京都街中住宅地の貧富の差。大家と借家人。

京都というのは不思議な街でして、中規模サイズの都市であるにもかかわらず明確な商業地域というのがありません。基本的に商業地域と住宅地が一体化していて、街全体に広がっています。なので、よくある地方都市と同じような認識で京都に来ると、街のサイズがよくわからなくて混乱します。「京都って思ったより街が狭いよね」という感想を口にしている人は大体このタイプです。ビルが集積しているところだけが街だと思ってしまうんですね。違うんですよ。



混在し一体化してこその京都

このことと似たような話として、比較的裕福な人の住宅とスラム的な住宅とが混在しているという特徴もあります。京都のイメージとして格子がはめられた京町家が連なる街並みというのがあると思いますが、あれはいわゆる「表の顔」であり、広さによって商家だったり、比較的裕福な人たちの住居だったり、中流の人たちの住居だったりします。一般的に大きな路地に面している住居は裕福な人たちや商家、狭い路地に面している住居は中流の人たちの住居です。



表があれば裏がある

で、表からは見えづらくなっているのですが、京都の街並みには「裏の顔」があります。京町家というのは長方形の区画に対して通りに面した土地から順番に開発されていくので、どうしても真ん中が余りがちになります。そこを大きな家が占めたり、寺が出来たりと言うこともありますが、中心部から少し離れた地区でよく見られるのは、その真ん中に古くて狭い住居や長屋が作られている光景です。京町家のように評価されないけれど京町家と同等ぐらいに古く(築50年以上)、場所によっては今も風呂がない。陽も差さない。

簡単に言えば、その一帯の土地を所有している大家(寺である場合も多い)がいて、通り沿いに比較的使いやすい京町家の長屋を作っていき、余った土地により狭い貧しい人たち向けの長屋を作り、余すところなく土地・建物を貸して収益を得るとまあそういうことですね。限られた土地を有効に活用し、かつ、色んな階層の人に住居を提供出来るという点でとても合理的です。




(ノーバート・ショウナワー「世界のすまい6000年 2東洋の都市住居」より引用)


差別に対する意識があるのか、京町家に関する文献でそのことについて言及しているものを目にしたことはほとんどありませんが(1冊だけ街並みの成立を図解してくれていた書籍があったはずなのだけど見当たらず)、「裏の顔」も合わせて知ってこその京都の街並みです。僕としては、表の綺麗な顔ばかりを京都だと、京都人ですら思っているのはちょっと違うなあと感じています。まあ、そういうものを隠したがるのも京都っぽいと言えばそうなのかも知れませんが。



ちなみに最近では

京都の街も京町家の老朽化と建て替えが進み、「裏の顔」も徐々に姿を消しつつあります。そもそも真ん中の土地に建てられた建物は、消防法の関係から一度壊して建て替えることは出来ないんですね。なので、大家としても真ん中だけを壊しても使い道がないので、通りに面した建物も一体的に取り壊した上でマンションを建てたり、区画を整理し直して建て売り住居を建てたり、結局使い道がなくて駐車場にしたりしています。

在宅勤務になってから昼休みに西陣の街をいろいろと歩いて回るのが習慣になっていますが(いいかげん歩きすぎて通報されそう)、古いままの街並みは意外なほど多く、そこにはもちろん生活している人たちがいて、そしてそれは表に見える人たちよりももしかするとたくさんの人たちがいて、ああ、これこそが京都なのかも知れないなと、そう思うようになりました。僕に言わせれば、綺麗に保存されメディアで紹介されている「京町家」なんて、京都人の生活のごく一部でしかありませんし、上流階級の生活です。一般大衆の生活はあんなに華やかではありません。


京都って、そういう街です。