「弔い上げ」

菊のイラスト「黄色い菊」
「七回忌」「十三回忌」といった、命日に行われる仏教の法要のこと「年忌」というらしいのですが、その「年忌」をここで終わりにして以降は行わないということを「弔い上げ」というそうです。



仏教では、亡くなって33年経つとどんな罪を犯した人でも、無罪放免となって極楽浄土に行けるという考え方がありますが、このことから、亡くなった人は、個性を失いご先祖様として信奉されるようになります。

このため弔い上げをした場合は、今後年忌法要はしないのでお寺に永代供養をお願いすることになります。永代供養をする場合はお寺に永代供養料を収めます。永代供養料は寺によりまちまちなので住職に相談する場合もあります。

弔い上げとはなんのこと?|墓石ナビ



それを初めて知ったのは石原軍団解散の記事だったりするわけですが。



石原プロは1963年に設立され、裕次郎自身が社長に就任。渡哲也や舘ひろしが合流し、所属タレントたちは「石原軍団」と呼ばれるようになったのは知られた通り。裕次郎亡き後も事務所は存続となったが、これには異論もあったようだ。石原プロ関係者はこう振り返る。

「もともと裕次郎さんは『自分が死んだら石原プロを閉じろ』との遺言を残していたと言われており、渡さんをはじめとする『石原軍団』のメンバーにも、“なるべく早く会社を畳むべき”だとの考えを持つ人が多かった」

 とはいえ、石原プロを存続させることが“裕ママ”ことまき子未亡人の生活を支えることになるとの考えから、会社は残されてきたのだ。

 それでも、これまで女性誌などで幾度も「解散説」が報じられてきたが、今回、それが最終決定されたという。

「会社を完全に閉じるのは来年1月頃の予定。その際、会見を開くことは今のところ考えていません」(同)

 そのきっかけの一つになったと目されるのが、昨年の裕次郎の「弔い上げ」だ。

「昨年、横浜の総持寺で裕次郎さんの三十三回忌の法要が営まれた際に、まき子さんから『今年をもって弔い上げとします』との話がありました」(同)

「石原プロ」解散へ 裕次郎の“弔い上げ”機に…関連会社も精算済み | デイリー新潮



「三十三回忌」ってようは死後32年後のことなわけで、若くして亡くなられた人の場合は「三十三回忌」でも知人が多くいるかも知れないけれど、例えば長生きされた方の場合「三十三回忌」っていうともうお子さんでさえだいぶ歳を取り親戚縁者もほとんど残ってない。昔はそんなに長生きする社会ではなかったのでそれで良かったんだろうけど、今みたいに長生きする社会だと長く年忌を重ねるのは結構しんどいかも知れないですね。


お寺さんには薄情だって言われるかも知れないけれど、今の時代は「十三回忌」ぐらいで弔い上げで良いんじゃないのっていう気もします。そういうわけにはいかないんだろうけど。