断食あれこれ。

民間療法的な断食、というと、ネットで検索しても統一見解がほとんどないのが実状。
医学的な見解としても、『五色県民健康村 健康道場』の医学博士、笹田信五氏の理論が
色んな場所で使い回しされているだけで、論理の整合性はともかく、バリエーションがない。

やっぱり、一般的には、
『そんなことやるヤツの気がしれん』
『食わなきゃ生きられないに決まってんじゃねぇか』
というのがまぁ、率直な感想なんですかねぇ。


しかし、やり方さえ間違わなければ、
決して狂気の沙汰ではないし、
もちろん、個人でやる場合、多くのメリットを求めるのは間違いだと思いつつも
しかし、これで得るモノも決して少なくはない、と僕は思っている。

というわけで、
まぁ自分の覚え書き、リンク集という意味もこめて、まとめていこうかと思う。

断食とは何か?
基本的な方法論、理論的裏付けに関しては、
前述の笹田先生の文章がもっとも親切で分かりやすいと思います。
五色県民健康村健康道場の医学的絶食療法(ファースティング) とは?


なぜ断食をするのか?
まぁ、感覚的なことなので、文章で伝えるのは難しいんだけれども、
一番良くないのは、ダイエットオンリーで断食に取り組むこと。
専門書の指摘を待つまでもなく、体重を減らしたいなら、
食生活を見直して食べるものを変えた方が効果的だし、
むしろそれをやらないと、一時体重が減っても意味がない。

僕にとっての一番大きな効果は、スッキリする、ということ。
ダイエットのためにやると、数字を見たり食わない日数を数えたりして、
結局ストレスを抱えてしまうのだけど、
そうではなく、日常、心身に与えるストレスの要因を、
少なくとも一つ取り除いてみよう、というのが目的。
断食というのはあくまで手段であって、目的になるべきではないので。

断食を行うと、確かに体のエネルギーは落ちる。
供給していないのだから、それは当然のことだろうと思う。
しかし、何日か経ったとき、
体がエネルギーが供給されていないことに気付いた、ということを
感じる瞬間がある。

そうすると、体は栄養補給を、食欲に頼ることを止めていくような気がする。
世の中生きていて思うことは、体が要求するから食うのではなくて、
食ったモノを消費するというエネルギーサイクルになってしまうことが、
ことのほか多いような気がする。
ストレスその他で、エネルギー需要に基づかない食欲が発生し、
そのついででエネルギーも補給するといったような。
体と、食欲の関係が非常に曖昧になっていると思う。

それを、はっきりさせる。
食わなければ、腹が減るということを知る。
食わないことで、ああ、俺は食わないと死ぬな、ということを少しでも感じる。
食いたいのに食えない、という状況とは違って、
断食は、イライラしない。
自分の決断で、食わないし、『食わなければ』という焦りもない。


断食中、気付くことはたくさんある。
施設にはいるのではなく、日常生活内で(それも仕事しながら)行う場合、
どうしたって街を歩かなきゃならない。
普段は全く意識してないけど、街って、食い物だらけなのな。
目に入る光景の、ほぼ半分は食い物。
そこら中で、食い物の匂いがする。
もう、誘惑という域を超えて、その状況に唖然となる。

僕らはそんなに食ってどうするんだろう?とも思う。
体が健康な人で、食うことに悩みがあるのなら、
いっそ食わなければいいと思うのだが、
(1週間くらい食わなくたって人は死なない、水分さえ摂ってれば)
結局、『食わなければ死ぬ』という常識に、
必要以上に振り回されている僕らがいることに気付く。
もちろん、基本的にはそれは真理な訳だけど、
一般社会によくあるように、その真理には様々な尾ひれが付き、拡大し、
常識という名の、ヒステリックな脅迫へと変わる。
僕のように定期的に食を断つ人と比べて、
日々飽食な人間は、食を考えていると言えるだろうか?


医学的に僕のやり方は、決して褒められたものではない、
むしろ、専門家に言わせれば『危険だ』と指摘されるかもしれない、
それでも、僕はそうしたこと全てを含めた上で、自分にとってのメリットを感じる。

最終日、自転車で遠出した帰り(ちょっと買い物があったので散歩がてら)、
ふと、体の中に何もないことを感じた。
ああ、今俺の中にはなにもない、と。
重要なことだ。
ようやく、ものを収めていけるようになると思う。


そうそう、断食後のお粥って、凄く美味いんだよね。
ああ、これ食うためにやってる、そう思っても良いかもしれない。

人生は、自覚を持って、少しずつ。