「ごめんね」と彼は言った
なんでこの話を思い出したか忘れちゃったけど、高校3年生の時に言われた友達のセリフを思い出した。もう時効だと思うので、記録がてら書いておく。
高校1年の頃、すごく仲良くしていた女の子がいて、今思うとお互いに好きだったんだと思うんだけど、当時の僕はどうもそういうのが苦手……というかどうも引っ込み思案な感じもあったし、中学の時に好きだった女の子を忘れられなかったというのもあったし、結局、告白するとか付き合うとかいうことはなくて、そのまま2年生になって別のクラスになって疎遠に。そうこうしているうちに、その女の子が、高1の時に同じクラスだった他の男の子と付き合い始めたと聞いた。
ショックもあったけど、まあうーん。割と「仕方が無い」で諦めていたような気がする。高1のクラスはクラス全員が異常に仲が良いクラスで、夏にクラス全員で集まって遊んだり、年末年始に忘年会や新年会をやったりするようなクラスだったので、まあ、そうなることもあるよねっていうね。
で、高校2年の年末に忘年会があって、その友達に言われたセリフが「彼女、取っちゃってゴメンな。」で、それは別に上から目線で言ったセリフとかではなくて、そういう奴じゃないので、なんかよくわかんないけど筋通しておかないとみたいな感じか。気にしてたんだろうなー。僕としては別に付き合っていたわけでもないし、そう言われる筋合いもないなーという感じだったのだけど、そのセリフの面白さだけが印象に残ってる。
ちなみにその女の子は、カナダ人と結婚して今はカナダに住んでてもう何年も連絡取ってない。確か結婚する前に1回くらい京都で飲んだかな。15年くらい前。男の子の方はもう長らく会ってないなあ。そろそろ高1の時のクラスでクラス会とかやっても良いと思うんだけど、いやもしかしたらやってるけど、僕が静岡に帰らないだけかも知れない。わからんけど。なんかあったらけいちゃんくらい連絡してくれるか。わからんけど。
それにしても、高校生の考えることってなんかわかんないなー。
ある日のこと。
一緒に働いている、普段は大人しくて地味目なおばさん(60代)がすごく張り切って働いていて、んまあ張り切ってって言うとポジティブなんだけど正直に言えば思いっきり空回っていて、あんまり強く言って逆にテンション落としちゃっても面倒なので、なだめつつコントロールしつつ働いてました。まあ、おばさんも人間なんだから調子の良いとき・悪いとき、落ち着いてるとき・余裕のないとき、いろいろあるよね。
そんなことを思いながら、まかないを作りつつ他のおばさんに「今日あの人なんだかすごい張り切ってますね」っつって話振ってみたら、「そりゃそうだよー」というリアクション。はっきりとは聞かなかったけれど、どうやらまあ、一緒に入っている男性(妻子孫あり)のことが「お気に入り」で、それでいいところを見せようと頑張っているってことらしい。あらま。失礼な話だけれども、年を重ねたらそういうのってないのかと思ってました。よくよく考えたらば、老人ホームでの色恋沙汰みたいな話を聞くこともあるし、今ここで何らかの人間関係があっても不思議ではないか。そうですか。
幸いというか残念ながらというか、相手の男性はそういうことを考えてもいないっぽいので、これが何らかの社内トラブルとか揉め事とか下世話な話とかになることないとは思うけれど、その話をした友達のひとこと「女の性欲は灰までって言いますからね」。いいぐさwww聞いたことないけどそういう慣用句あんのwww
「いい加減あれ、何とかした方が良いですよね」という類の愚痴を聞き続けて数ヶ月になるのだけど、「それ」をどうしたいと提案した結果どうなったのか、もしくはなぜ採用されないのか、その判断を誰がしたのか、といった具体的な話が出てくることがなく、あいかわらず「いい加減あれ、何とかした方が良いですよね」「こうすればいいのにね」という社員同士の他人事な会話ばかりが聞こえてくるのがさすがに気になってきたので、バイトの立場から見てて思うのですけど、という前置きをした上で、「それで、それ誰がやるんですか?誰が決めたら出来るんですか?」と質問してみました。答えとして、現場にいる下っ端の社員の名前が出てきたけど、いやそれ絶対違いますよね?
一般的には是非の判断、決定権は管理者、この場合であれば店長にあるはずで、店長の決断を持って必要であれば社長の決裁を受けるというのが普通の仕事の流れのはず。というか、下っ端社員にはそもそもそんなことを独断で進められる権限は与えられていないはずで、いつまでも物事が動かない責任を現場の彼に着せるのはさすがにお門違い。
誰に決定権や責任があるのかをはっきりさせることを避けたり、上手く進んでいないことの責任を偉い人に持っていくことを避けたりするのは、日本的だなあと思う一方で、会社組織としては悪い習慣だと思うのですよね。そういうところなんだと思うんですよ。組織の小ささや、決定権を持つ人との近さを生かし切れていないところは。組織が小さいと言うことは、誰が責任者か解らないけど絶対進めた方が良いと思う案件について「僕が責任取ります」と手を上げることが出来るというメリットを持つはずなので。
別に社員が怠惰というわけではなく、やる気が無いわけでも責任感が無いわけでもないのですけど、ただそういうことを会社としてどういう手続きで決定していくか曖昧な部分があって、下手に何かすると怒られるんで言わないみたいな空気感があるような。社員じゃないんで見た感じそうかなというだけなんですけど、なんとなく。言ってみれば僕だって「バイトだから」という理由で責任を取ろうとしてないわけで、そう考えると同じか。「いい加減あれ、何とかした方が良い」と思ってるのなら、店長でも社長でも直接言いに行ったら良いんだよね。社員は別に頭越しに話されて気悪くするような小さい人たちでもないし。
フードコートでは割と決定権を持たせてもらっていて、それについて社長が言っていたのが「なんでも自由にやって良いけど、きちんと決断し、その決断の責任を取れ」。責任を取るというのは要するに、上手く行かなさそうなら修正し上手く行くようにしろとか、周りにきちんと伝えて自分がいなくても滞りなくいくようにしろとか言う意味だろうなと解釈してるんですけど、決定権は全くないバイトの立場の店舗でも、必要だと思ったら行動しちゃった方が良いのかも知れないですね。どうせ誰も動かないなら。で、誰に決定権があって提案を実現するにはどう手続きしていけば良いかを明らかにしていけば、次の人も動きやすいだろうしね。
結局、何かを改善出来るかどうかは、改善のアイディアとか閃きとかそういうことではなくて、改善のための手続きがきちんと整備されているかに大きく左右されていると思うのです。それがないと幾多のアイディアが検討すらされないまま忘れられていくだけなので。そういうことを大事に出来ると、いろいろなことがもっと素早く進むようになると思うのになあ。
自分の立場が少し歯がゆい。
普段、ペット茶も缶ジュースも飲まないのであんまり缶ごみは出ないのですが、夏になると話は別です。大量の缶ビールゴミが出ます。京都市ももちろん市指定のゴミ袋に入れての週1回分別収集なのですが、これがねー。すぐに一杯になってしまうんですよね。ゴミ袋をどんどん使ってしまいます。なんかもったいない。じゃあ、缶ごみを減量しましょう、ということで空き缶もペットボトルも潰せる「マルチプレス」を買いました。
まだまだ続く、マラソン関連の話。
今回は、マラソン前後の体重変化について。

レースの感想については、前回書いたとおり。