飲食店を営業するために考えておきたいこと

パルプモールドのイラスト(お弁当)
新型コロナウイルスの流行で多くの飲食店が苦境に立たされている昨今ですが、そんな最中知り合いの飲食店店主が「飲食店を閉店して有料会員制のサロンに改組し、今後は自分の目のゆき届く範囲の人だけに料理を提供する」という主旨のお知らせを出していました。いろいろと事情があってスタッフが安定しないなどの問題があったところへ、2020年3月からの新型コロナウイルス流行という流れで、今までの営業形態を諦めるとともに自分がやりたい(やりたかった)形式での営業形態へ移行するということだそうです。


このような営業形態は僕が目指す飲食店とは全く違うものなので、個人的には全く賛同しませんし会員になることもありませんが(もう行くこともないでしょう)、店主がすべてのやり方を決定できるというのが個店の良さですから、その決定について特に反対意見もありません。かつての発言と矛盾しているところも、その矛盾する点すべてが何年か掛けて心が折れていった過程を映し出しているのだと思うと感慨深いものがあります。長年飲食店を運営し、様々な問題にぶち当たり、自分の限界を感じながらそれでもやれることを模索していった結果がこれならば、今後どんな結果が待ち受けることになろうと、それは店主にとって正解なのだろうな、と感じています。



「お知らせ」に関して僕が言いたいことは以上です。




商売をする上で大事にしたいこと

非常に質の高いサービスを提供する料亭やレストランなどにおいては、会員制に近いシステム(予約制だが常連の紹介がないと予約できないなど)が取られているところや、席数を極端に絞って予約を取ること自体を非常に難しくしているところもあります。実際そういう方針が店の質や「格」の維持に役立っていると思いますし、世の中にはそういう店の存在価値というのも確かにあるのだと思います。今日来て下さるお客様の顔を思い浮かべながら仕込みをし、季節のしつらえを整え、店を準備してお迎えする。それもまた素晴らしいことでしょう。あまり詳しくはありませんが「茶道」「華道」的なセンスを感じます(和だけでなく高級レストランでも同じです、念のため)。


一方で僕個人の活動にそういう要素を持ち込みたいか?と問われれば、瞬間出てくる答えは「ノー」です。誰が来ても構わない、とまでは思いません。例えば時間を掛けて仕込んだスパイスカレーに、持参のとんかつソースとマヨネーズをジャバジャバ掛けて混ぜて食うヤツが来たときには、退出いただくことを考えるかもしれません。ただそういうことを含めて僕に出来ることは「出来ることをすべてやって選んで頂く」そういうことだと思うのです。先ほどのジャバジャバな人に対しては「そんなことするな!」ではなく、自家製のソースとマヨネーズを提供するような店でありたい。

より多くの人が満足して帰る顔を見るために店を開ける。中には残念ながらお口に合わない人もいるでしょう、そういう方は二度と来られないかも知れません。でも次にまた来てくれる人を大事にしながら、また次に来てくれる人に満足いただけるように必死に考えながら、そして「割に合わねえなこれ」と苦笑いしながら仕込みをする。僕はそういう店でありたい。



大事なのは継続すること

青臭い考えかも知れませんし、いつまでもそれでは続かないと思われるかも知れない。でもそれを諦めてしまうなら、僕には飲食をやる理由がないんですよね。そして実際、多くの飲食店がそういう店を目指して営業していることを知っています。妥協をしていないのは自分だけではありません。本当に多くの飲食店が、こだわって手づくりして手間を掛けて料理を提供しています。利益率は低いかも知れないし、仕込みの時間は長いかも知れない。でも自分で店をやる以上、それがなかったらやる意味がないじゃないですか。それこそが飲食店を開く理由だと思うんです。それが無かったら僕は飲食業界に入ろうとは思わなかったし、今でもすぐ辞めます。

以前まだ飲食業界に入る前、友達のつてで紹介してもらったとある飲食店のオーナーに相談していたとき、将来やりたい店のイメージについて「健康に良い野菜を使って……」と話したところで「ウチだって無農薬野菜使ってるよ。言ってないけど」と笑われました。笑われた理由は「そんな誰でも出来ることはなんの売りにもならない」という意味だったんだろうと理解していますし、当然です。みんな頑張ってるんです。あなただけではない。それが店主のモチベーションがなくなってしまったり、手間を掛ける人手が足りなくなったりして諦めなければならなくなる。


以前いた居酒屋では売上の減少と人手不足が顕著で、聞いたところによると市販品の利用と仕込みの外注が増えているそうです。ああ、そうなってしまったか。元々は、一番出汁やソースやドレッシングはもちろん、デザートのシャーベットもガーリックチップも、出来るものはすべて自分たちで用意するというのが店のプライドであったのに(当時の店長はあろうことかカラスミまで自作してました)、それも今や風前の灯火。プライドが効率にガリガリと削られる中で、効率を取るのか(以前いた居酒屋の選択)、もしくは営業自体を諦めてしまうか(知り合いの飲食店の選択)、結局はそういうところに追い込まれてしまうものなのかもしれません。



大事なことはみんな大事だと思っていることをいかに継続するか、ってことです。例え結末がそうであったとしても、それでもトライするだけの価値がある。僕はそう思うんです。



僕は、こうありたい。

毎回素敵な定食屋を紹介する大平一枝さんのCakesコラム「そこに定食屋があるかぎり。」の「大当たり定食屋を見極める、意外なポイント10【取材こぼれ話】」という回で、「大当たりの店に当てはまる定義」を大平さんが独断で選定しています。これが本当に魅力的でびっくりする。

大当たり定食屋を見極める、意外なポイント10【取材こぼれ話】|そこに定食屋があるかぎり。|大平一枝|cakes(ケイクス)


記事は基本的に有料(公開直後だけ無料)なので引用することは出来ませんが、気になったポイントを3つだけ抜き出すと、


  • 旬の食材を出すためメニューの入れ替わりが多い
  • 客数をこなすために厨房の道具や器が整理されている
  • 味噌汁やぬか漬けなどサイドのものに手を抜かない

なるべく多くの人に満足して頂くために妥協するポイントは、質や手間ではないということだと思うんです。大平さんの連載を読んでいる人ならわかるけれど、東京だけでも素晴らしい経営を何十年も実践している店が何軒もある。まあ自宅兼店舗という店が多いのかもしれませんけれど、そうじゃない店もたくさんあるし、不可能なことじゃないと思うんですよ。アプローチの仕方はとてもたくさんある。僕はそうであることを諦めない。


このタイミングで大平さんの記事を読んで、もう一度強く思いました。僕がしたいのはそういう生き方だと。それが形になるのがいつになるのか、現時点ではまだ朧気にしか見えていませんが、いつか必ず辿り着きたいとそう思っています。