出て来やすい3割くらいは、 こういう適正診断とか、占いとかを馬鹿にしてるんだけど、 残りの7割は、結構面白がってる節がある… ニュートラ:適性・適職診断 全部で50問の設問に答えていくと、 自分の性格の特徴などが簡単に上げられ、 適正のある職業なんかがリストアップされる。 なんかあれだね、ニートや、就職難に悩む若者を対象にした、 結構真面目な診断みたいですね。 僕の診断結果はこんな感じ。 ニュートラ:診断結果 なんかわかんないけど、結構前向きな結果が(笑) そして、IT関係は内向的と思われてるのか、適正には出てねぇ(笑) まぁそうかもしれないなぁ… かといって、もしこの職種を辞めたら、 他にこれと言ってやりたいことも…まぁないってコトはないか。 ジャーナリストとか、コラムニストとかにはなりたかったしね。 どっちにせよ、『表現者』になりたいんだろうね。 ちなみに、今悩みつつある仕事に関しては、
どんな仕事でもこなせるリーダータイプうーむ。 そう来るかー… まぁ別に失うモノは特にないんだけどね。 今だって。人に言われなくても自分で仕事を見つけて、どんどん進めるリーダータイプです。あなた本人の好みは別として、職種、分野を問いません。大手の証券会社でも、地元の八百屋さんでも大丈夫。でも、せっかくポジティヴで素敵な性格をもらったのですから、大きな夢にチャレンジしてみてください。ステージは大きいほうがいいでしょう。組織力を活かした仕事、スキルや能力がそのまま結果につながる仕事などであなたの個性は活きるでしょう。一般職より総合職をおすすめします。どんな分野で自分を活かしたいかを決めて、納得いくまでチャレンジすれば、自然と道は開けてきます。転職しても大丈夫。あなたが活きる道はたくさんあります。自信をもって進んでください。
Dedicate this song to my dear friends and their years. Pizzicato Five / Triste
僕はプロではないし、自分の好きなように文章を書いている人間なので、 実際にテーマや、期限や文字数が決められた文章を書くのは難しいかもしれない。 まぁでもしかし、僕にも僕なりに文章を書く流れ、というヤツがある。 まず、これは文章に書かなくても同じことだけれども、 ある一つのフレーズが頭に思い浮かぶことが多い。 それは具体的でも、抽象的でも、 自明の理でも、明らかに間違っていることでも良いのだけど、 とにかくなんらかの結論や、仮定が頭に浮かぶ。 例えば、
69tracksの2人のDJは、イベント開始当初から音楽性の違いは顕著だったが、その間に共鳴する物があったなんていうフレーズが浮かんだとする。 この時点で、それが本当かどうかはわからない。 何となく思ったことであって、調べてみたら全く違ったなんてこともある。 これを呆然と眺めてみると、頭の中にあった情報〔経験や知識〕が、 何となくその周りに集まってくる。 初期の頃掛けてた音楽ってどんなのだっけ… ああ、一人がNick Lowe、もう一人がGreen Dayか… 確かに二人のセンスが完全に一致しているというわけでは無いなぁ。 だからといって、違和感を感じなかったのは何でだろう? やっぱり、精神性的なものなのか。名前を付けるなら、『ロック』というような。
いや、でも、あの曲に関しては二人で取り合いになってたし もしかしたらそんなことはないかもしれんな… お互い、接している、重ね合っている部分は確かにあったんだ、 必ずしも、一致していなかったわけでもないか…何て事を考えていくと、 徐々に、頭の中に、自分が書こうとしていることのイメージができあがってくる。 このことを称して、 『何かの周りをぐるぐると回りながら、考えを構築する』 と僕は表現しているのだけど、 結局、いろんな方向から、いろんな見方で物事を見てみて、 それがどんな形をしているかをなるべく正確に、頭の中へ移築する。 もちろん、それが文章となって出てくるのはまた違う過程なのだけど、 意識的にしろ、無意識的にしろ、 まず頭の中になにがしかがないと、何も出ては来ない。 で、なんらかのイメージができあがったら、 今度はそれを描写していく。
そうか、ロックとはつまり、人と違う何かを求めること、 自分は自分であり、自分の姿勢を追い求めること、 でもその前にエンターテイメントが無くちゃいけない、 商業的という意味ではなく、すべてのベースにあるものでもある、 人と違う物を求めているようで、結局は流れに乗ろうとしてしまった姿が 一方の道をはずした姿だったのかもしれない、…表現が不適切だと思えば削除もする、 でも、多くの場合、前のセンテンスに刺激されて次のセンテンスが生まれる。 もし次に、
いやしかし、同じ音楽を長い間掛けることはロックだろうか、 もしそれが自分自身や、自分を取り巻く他の人間と同化してしまったら それは人と違う自分だけの自分を求めることにはならないだろう、 ん、でも、同じ曲を何年も演奏し続けるロック・バンドは? そのことだけで彼らがロックではない、といえるか? 彼らは誇りを持ってその曲を演奏し、それが自分たちであること、であり、 それと同時に、常に新しいことにも挑戦している…という文章が続いていれば、 どちらかだけを削除するのは難しい。 二つの文章はちょうど対の形になっていて、二つの文章はある程度、 極端に書かれている。 最終的には、この二つの範囲内のどこかに結論を求める文章を書く。 結局文章を書くという作業は、大方、イメージの作業だ。 だから文章が出てこないのは、腕が動かないからではない、 そうではなくて、まとまっていない、 少し非現実的な言い方をすれば、『時期が来ていない』のだ。 そのイメージがまとまりさえすれば、 それが何であるかを説明するのは誰にだって出来る。 目の前に鶏がいたとして、その鶏の様子を感動的に描写するのは難しいが、 その鶏の様子を列挙するのはそうでもない。 『白い羽根で、赤いとさかで…』 文章を書くときもそれと同じ。 極力、過程をシンプルにすること、それが重要だ。 論理の展開?そんな物は書くときには考える必要はない。 話す言葉とは違って、後で何度でも読み返せるのだから。 イメージが揺れない限り、結論も揺れないだろう。 ま、そうは言ってもね、そう簡単にイメージは作り上げられないけれどね。 いかに素早くイメージを熟成させられるか、 それは、経験と運、としか言いようがないね。
こんな記事が載っていた。
ITmediaニュース:研究対象としての「mixi」確かに僕も、mixi上でのコミュニティの広がり、 コミュニケーションの増加には非常に興味がある、 全く縁のなかった人が、ただネット上で触れただけで リアルでも繋がっていくという様は、正直自分でいてもおかしな現象だ。 また、僕自身は積極的に【コミュニティ】には参画していないけれど、 なんらかのコミュニティないで『顔』になっている人もいるし、 そんな中で知名度を上げる人もいる。 ただもちろん、mixiもコミュニケーションの一つ、 コミュニティの形のひとつであるわけで、 うまくいかない関係や、うまくいかない付き合いもあるだろうし、 必ずしもすべての面でメリットがあるわけではない。ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)に、社会学からアプローチする研究が始まっている。SNSのコミュニティーは、人間同士のつながりを把握できる貴重なサンプル。解析すれば、人脈の広がり方や情報の伝わり方の解明につながりそうだ。 SNS「mixi」の人脈ネットワークはどんな特性を持つのか――運営者のイー・マーキュリーから公式データを得た3グループが、このほど開かれた「社会情報学フェア2005」(京都大学)のワークショップで研究内容を発表した。
mixiは今後どう発展するだろうか。国立情報学研究所の大向一輝氏は「個人の“多重人格性”を保持しながら、サービスをどう進めるかが課題」と指摘する。ユーザーは現実社会で複数のコミュニティーに所属しており、コミュニティーごとにさまざまな“顔”を使い分けていることが多い。mixiは、すべてのマイミクに対して同じ顔しか見せられないため、マイミクが増えるにつれ息苦しくなってやめてしまうユーザーも少なくない。(同記事より)確かにこういう面はある。 閉じられたコミュニティだと思って、油断して日記を公開していると、 思わぬことに巻き込まれることもある。 人数が増えれば、当初は閉じられていたと思っていた中に、 オープンな環境ができあがってしまうのも当然だ。 本来はあくまで、自分自身を明らかにし、 クローズな場所でのオープンな自分を表現するような場所だったと思うけれど、 僕の友人でも匿名のユーザは多いし、 自分が自由に呼吸するためには、 なんらかの努力が必要な場所にもなりつつある。 いずれにせよ、社会学的に研究対象になり得るほど、 成熟してきたコミュニティ。 僕の周りにはあまり、ネットに熱心な友人がいなかったこともあって 初動は遅かったけれども、最近になって徐々に増えつつある。 どうなっていくんだろう…?
最近、非常に多い、大型の合併・吸収話。 それも、バブル期のような異業種がある業界に参入するための吸収ではなくて、 むしろ相性重視で、自社を強化するためのものが多い気がする。 で、今回はこれ。
ITmediaニュース:MicrosoftがAOLの多数株買収交渉――米紙報道AOLと言えば、一時はアメリカのネット通信を半ば支配していたような会社であり、 Netscapeを所有して、マイクロソフトとも戦えるような会社だったんだが、 通信システムの変遷(固定電話から携帯へ、アナログからADSL、光へ)に付いていけず、 Netscapeは何の成果も出せぬままで、 結局、TimeWarnerに吸収され、さらに最近では看板を下ろされるという始末。 Netscapeは既にスピンオフしているので、 今回の話とは恐らく関係ないが、 MSNと言えば独自の検索システムを完成させたし、 GoogleとMicrosoftの戦争の中で、重要な位置を占めるサービスだ。 僕自身は別にどうでもいいけれども、 Messengerやhotmailを中心にお世話になっている人は多そうだ。 今回の話は、戦争激化の引き金になるのか… スケールがでかすぎてなんかもう、よくわかんないけど。 続いて、Cnetよりこれ。報道によれば、米MicrosoftがAmerica Online(AOL)の多数株を取得する方向で、Time WarnerとMicrosoftの間で交渉が進展している。 New York Post紙はこの交渉に詳しい人物2人の話として、MicrosoftがAOLの多数株を取得する内容で両社が合意に近付いていると報じた。AOLをMicrosoftのWeb資産であるMSNに組み入れることを想定している。
キーボードのタイプ音から情報漏洩のおそれ–米研究者らが報告 – CNET Japan…? 話がよく飲み込めない。 本当だとすると、かなりスパイチックな話だが。新たな脆弱性が見つかった。それはキーボードをタイプする時の音だ。
な、なんだってー!(AA略 そうかーそうなのかー。 今はまだ、へーって感じだし、実際に集音されて、 クラックされる可能性は低いだろうけど、 将来的にはわかんないよね…すご。 前々からやばいな、と思ってたけど、 アジア人ってのはどうやらそういう『素養』がありそうだ。UCBの研究者らは、ユーザーがキーボードをタイプしているところを録音した10分ほどのサンプルをいくつか用意した。そして、あるアルゴリズムを使って分析した結果、入力された文字の最大96%を再現することができたという。
ITmediaニュース:ネットゲーム中毒に直面するアジア諸国今のところ、こうした警告は――たいていはたばこや酒などの中毒性のある商品向けだ――アジアで急速に人気を伸ばしているオンラインゲームでは見られない。 しかし、この状況は間もなく変わるかもしれない。この業界の急速な成長により、新たな世代の中毒が起きている――「StarCraft」をネットカフェで50時間プレイした後、心不全で死亡した韓国の男性のように。 報道によると、この28歳の男性はゲームをする時間を増やすために仕事を辞めた。そしてトイレと仮眠を取るためにしか席を離れなかったという。
中毒的な行動に関わる事件で、もう1つ話題になったものがある。6月に上海の熱心なゲーマーが、仮想アイテム「ドラゴンサーベル」を貸したゲーム仲間が勝手にそれを売却したとしてその仲間を刺殺、終身刑を言い渡された。
台湾メディアは、ネットカフェ通いを続けるために強盗に走ったという事件をよく報じている。
確かに、日本では、のめり込みすぎて人生を逸脱した、という話はあまり聞かない。 実際ゲームをしている人口は多いだろうし、 引きこもって熱中してる人も、決して少なくない気がするけれども、 それはあくまで逃避活動であって、 仕事を辞めたり、強盗をしたり、 まさに、ゲームのために積極的に行動を起こすのとは、 少し様相が変わっていると思う。 日本人はそういう精神性の元にいないのか? まぁ確かに、リネージュやってるときの、韓国人、中国人の執拗さ、 金儲けへの執着(アイテムを売って生計を立てているのだ)、 そういうのは、ほんっとーに凄かったもんな。 日本人なんて、どぎつい人でもまだまだ淡泊だよ。 ホントに。 最後に。近代のゲーム業界においては日本が草分けの地位にあるが、同国ではオンラインゲームよりもプレイステーションなどの家庭用ゲーム機で遊ぶ傾向が高いため、中毒はそれほど問題になっていないと、ゲーム雑誌を出版するエンタープレインの浜村弘一社長は語る。
ITmediaニュース:NY州警察もポッドキャスティングに進出うーむ。すごいね。 これをやってくれとは思わないけど、 姿勢が端的に示されてるような気がする。米ニューヨーク州警察(NYPD)が、ポッドキャスティングで最新ニュースの配信を始めた。市内の交通情報や防犯対策について、現場の警察官のインタビューなどを交えて伝えている。
そうこうしてるうちにこの時間か…。 改めてぐだぐだ書くのは、なんか格好悪いけどね。 しかし、それが俺だし、 むしろ、俺にしかできないことでもあるし。 もう少し。
ドラマ『電車男』、 正直言って、ドラマとか喜んでんじゃねーよ、と思ってたんですよね。 余計な演出とかいらねーんだよ、アレはアレがベストでアレで完結してるんだって。 勝手なコトして勝手に盛り上げてんじゃねーよってね。 こう…流行りもんに寄ってたかるの図が嫌で嫌で。 でも、ドラマ、なんだかんだ言って見てて、今日見て思ったんよね、 これは、別のモノだ、と。 むしろ、インスピレーションを受けて、作家が書き上げた、 もう一つのドラマなんだと。 なんていうかな、作り込み方がいい加減じゃない、つーか半端じゃない、 やたらと『オタク』『ちゃねら』をクローズアップしすぎてるのはどうかと思うけど、 心情的な部分では、十分に表現しきってるし、 なんかもう…呆れるほど細かいね。 なんでバーのBGMがO-ZONEなのかとか意味わかんねーけど、 なんであらゆる点で萌え系なのかわかんねーけど、 きちんと理解して練り上げた上で作られてる。仕事が細かい。 もちろん、ボタン一発で起動するPCとか、 掲示板でやたら自由自在にフォントサイズ変えられるとか、 AAの書き込みが一瞬で終わるとか、 理不尽な省略、演出はあるけどさ、 そんなことは些末なことでさ。 そっかー、 『原作』に拘りすぎてたのは俺だったなーって思うと、 逆に、当時の思いとかがよみがえりつつ、 これは、こういうモノだ、と思って改めて見ると、 うん、プライドもあって言えなかったが、面白いよ、このドラマ。 電車男がどうだったか、ということとは離れてさ、 (だから、どんな表現が行われても原作は一つも傷付けられない) あり得なさ、ひたむきさ、 過剰演出だけどでも確かにあった連帯感、感情の繋がり、 そういうモノをきちんと表現してくれてるのは、良かったなと。 単に、流行りもんでそれ素材で作ろうぜ、みたいなのではなく、 なんだろうな、それそのものに対する愛を感じて。 みょーに嬉しくなってしまった。 来週は最終回。 この時間に俺に電話してきたヤツはぬっころすぞ。 つーか電話されても多分、 『qあwせdrftgyふじこlp;@』 だと思うが(笑)