これがかの有名な「御土居」だったか【京都】

前回、暗渠化した河川がどうやら若狭川だったらしいということがわかりました。


この暗渠らしきものは何川?【京都】 – NOBODY:PLACE


実はこれが若狭川だとわかったのは、記事をだいぶ書き進めてしまったあとのことで、最初はこれ、「御土居」の外堀だと思ってました。



御土居?

御土居(おどい)というのはかつて京都を囲むように築かれていた土塁のことです。作ったのは豊臣秀吉。京都への入口を制限するために設けられたそうで、戦乱で曖昧になっていた洛中をはっきりさせるために、この内側を洛中、外側を洛外と改めて呼んだそうです。今で言えば鷹峯や西賀茂は洛外ということになりますし、紫竹は洛中の北の果てということになりますね。また「鞍馬口」「丹波口」などは、この御土居に設けられた洛外と洛中を繋ぐ入口だったそう。そうだったのか。


京都市:御土居


そういう話はぼんやり聞いたことあったような気がするんですが、今でもこんなにたくさん遺構が残ってるなんて知りませんでした。さすが京都。遺構が残っていなくても周りより一段高いまま住宅地化されている場所もあり、それもまたさすが京都という感じです。



今でもこんなに残ってるなんて知らなかった

で、その暗渠が堀川にぶつかるところの横にはこんな感じでその名残があります。





名残はいくつか存在していてそれらを繋ぐとおおよそこんな感じになります(赤線)。僕が気になっていた歩道化された「暗渠」は上流からこんな感じに流れてきて、御土居に沿う形で加茂川に注いでいるわけですね(青線)。





深夜に走りながら鷹峯とか見物に行くのはちょっと厳しいものがありますが、この話で興味が出てこんな本も買ってしまったので、もし機会があったら見に行ってみたいものです。大宮交通公園なら入れるみたいですしね。