ジ・アンチポップ宣言(仮題) – 「フィードに全文を掲載するべきか否か」という、偽の問題
ここで全体の流れを把握した気になって、書くと言うことですな。
と思ったけど、なんか書いてる内に、筋が違いすぎたので、
一旦、撤去しよう。
今の結論だけ書くと、全文を情報として発信して、
受け取る側で要約にした人は要約で読めるようにすればなぁ、
(でも今はそういうソフトもなさげだし現実的じゃない)
じゃあ、両方…というか他種類用意出来た方が良い、
でも限界あるし、ま、このままデフォルトで良いか。
うーむ。無駄だったな。なんとなく。
まず自分はどうしたっけかな、と思って調べてみたら、
追記は掲載されてませんでした。
でもこれ多分、MovableTypeのデフォルトをいじってないので、
自分では意図したことがなかった、と言うのが現状かな。
で、問題を総括すると、
(こうやって総括して俯瞰した気になるとメタだなんだと言われるわけだが、知らん)
フィード(RSS)の現状認識はどうなっているのか、と言うところにたどり着くんですな。
僕は仕様は把握してないのでそれに関しては何とも言えないけれども、
由来としてのRSSは確かに『要約』だ。
(だから仕様もそういうことなのかな、と想像するけれども)
が、しかし、今現在のRSS…というかXMLで書かれた、
フィードと呼ばれる『メディア』の利用方法を考えると、明らかに要約だけじゃない。「普通の」Web ページとなんら変わることのない、文章を広く読ませるための手段のひとつで、Webページの情報を、『情報』としてやりとり可能な形式、であろうと思う。
RSSリーダーで読んでる分には、
はっきり言って、全文が掲載されていた方が便利だ。
ソフトによっては(表示されすぎて)動作がまどろっこしくなるけれども、
それで全文を把握し、面白そうなモノは改めて訪れて、はてブに登録する。
例え、リーダー内で完結してしまっても、
今読んだその文章が、著作権者と離れて意識されることはなくて、
つまりは、僕自身のAUTHORの意識として言えば、
リーダーで読まれた時点で、サイトを訪れてくれたのと同じだけの意義がある、と。
僕はそう思うわけだ。
まぁ、世の中には、アクセス解析や、カウンタを、
自らの文章の存在意義とされてる人もいるので、一概に
『気にすんなよ』、とは言えないのだけれども、
でもそれは、なんていうかなぁ、
古典的なリアクション把握だと思うのね。大昔からある。
凄くぼんやりとした感覚論になるけど、
その古典的なリアクション把握が、フィードというメディアと、どこかで矛盾してるんだと。
そうも取れる。
もうこうなったら、フィードにカウンタを仕込めばいいんじゃないか、
ていうか、FeedBurnerとかのカウントを、
ページビューに合算すれば良いんじゃないのか(脳内で?)、とも思える。
要は、目に見える数字でリアクションを把握できればいいわけでしょう。
広告は、フィード内で補えるし。
僕がRSSを配信するのは、
出すのも受け取るのも便利だから、なわけで。
決して、受け取りやすいようにと言うだけではない、
多くの人に読んで貰えるのはそれだけで益のあることだし、
ならば、いろんなメディア形式でお届けするのは、
いわゆるアクセシビリティ、ということにも繋がる。
メディア・コンプレックスでも良いけど。
んーだからさ、話まとめると、
続きはこちらというリンクを表示させたい人は、
概要だけで良いじゃない。
でもそれは、メディアとしては不完全なモノなんで、
受け手のことを考えているわけではないってことね。
そことんとこわかってやってるなら、誰も文句言わないさ。
言われても気にすんな、と。
読み手は不便ですけどね。
そういうわけで、このサイトのフィードも全文掲載にしようっと。
今まで、どうもすみません。
…あ、概要か。追記じゃないのか。
まぁどっちでも良いか。