ていうかまぁ2行くらいで書ける話なんですけど、
- 「原発の状況がどんどん悪くなって行ってる」と考えてる人がいるけど、それ間違いだよ。原発の状況は、地震発生1週間後くらいからずっと悪くなってないよ。
- じゃあ良くなってるのかってそういうことじゃなくて、最初から最悪でそこから1つも変わって無くて多分これからもずっと変わらないんだよ。
頑張れば良くなるんだと思ってるみたいなんだけどね……
別に善良な市民が悪いと言うことではなくて、徐々に出てくる悪いニュースを少しずつ摂取していったらそういう感覚に陥るのは仕方がないなぁという気もします。ニュースを詳しく読めば、4月や5月に出てきた「悪いニュース」の日付が3月後半だとか地震発生直後の話だとかしてる事が多いんだけど、理屈と感覚は必ずしも一致しないからねぇ。感覚としては「悪いニュース」が明らかになるたびに悪くなってるような錯覚に陥りますね。
確かにそれはそう。
んでもう一つ。
「徐々に悪くなっている」というイメージには、実は希望もくっついてきます。流れを変えれば徐々に上向くかも知れない、次に出てくるのは良いニュースかも知れない。一組のトランプからカードを引いて赤なら悪化、黒なら良化、というような。でも本当はそんなことは全然なくて、最初からずっと絶望的な状況だったのですよ。地震翌日にメルトダウンが起き、冷却水が漏れ、それは現在も全く変わっていない。ストロンチウムが発見された?それはね、今日そこに落ちたのではなくて、建屋の爆発からずっとそこにあったんだよ。
ずっと最悪な状況で、これからもずっと最悪な状況なんだ。
だからね、なんというかさ。見込みの薄い希望を押しつけるのはもう止した方が良いと思うんだよ。1ヶ月、3ヶ月、半年、1年待てば、元の家に帰って今まで通りの暮らしに戻ることが出来る、なんて今の段階でなんの根拠も実現性もないんじゃないの?
校庭の土の汚染度の基準をどうこういうのだって、帰ることを前提にした議論だと思うのだけど、現実的に考えたらその土地を利用し続けようとする試みは正しいのかどうか。基準が5mSvだろうが1mSvだろうが、子供はそこにはいてはいけないんじゃないか。「なんとかそこで子供が活動できるように」という目的自体が間違ってるようにしか思えないとね。
実際に被害に遭われている人たちが覚悟を決められないのは仕方がないと思う。
自分だったらと考えれば、やっぱりずっと引きずってしまうだろうとも。
生まれてからずっと住んできた土地をある日突然に離れなさいなんて受け入れられないよ。
でもさ、周りもそれに合わせていたらなにも出来ないじゃん。メディアはやっぱり明るいニュースも伝えたいと思って、希望のある「見込み」を積極的に報道するけどさ、何日までに復旧して収束しますなんていう見込みはひとつも達成できてないし、だいたい出来るわけもないよね。
だからもうね、暗い未来は憂鬱だけどさ、それをきちんと直視して覚悟をしていかないと行けないんじゃないのかな。
例えば、「避難」ではなくきっちり全部調べて「放棄」する土地を決める作業をしないとだめじゃないか。頑張ることは大事だけど、頑張っても残念ながら良くならないこともあるんだよ。少なくとも頑張ったところで汚染された土地がすぐに元に戻ることはないんでね。仮に土地が除染されたとしても相応の廃棄物との長い格闘が待ってる。そう言う意味で、東北の津波の被災者とは違うんだよね。支援するこちら側も違う覚悟をしないといけないよね。
あんまり解ってもらえないのだけど、僕は議論に興味がないのではなくて、そういうことを考えてます。
どうするのがベストなのかなとね。