【映画】自分の「映画舌」がジャンクであることを実感した【パラサイト】

話題の韓国映画「パラサイト」を見に行きました。軽妙なタッチで貧富の差を描きつつ、サスペンス的な要素も絡んでくるなかなかに濃い内容の映画であり、評価されるのもわかる面白い映画でしたが、「貧富の差を描く」というテーマ設定から予想出来たことではありましたが最終的には重い展開になっていくわけで、「最初から最後まで軽妙なタッチで行ってくれたらもっと満足出来た」が素直な個人的感想でした。



きっと、ハリウッドエンタメ的な映画が好きなんだなと

自分でも認めざるを得ないんですが、こう、


  • 社会問題を鋭くえぐり出すような映画
  • 社会風刺的な映画
  • 苦しい生活を強いられる人に光を当てる映画
  • 人間社会の悲惨さを描く映画

そういう映画を見るのが苦手です。

そういったことを知るのは大事なことだと思うんです。映画を見たあと何かアクションを起こせたら尚良い、でもねえ、僕にとっての映画というのは、あくまでエンターテイメント、見終わって「あー面白かった」と明るい気分になって映画館を出て日常に戻るべきためのもの、らしいです。それが例え「そんな映画くだらないよ」と言われてしまうような、商業的なエンタメ映画であったとしても、好きなんですよねえ。

「厳しい生活をしてるから今さら見てられない」なんてことは言いません。映画で描かれているような厳しさは僕の生活にはないし。そうではなくシンプルに映画に関する感度が鈍いんだと思うんですよね。



「ジャンクフード」

食べものに関する感度で言うと、食材や調理法にこだわって作った繊細できめ細かい美食よりも、時間とコスト重視で作られたファーストフードの方を好んでしまう的な。もしくは濃いめの味付けで満足感重視で作られたジャンクな料理を好んでしまう的な。そういう感じ。

シリアスなヤツとか繊細なヤツとかオシャレなヤツとか、「美味しいんだろうな」とは思うし実際食べてみると美味しく感じるんだけれど、どこか満足感が足りずに帰り道にマクドナルドでテイクアウトみたいな。帰りにファミマでファミチキ買って「こっちのが全然好きだな」とか言っちゃうような。一流シェフの料理にウスターソース掛けちゃうような。映画が評価されるのは理解出来るんですけど、僕には合わないんだなあという。



もしくは描き方の問題?

考えてみれば映画「焼肉ドラゴン」も貧富の差や差別を描き、命を落とす場面があり、重さも抱えながらの進行であったのだけど、でもそっちはなぜか好きなんですよね。大泉さんがさすがだったというのもあるけれど、それよりも最後の描き方が希望に満ちていたから、かなあ。完全に救いがあったか?といわれるとその後の北朝鮮とか考えて微妙な部分もあるけれど、でもやはり最後は明日に向かっている感じがわかりやすくて明るい気持ちで映画館を出れた。

「パラサイト」にもそういう部分はあるけれど、希望との距離感が違う。希望のようなものは見出したけれど実現する可能性はとても小さく、それを追いながらも目の前の厳しい現実をどう乗り越えるのか?という部分にばかり目がいってしまう。

映画好きな人に馬鹿にされるのを承知で書くと、視聴後にスッキリ明るくなる奴が好きなんでしょうね。見た後に心に何かが残ってしまうのが好きではない。そう簡単に忘れられるような性分でもないしね。それならまだ何も残らないほうがいい。バカバカしい勧善懲悪であってもね。



で、どうなの

そうですね。面白かったですよ。韓国映画らしいといえばそうかもしれない。そういうのが好きな人にはよく合うかなと思います。心象描写も上手だし、展開の緩急も良いし。もし僕と同じように明るくなる映画が見たいという人にはお勧めできません。一緒に「バーフバリ」でも見ましょう。