道外れたところに強い敵を出して行動制限するのはRPGの伝統芸

昨日、ニコニコ動画見てたらこんな記事がヘッドラインに流れてきたので。



先日、5ちゃんねるに「最近のゲーム『ちょっと道外れたら絶対勝てない強い敵出てくるぞ、ほらリアルっしょw』」というスレッドが立っていた。スレ主は本文で「それいる?」とだけ書き込んでいる。

ゲームを遊んできた人たちなら「最近のゲームっていつの話してんだ」って思うぐらい、昔からこの傾向があったことを理解できることだろう。

(中略)

『新桃太郎伝説』とか橋を越えたら敵のランクも変わるし、その橋でのエンカウント率が異様に高いから緊張感も凄かった。ボロボロの状態でやっと新しい村を見つけたけど、そこに行くには橋を渡らないといけない状態とかもあって。

「最近のゲームはちょっと道外れたら勝てない敵が出てくる」という主張に感じたこと | ニコニコニュース


おっさんがマジレスするのもアレなんだけど、「新桃太郎伝説」(1993年)のこの仕様は「ドラゴンクエスト」(1986年)の仕様を踏襲したものでしょう。行けるんなら行っても良いけど行かん方がいいと思うぜー的なのって昔からあって、ゼルダだってそういうところあるし(盾が手に入るまで行かん方がいいとか)、かすかな記憶だけど子供の頃父親の仕事用PC98でやってた「ハイドライド」(1984年)もそんな感じのノリだった記憶があります。ゲームが英語でマニュアルもなくて全然わからなくて、遠出しては死んでたような。







リアルな敵の強さとは?

現実世界では道を外れる・外れないにかかわらず敵の強度はまばらだし、自分のレベルにあわせて進めば進行が順調に進むってわけでもないので、そうすればリアルってわけじゃ全然ないよね。もしリアル志向にするんであれば、別にダンジョンの1階層が弱いモンスターで深層が強いモンスターなんて割り振りにする必要もないし、強いモンスターだって街周辺に人間を狩りに出てくるだろうし、もっとカオスになるでしょうね。そうなるとゲームの進行どころじゃない。というか、進行のないゲームになる。

わかりやすくいえば「Minecraft」みたいな感じかな?「Minecraft」がリアルかどうかはさておき、敵の強さという点で言えばああいうことでしょう。運が悪ければリスポーン地点の横にダンジョンの入口があり入ってすぐのところにスケルトンスポナーがあって、まだ丸腰のところに無限にスケルトンが出てくるとかあり得るわけで。まあ、ベテランにとってはそのリスポーン地点は神立地ですが。







敵の強度で進行をコントロールする

結局のところそれだけなんですよね。「ドラゴンクエスト」なんかでも逃げまくって(もしくは序盤でひたすらスライムを倒しまくって)進行無視して先に進んじゃう、そして強い武器防具買って帰ってくるみたいな遊び方もあったけど、基本的には、レベルにあった敵と戦えるフィールド・ダンジョンで戦っていくと一番すんなり進行できますよっていう制作側からの演出ですよね。

「Skyrim」でも行動OKになった瞬間にほとんどのダンジョンに行けるけど(Skyrimはメインストーリー無視するのも自由だし)、序盤でドゥーマーの遺跡に行ってもツラいだけで良いことはないわけで、最初は素直に動物とかスケルトンとか狩ってるのがいい。「Skyrim」は衛兵を攻撃しないっていうルールもこれで決まってる気がする。倫理観も。衛兵めっちゃ強いし(序盤は)。







「親切設計」という「演出」

今とか昔とかではなくゲームってそういうもんだと思うし、「なぜ後になって出てくる敵の方が強いのか?」に対してストーリーで意味づけする(「封印されていた魔王が復活した」とか)ところまで含めての演出ってことなんじゃないかと思います。その「親切設計」が必要がどうかあるとしてもどれぐらい親切であるべきかというのはまた別の話ですけど。


なんて書いてたら久しぶりにSkyrimやりたくなってきた。DLC全部揃えてるけどほとんどちゃんとやってない。またやろうかなあ。いまMODとかどうなってるんだろう。