縁を絶って新しい風景を

どこまでも晴れてるなぁ…


「袖振り合うも多生の縁」などと申しますが、個人的な性格としてその縁に縛られがちであると感じることがあります。「良いことも悪いこともすべて抱えて生きていく」というのは、僕がそうありたいと願っている生き方です。「嫌なことを無理に忘れようとしなくて良い」「いつまでも悪く見えるとは限らないから」という意味合いを含むのですけど、実際ちょっとした「窪み」に身をかがめながら考えてみると、「袖振り合っただけの縁」さえも後生大事に抱えている必要はないよなとも思います。自分にとって今はもう捨てて良い縁だってあるでしょうと。


わかりやすく言えば、くよくよいつまでも考えてしまったり、いつまでもこだわってしまったりして、スパッと諦めきれないということでもあります。以前住んでいた土地、以前通っていた学校、以前はよく会っていた友達、以前付き合っていた女の子、以前よく行っていた店、以前働いていた会社……などなど。ああ個人的な「予防線」としては「別れた女の子のことを思い出している」ということではないよ、とは書いておかないといけないのですけど(笑)、ともあれ、自分の中に残る過去の「縁」、ないしは自分にだけ繋がっていてその先は多分切れていると思われる「縁の線」、そういったものについて考えすぎるんじゃないかと。


この性格は昔から、それこそ小学生の頃からそうなので、「くよくよ考えずにさっさと切り替えよう」と正しく言われても、はいそうですねとすぐには変えられないものではあります。自分では気に入っている部分もあるんですが、程度ってもんがあるし、それにエネルギーを割いている場合ではないという時もあるわけでして、そういうとき、大体、周囲の環境との摩擦が起こってその対象と距離を取るようなことになります。相手に「いつまで縁が繋がってると思ってるんだ」と怒られるか、第三者に「いつまでも縁にこだわるな」と言われるか。あ、なんかこう書くと元ストーカーっぽい。そういう経験は無いですが。


暇だからあれこれ考えてしまうわけで、暇をなくせば自然に意識しなくなるものなのかも知れないのですが。でもクソ忙しいときにも、「忙」と「忙」の合間が過去の話に支配されていたときもあったしな……。年を取れば取るほど抱えるものが増えるというのは、なんかこう新しいHDDを買ってテレビ録画を始めた時の印象に似てる。2年後に「まさかこのHDDがいっぱいになるとは思わなかった」。

HDD内の録画番組の整理をするように、自分の中に抱える「縁」も自分で上手く整理を付けて、常に新しい風景を見に行けるような状態になりたいんですよね。でも難しい。それが正しいとはいつもわかっているし、その方が楽だと言うこともわかっているつもりなのだけど、実際に出来るかどうかというと別の問題になります。やれそうにないのにやるためには「無理にでも何かをしていく」しかないってのもわかってはいるんですけれど。struggle。