以前も書いたなあと思って遡ってみたら2014年のことでした。
昔から言われてきたのです。
雰囲気だけはある – NOBODY:PLACE
「雰囲気はある」
そこにいるだけで出来そうな、何かやってくれそうな雰囲気がある。大学の馬術部の時にも言われてたし、メトロでDJしてたときも言われてたし、厨房にいるときも言われてるし、多分そうなんだろうなあ。顔立ちなのか何なのか解らないですが、これはもう持って生まれたものなんでしょうね。
今から6年前、居酒屋の厨房で働き始めて1年ぐらいのことなので、そこでも何か言われたんだろうなあと思うんですけど、その記事内でも書いているとおり、なんだろうな、雰囲気がある人に対して人は何かを期待するんですよ。この人は何かやってくれそうだ、出来るに違いない的な。雰囲気のある料理人がカウンターの中にいたらそれだけでその人の料理は美味しいじゃないかと思えてきますよね。勝手な話ですが人の期待というのはそういうものです。
一方で、2014年の時点で言うなら僕は飲食業に対してほとんど素人であったわけで、ほんとに基本的な事もわかっていない状態。何かやってくれそうだどころか何も出来ない状態なので、期待に応えるどころではありません。もちろん期待にふさわしい仕事が出来るように努力はするんですけど、そうなるまでにまあね、「あ、意外と大したことないんだ」っていうリアクションを何度か挟むわけですよ。これがさー、ツラいんですよね。「見返してやる!」みたいな根性もないし……
「素人であると認めること」を常に大事に
そんな僕にとって唯一の対抗手段が、自分が素人であるということを包み隠さず明らかにすることです。どこに行ってもそう、何をやってもそう。今やってるパスタの勉強でも、知ったかぶりをせず知らないことは知らないといい、どんな相手であっても自分より知っていそうなら教えを請い、自分の見た目に甘えないようにすること。「出来そう」という雰囲気に甘える、つまり出来なくても黙っていれば少なくとも馬鹿にされることはありません。根拠のないリスペクトを受けたりもする。でもそれ、後になってしんどいんですよね。本当は出来ないから、ばれないように泥縄で必死に勉強して印象を繋ぐしかない。誰にも相談できないから勉強の効率も悪い。一言、「わからないので教えてください」と言えればすぐに解決することに、何日もかかったりする。誰の得にもならない。
今の職場でも絶対に譲らないスタンスとして、僕は初心者であり(実際、イタリアンの調理方法についてプロのレベルにおいてはほとんど知らないと言って良い。技術もない)、相手が「もう大丈夫だろう」と思っていたとしても自分が確信を持てるまで質問をし続けるというスタンスを取っています。知ったかぶって最終的に迷惑を掛けるのはお客様ですしね。
仕事以外では、がっかりに慣れるしかない
例えばカラオケとか、ボウリングとか、ダーツとか、なんかこうやる前の雰囲気とやったあとの結果とのバランスが取れないだろうなということは多いんですけど、それはもう仕方ない。仕事ならともかく私生活の色んなことについていちいち言い訳をしながら生きていくわけにはいかないし、かといって何でもかんでも上手くやろうと必死になる必要もないし、自分と外との関係性はそんなもんだと諦めて慣れていくしかないんです。人はどうしたってそういう雰囲気で人を判断してしまうものだしなあ。ただ少なくとも仕事においては、今、「雰囲気だけ」であることが近い将来中身も伴っていくように努力していきたい。そう思って日々過ごしています。あー、すべての要素がガチッとハマった状態で「これは出来るようになった」と思えるのはいつになるのかなあ。今の感触では今の状態を1ヶ月ほど続ければ色んなことがわかってくるだろうという感じなんですけど、果たしてそこまで行けるかどうか。うーむ。