自分の文章を読むのが好き
「ナルシストなんですか?」と聞かれたら答えに詰まるけれど、自分の文章を読み返すのが好きです。とても好きです。ブログ記事が一番多いですが、日記であったり、メモであったり、LINEであったり、過去に送ったメールであったりもします。そんなことをしているせいで寝る時間が2時間押すとか普通にあります。例えば今とか。
でもね、自分は一番自分の気持ちをわかってくれてるんですよね。それはもう、どんなに素晴らしいパートナーに恵まれたとしても、当たり前だけど、自分以上はなかなか望めない。自分が自分の感情を吐露したテキストは、そこに書かれていることと、行間ににじみ出るそれを書いた背景とを勘案すると、その時の自分の有り様を赤裸々に伝えてくれる。恥ずかしさすらある。でも、それがいい。
進行中の出来事、過去のトラブルも、そうやってファイリングされているものを読み返していくことで、自分の中に新しい何かが生まれてきたり、過去のものをそうだよねと確かなものに出来たりするわけですけど、普通はこういうのは、自分以外の誰か、例えば自分がメンターとしているエッセイ作家に役割を担わせるもんでしょうね。村上春樹とかね。村上龍とかね。僕も彼らは好きだけれど、僕にとってのメンターは僕自身なんだなあと時々思う。
「ナルシストなんですか?」と聞かれたとき、それを否定することは難しいけれど、でも1つだけ違うことは、自分の文章を書いているのを後から読むとき、それを書いている人は自分じゃないんだよね。自分についてよく知ってくれている人が書いた文章であって、自分の思いの追認とは少し違う。面倒くさいけど。
大学時代の日記とか、痛々しすぎてもう見返さないけど(でも捨てられない)、もし見返したらきっと同じようなこと思うんだろうな。引き出しの中に入っているものは違っても、言い回しは今とそう変わらないだろうから。いや、読み返さないぜ。絶対に。そもそも押入の奥の段ボールに押し込められているし、書かれている内容は、当時好きだった先輩のことが多いに決まってるし、読んでて滅入ってくるから(笑)
もちろん、それだけ感情移入出来るってことなんだけど。