【今日のニュースから】ダイエーの歴史を振り返るITmediaの記事が面白い

朝、出勤前にニュースをチェックしていたら、こんな記事が出てました。



再建途上のダイエーが復活へと向かっている。2019年度第3四半期決算(19年4~12月)では、営業損失が19億円の赤字だった。しかし、前年同期の赤字は44億円だったので、大幅に赤字額が圧縮された。営業収益は2222億円で、5.1%伸びている。かつて3兆円を超えた年商と比較すれば寂しいが、着実に改革が進んでいる。

 18年度はトータルで40億円の赤字だったが、前年度における52億円の赤字より改善している。第4四半期単独に限ると5億円の黒字化に成功しており、明るい兆しが出ている。通年での黒字化も近いだろう。

赤字に苦しんできたダイエーに“復活”の兆し 流通帝国の崩壊から黒字化までの道のりをたどる (1/6) – ITmedia ビジネスオンライン


まあ復活と言ったって今はイオンの完全子会社なわけだし、スーパーマーケットとしての再生といっても中身は実質イオンなわけだし、あくまで「単体で黒字になりそう」なだけでダイエーとして復活というわけではないよね。記事内でも詳しく書かれているけれど、全盛期のダイエーはとにかくすごい。

ちょっと抜粋してみる。


ダイエー1号店は1957年、大阪市旭区にある京阪・千林駅前の商店街の一角に「主婦の店・ダイエー薬局」(のちの千林駅前店、既に閉店)としてオープンしている。当初は化粧品、薬品、雑貨、菓子などを売る店だった。

(中略)

72年には三越を抜いて小売業界日本一に君臨。東証一部に上場も果たした。

(中略)

安価を実現するために、PBを展開するのに当初から熱心で、61年に上島珈琲と提携して「ダイエーインスタントコーヒー」を発売している。こうした実験的な取り組みの後、「セービング」のPBブランドが確立するが、大手メーカーの製品を模したお粗末なものも少なくなかった。

(中略)

ディスカウントストアの「ビッグ・エー」を設立し、食品スーパー「マルエツ」を買収。ビーグ・エーとマルエツは、今は分離されイオン傘下となっている。現在は全店閉店したが大型ディスカウントストアの「トポス」や、コストコをベンチマークした会員制スーパーの「コウズ」なども展開。米国の流通をよく研究し、数多くの業態を開発した。

(中略)

コンビニの「ローソン」、持ち帰り弁当の「ほっかほっか亭」といった中食のリーダー格となる企業を創業。ネットワークビジネス、アムウェイの日本版「エックスワン」もダイエーが生み出した企業だ。

(中略)

東証一部に上場した英国風パブの「ハブ」をはじめ、ハンバーガーの「ドムドムハンバーガー」と「ウェンディーズ」、ハンバーグ主力のファミレス「ビッグボーイ」、ステーキハウス「フォルクス」、消滅したが牛丼「神戸らんぷ亭」などを、自力または米国企業と提携して立ち上げた。

(中略)

神戸の流通科学大学は、流通業の未来を担う人材育成のため中内氏が設立した大学だ。

(中略)

リクルートは一時期、ダイエーの傘下だった。現在は福岡ソフトバンクホークスとなっている球団を、南海電鉄から買収して保有していた。老舗ホテルの「オリエンタルホテル」や、パチンコチェーンの「パンドラ」、ハワイを代表する「アラモアナ・ショッピングセンター」も買収して傘下としていた。

(中略)

今はもう存在しないものでは、百貨店の「プランタン」をフランスの老舗プランタンと提携して設立。ミシンメーカーの「リッカー」、遊園地の「小山ゆうえんち」、「奈良ドリームランド」を傘下に収めていたこともある。

赤字に苦しんできたダイエーに“復活”の兆し 流通帝国の崩壊から黒字化までの道のりをたどる (1/6) – ITmedia ビジネスオンライン


なんかもう小売業じゃないし、下手すると今のイオンよりすごい。未成熟でクオリティが低かったとは言え、PB商品に目を付けたのは明らかに20年は先に行っているし、いろんな業態を開発する創造性もすごい。もし不動産に対する投資の割合がもっと低くバブルの影響が小さければ、今でも第一線で活躍できてた企業なんじゃないかなと思う。



僕は関西育ちではないからそれほどダイエーと接点があったわけではなく、個人的なダイエーに関する印象というと次の2つ。



ダイエーホークス

なぜかわからないけれど(家にたくさんあった「あぶさん」のせいかもしれない)、高校生ぐらいから南海ホークスが好きで、そのあとを引き継いだダイエーホークスも好きで、ダイエーホークスが福岡に行ったあとも好きで、後にソフトバンクホークスになってからも好き。僕にとってダイエーは、なくなりそうだったホークスを救ってくれた恩人でもある。今思えば関西のローカル鉄道である南海電鉄にはちと荷が重かったろうし、関西発で大企業になったダイエーが後をになうのは自然な流れだった気もする。





サカエ新京極店

もうひとつの思い出は、かつて京都・六角新京極にあった「サカエ新京極店」(元京都松竹、現ホテルグレイスリー京都三条)。のちに「グルメシティ」に変わりましたが、2014年に閉店するまで47年間にわたって営業していました。

前住んでいたマンションに引っ越した当時、付近にスーパーがあまりなく(その後、フレスコ御池が出来て超便利になった)、様々な商品を買い出しに行くというと「サカエ」だったんですが、これがねー。あらゆる生鮮食品の質が悪く、従業員の態度も悪く、店もただ広いだけで使いづらく(元がボウリング場だし)、リッチ以外に良い点が何も無い凄い店だったんですけど、それでも生鮮食品以外の製品は割安で買いやすかったので良く行ってました。

印象的だったのは閉店間際。閉店2時間ぐらい前からおそうざいの安売りセールが始まるんですけど、この時間帯になると付近から高齢者がものすごい勢いで集まってきて大変な混みようになります。このへんの高齢者の夕食の時間はサカエのセール時間で決まってるんじゃないかと思うぐらい。みなさんそんなに毎日揚げ物と巻き寿司ばかり食べて大丈夫ですか?と思うんだけど、でもみんな好きなんだよなあ裕福には見えない高齢者がお惣菜コーナーの割引品に群がってるのはちょっとしたディストピアですよ。あれはすごかったなあ。正直怖かったです。



いずれ本当に復活する日は来るんだろうか

もしかしたらイオンの小売りブランドとしては復活する日は来るのかも知れません。でも真の意味でダイエーが復活することはもうないんでしょうね。今の小売業界にそこまでのパワーがあるようにも見えないし、記事タイトルでわざわざ「“復活”」と書いてるのもそういう意味なんでしょう。この記事を読んで、むしろもうダイエーは歴史になってしまってるんだなあと実感しました。昭和も遠くなりにけり。