昨日の夢(2018/06/08)

ものすごくトイレに行きたい夢を見た。 こういうときは大体、リアルにトイレに行きたい状態にあって、起きてすぐにトイレに行くことが多いんだけど、昨日の朝は起きても別にそういう感じは無く、ただ股間になんとなく異物感を感じ、具体的に言うとなんらかの膨らみを股間のより背中側の方に感じ、寝ぼけた状態で「うわこれ漏らしたわ……」「41歳にもなって何を……」と思いつつハッと目が覚めて確認したら、なんのことはない掛け布団を両足で挟んで寝てただけだった。その微妙な柔らかみを「異物感」だと思ったのね。寝ぼけてるってすごい。ていうか怖い。そんなことで人に変な覚悟させないで欲しい。 時計見たら起きる時間の30分前で、びっくりして目が覚めたってほどでもなかったのでもう一回寝た。 でもなんで夢の中でトイレ行きたかったんだろう。謎だ。

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Twitterの鍵を解除した

Twitter

デジタル断捨離の一環として、Twitterに鍵を掛けていたのですが、結局それから2週間くらいで解除しました。理由は2つあって、1つはTwitter経由でもらうリアクションが思いのほか多かったこと、もう1つはツイートする機会は多くなくても何らかの情報を流す機会は結構あったこと。「誰かと繋がりたい」と思ってツイートすることはまあ無いにしても、ソーシャルブックマークを通して一言コメントすることは、ある程度、自分の知らない人にも届くかもという思いはあるわけで、じゃあまあ、鍵解除しておきますかという感じ。別に今から就活するわけじゃなし、かつてヘイトスピーチしてたわけでもなし、掘られて困るような過去のツイートはないし、これからも多分しないと思うので、まあ良いかなと。

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次期「iOS12」も iPhone5s に対応

WWDC 2018 3月に4年3ヶ月使ったiPhone5sからiPhone8に機種変更したのですが、その時は「次のiOSからはiPhone5sは非対応になる」と言われていました。まあ、2013年発売ですからね。仕方ない。 んで、今年のWWDCで新しいiOSとなる「iOS 12」が発表されたんですが、気になるその対応機種は以下の通り。

「iOS 12」発表 パフォーマンスの改善、自分の顔をアニ文字化、Siriのショートカットなど – ITmedia Mobile

対応機種は、iPhoneが「iPhone 5s」以降、iPadが「iPad mini 2」以降、iPodが「iPod touch(第6世代)」で、iOS 11と変わらない。2013年に発売されたiPhone 5sは、約6年にわたって最新OSが利用できることになる。  iOS 12は、パフォーマンスの改善が特徴の1つ。iOS 11.4とiOS 12のiPhone 6 Plusで比較した場合、カメラの起動速度は70%速く、アプリの起動は2倍速くなり、文字入力をする際のキーボードの表示は50%高速になったという。パフォーマンス改善は、iPhone 5sを含む全てのiOS 12対応機種が対象になる。

まだ対応してんじゃん! すごいなあ。 「多分、1年以内に時代遅れになってアプリとか最新バージョン入れられなくなっていくから」と説明した上で、彼女の人(現代日本では珍しい携帯を所持しない人。Wi-Fi専用端末として使わなくなった僕のiPhoneを使っている)にあげたんですけど、大丈夫あと1年は使える!よかったね。 まあハードウェア的な限界もあるし、iOS 12の目玉のパフォーマンス改善がどれくらい効果あるか微妙だけど、iPhone5sもパフォーマンス改善の対象になるらしいんで、少しはあるかな? スマホの更新サイクルは年々早くなってて、今は2,3年で「古いね」っていわれる時代だけど、その中で6年も最前線で使われるってすごくね?ミリタリの世界とかでありがちだけど、機械って長く使われるとメンテナンスノウハウとか安い交換パーツとか充実してきて、より延命させられるようになるんだけど、iPhone 5sもそんな感じする。考えてみればMacのノートはそんな感じだもんな。愛される機械って良いな。

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5月は妙に出費がかさんだ

割とどうでも良い個人的なお金の話なんですが。 今年度から公共料金を出来る限りとりまとめて僕のクレジットカードで支払うようにした(それまでは家計用の口座から引き落とされていた)ので、その分カードでの支払いが増えているというはあるのだけど、それにしても予定よりも諭吉さん3~4枚は出費がかさんでいる。どうしてこうなった?と思ったけど、まあ確かに色々あった。

  • 脳動脈解離でMRI → 1回当たり7,000円×2
  • 自転車の後輪タイヤ破損・交換 → 3,000円
  • 交換用タイヤ購入 → 7,500円
  • 自転車撤去で鍵買い直し → 5,000円
  • 自転車関連消耗費 → 3,500円
あ、もうこの時点で33,000円になってる。その他、IDを使うようになったことによる日常的な買いもの(缶ビールとか)がクレジット払いになったことや、夏用クロックスの購入などで最終的な出費になっている模様。 MRIは病気だし仕方がないし、自転車のタイヤの破損も(自分の作業が悪かった可能性はあるものの)経年劣化的側面があって仕方ない。自転車撤去は自分のせいとはいえ立ち読み20分の駐輪で撤去は事故みたいなものだし、交換用パーツや消耗費は定期的に必要になるものがたまたまこの時期に来ただけでいつかは必要になるものなので、やっぱり仕方ない。自転車にこだわろうとすると、それがロードじゃなくても結構お金掛かるんだよね…… 人生色々あるものだし、何も無いより何かあった方が「楽しい」のでいいんだけど、お金は必要になるのがツラい。特に旅行とか趣味とかで使うならまだしも、病気はなー。色んな病気を抱えている人が世の中にはたくさんいると思うけど、ほんと大変だなあと思う。闘病だけでなく費用の面でも。 あと、病気に関する費用もそうだし、定期的に必要になる消耗品費もそうなんだけど、こういう支払を「運が悪かった」「たまたまそうなっただけ」「一時的なもの」で片付けると、最終的に年間の予算と実際の消費が毎年合わないということになるんだよね。「たまたま起きること」にも確率があり、例えば2年に1回タイヤの交換が必要になるのであれば、交換が必要になったときに10,000円を臨時で計上するのではなくて、毎年5,000円ずつ積み立てることが必要という。マンションの修繕費とかと同じ。 そういう意味でざっくり溜めておいた貯金から都度取り崩すんじゃなくて(そうすると今回みたいによくわからなくなって検証が必要にある)、自転車関連で何かあったらこの財布から、病気したらこの財布から使うのよ、そういう財布を作って分けておいた方がいいのかも知れない。まあ、医療保険とか要するにそういうことだしな。 分けた予算をどこにどう保管するのかも含めて、ちょっと検討してみよ。

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蛍がいる川が綺麗なんじゃなく、綺麗な川に蛍がいるんだと思うのです

ちょっとねえ、地元の人たちが一生懸命やってることなんで今まで言いづらかったんですけど、でも実は毎年思ってます。京都の堀川って「川」って言ってますけどもうね、長いこと「川」じゃないんですよ。もともと運河として開削され、造営時(西暦800年頃)で12メートル、江戸時代後期でも9メートルの川幅がありましたが、戦後の市街地整備などを経て今出川~御池間以外は暗渠化され、昭和三十年代には水源を失い、以降はただの掘になりました。水流が復活したのは琵琶湖疎水の分流が流された2009年のこと、つまりここ10年のことです。 (以上「花の都 大路・小路」より) 水の流れる現在の堀川は確かに市民の憩いの場となっていて、意義のある事業だったなとは思うのですが、それでもこれは自然の川ではなくあくまで運河です。やごの放流は、流域で唯一「自然」がある一条通から今出川までの長さ200メートルほどの林で行われていますが(林と言っても幅1メートル深さ20センチほどの流れの両側に1本ずつ木が生えているような場所)、そこからすぐ北側は旧小川の暗渠に、すぐ南側はコンクリートで固められた側溝になっており、とても生きものが生息する環境とは言いがたいです。 そんな場所に生きものを放流することが果たして良いことなのだろうか。成虫になって我々の目を楽しませてくれると言うことは、そこまで成長できる環境(餌など)はあるということではあるのだろうけれど、でもなあ。そこで繁殖してこの狭く細長い雑木林にいついてくれるのだろうか。僕が想像力豊かすぎるだけなのかも知れないけれど、もし僕がここに放流された蛍だったとしたら、自分の運命の先の細さに絶望すると思うんですよね。まあ蛍にはそんなことはわからないだろうけれど。

水辺で夢をかなえる活動が進行中 町中でホタルが見たい!|リビング京都

改修工事の時に、行政も住民も皆で何度も川のあり方を話し合い、考え続けて出来上がった川。愛着があります。これから育つ子どもらには、堀川のホタルを通じて、都会の中でも自然を取り戻していけることを体験してもらえたらと思っています。そして、川を大切にする気持ちをもってほしい

そうなんですよねーその気持ちや活動の意義はすごいわかるんですけど、でも堀川でそれをやられても。メンテナンス性を考えると、固めてしまうほかないんだろうとは思いますが、現状あまりに側溝過ぎて、すぐ側が山で自然一杯の北白川とは違い、街中の広い通りのすぐ側にある凹みなんですよね。堀川って。もうちょっとなんとかなって欲しい。 ほんとに個人的な感情なので、堀川でのやごの放流反対とかそういうことではないんですが、ただあの場所に生きものを放流するということ自体に罪悪感を感じてしまうんですよ。幼虫を放流した。育った。蛍が観察できた。良かったね。じゃあまた来年放流しましょう。生きものと接するってそういうことだろうか。小学校の片隅にあるビオトープだってもうちょっと生態系がきちんとしているんじゃないだろうか。そういうことを子供に質問されたら、大人達はなんて返しているんだろうか。僕はひねた子供だったから、多分その場にいたらそういう質問をしてしまっていると思います。まず、生育環境を整えるのが先じゃないんですか?って。 蛍が成虫になったことを綺麗な川の証にするのではなく、綺麗な川にしてから蛍を放ちたい。そして小さくても良いから繁殖できる環境を整えたい。そういうことなら賛同できるし、そのために土を入れるとか植林するとか中途半端にある公園を潰してビオトープにしたいとか、そういうことなら手伝いたい。こういう環境を作るための活動をするというのであれば。 ホタルの生態のページです – 京都ほたるネットワーク でもただ放流するのはちょっと。そういうことじゃないんじゃないの。花火じゃないんだからさ。生命なんだよ。

ちなみに

明治、大正期の堀川ってこんな感じだったらしいです。 18.jpg京都市消防局より) 運河って言うから今みたいなやつの少し水多い版かと思ってたら、今と全然違うなあ。橋は中立売らしいですが、橋の向こう側には土手も見えるし、すごく川してる。こうなれば良いと思うんですけどねえ。でもそういう川にはしないっていうのが堀川水辺環境整備事業を通して行政と住民が話し合って決めたことだから、それは尊重したい。いろいろあるもんね。水害対策とか虫対策とか。しかしそのことと、蛍を望むこととは、やっぱりどこか矛盾している気がします。僕はあんまり好きじゃない。

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