仲間内だけでキャッキャウフフ出来る場所がWebにも欲しい

一昨日くらいに友人のマナドーラ君(仮名)が「SNSはユーザー数100万人を超えると悪い方向へ向かう」と呟いていて、何言ってるのか良く分かんなかったので聞いたら、要は、「ユーザー数が少ないうちは好きなことを好き放題書けるのにユーザーが増えてくると窮屈になってしんどい」というような意味でした。

「SNSが」「100万人を超えると」「悪い方向」といった用語はいずれも、小難しいことを語る「専門家」が良く持ち出す用語で、何か大きな流れとか説明するときには意味があります。でもこの場合は極めて私的な話でSNSがどうこうなるという問題じゃないし、その論旨でその表現の仕方は無いだろと思って突っ込んだんですけど、まぁでも言ってること自体はよく分かります。


ブログなんかでも誰も読まないからってんで仲間内で適当なこと言って楽しんでたら、ある日いきなり晒されて叩かれるみたいなのはよくあります。それで警戒して、思ったことを書く前に悩んでしまう…というようなこともままあります。書こうと思った内容自体が違法とかそういうことではないのですけれど。

ただ、本来公的な場所ってのはそういうもんなのですよね。自分のブログや自分のTwitterを「自分の部屋」だと思っている人は多いかも知れませんが、実際にはそこまではプライベートじゃありませんよね。通常、その部屋に何があるかのリストを作られて回覧されてますし(検索エンジン)、基本的に誰でも自由に入ってこれます。ドアを閉めることも出来ない。レベルで言えば映画館の座席くらいのプライベート空間でしかありません。

座って映画を見ることは許されてるけど、落書きをしたり、椅子を取り外したり、大声で叫んだり、隣の人間を殴ったりといった、他人や映画館に迷惑を掛けるような行為は許されていません。その制限にとらわれずに自由な行動をすることは人として認められていますけど、その行動の結果は退席処分ということになります。「退席処分」が自由を抑圧しているのでは無くて、本来自由というのはそういうことですよね。因果応報。



もちろんマナドーラ君が言いたいことはそんなわけわからん小難しい理屈ではなくて、「仲間内でする会話のような気兼ねない会話を、Web上で行いたい」と言うことだと思うんですよ。もしくは愚痴だとか多少思い込みに過ぎるような突っ走った意見を書いても、過剰に叩かず聞いて貰えるような。リアルに友達に会えれば良いけど、そうそう会えない友達もいるし。そのためのWebコミュニティじゃないの?とも思います。

それは大事だし欲しいとは思いますが、それを公共の場に設立しようとするのはやっぱり無理があると思うのですよ。駅の構内にビニールテープで囲いを作って、「今日からここは俺らの土地だからお前らこっちみんな!」というような光景なんです。元々プライベートだったものが暴かれたのではなくて、元々オープンであるものにプライベートな空間を作る…というのが、Webでのプライベート空間だと思うから。もしきちんとしたプライベート空間が欲しいのなら、それなりのエネルギーを使わなければなりません。


「親しい友達とはオフレコな会話、かつ知らない人と知り合う機会も得たい」そういうニーズは確かに僕にもあって悩ましいですけど、それはもうアカウントを使い分けるなり、サービスを使い分けるなりしないとだめじゃないですかね?Twitterでも複数のアカウント使い分けてる人は多いし(同人系の人には良くいます)、Facebookはリアルの友人限定という人も多いです(閲覧範囲を細かく分けている人も)。

時代と共にWebが面倒くさくなってるというのには同意するけれど、しかしまぁ、Webに反映される社会がよりリアルに近付いているというのは、昔夢想した未来であるよねぇとも。という視点で考えれば、どうしたらいいのか?は案外簡単なのかも知れませんね。つまりさ、部屋を借りて鍵を掛けておいて、そこへは知っている人だけを招待する。知らない人とは家の外で待ち合わせて会う。仲間と集まれる隠れ家的なところもあると良いよね。

つまり、そういうことなんじゃないですかねぇ。