自分は、自分以外のものに依存しすぎてるんじゃないだろうか?
そんなことを最近よく思う。
それは、煙草だったり、酒だったりということもあるだろうし、
恋人だったり、仕事だったりということもあると思う。
何か困ったときには、そっちの方に行っておけば何とかなるだろう、
もしくは、頼り切ってしまってまかせてしまう、そういうような。
これでもし、宗教の話になっていくとすると、
悩みの元であるそう言う根源を絶ちきるのだ、
と言うような話になっていくのだけど、基本的に宗教というのは逃避なわけで。
人間が人間として生きるのであれば、悩みも含めて、
存在する全ての矛盾(たとえば、仕事と恋愛とか)をどうバランス良く配置するか考えつつ、
生きていくことが人間というものだ、と僕個人は思う。
だから、今自分が依存しているな…と感じる要素をすべて切るというような、
二者択一的な極端な行動には出ない。
それは僕の価値観と違うから。
ただし、依存に気付いたときに、
それに対する接し方を、少し変えてみるというのはあるかもしれない。
煙草であれば、一日の本数を減らすことから始めるし、
仕事であれば、残業をなるべく減らして仕事以外の時間を作るようにする、
恋人であれば、困ったときに常に頼り切るのはやめて、自分自身の時間を作る。
でないと、結局、
煙草で健康を害したり、
(それまでは、気分転換になってプラス要因の方が多かったはずなのに)
仕事に拘束されて何も出来ない、結果的にストレスになってしまったり、
(それまでは、生き甲斐の1つであったはずなのに)
恋人が存在しないこと自体に不安を感じるようになってしまったり、
(存在することに喜びを感じていたはずなのに)
過剰による悪影響が多々起こる。
どのくらいの感じで『依存』と感じるかは僕の感覚によるけど、
自分の判断の中に、理性を越えた部分が増えてくると赤信号。
理性では、煙草の吸いすぎ注意と思っていても、次から次に火を付けてしまう、とか。
仕事をしていないと何もやることがない、とか。
恋人がいなくなると不安で仕方がない、苛々しさえする、とか。
もっときちんと、感覚に耳を傾けて生きていかないと。