ビジネスな電話。

JET SET での唯一のWEB管理者ということで、
そういう系統の電話を受けることがあるのだけど、
んーさて、僕の電話は社会人的に見て何点くらいなのか?(笑)

よく分かんないけれども、合格点には及ばないのは確か。
『オトナ語』じゃないけれども、僕の中にビジネス的ボキャブラリーが少ないんだと思うんだよね。
『正しい日本語』的知識はそこそこあるとしても、
ただ丁寧に話すことがビジネスではないわけで…
結局最終的に、面倒になって、やたらとフランクに話し始めてしまう。

この間も、サーバ管理でお世話にななってる人と、ビジネス的相談を電話でしていて、
雑談はいっさい無くてひたすら仕事の話をしているにもかかわらず、
向こうもつられて普通の会話になってしまったり。
いかん、いかん。


ウィットに富んだ、という表現があるけれども、
本当は、まぁビジネスや電話に限らず、出来るだけ会話はウィットに富んでいたい。
要するに、取引先から掛かってきても(特に信頼を養うことが重要な場合には)、
ずーっとコチコチの話を続けていくのはどうなのか、と。
もちろんそれができない、苦手、という面もあるのだけど、
そういう意味で、フランクかつ率直に言えるのであれば、それがいいかなと思う。
バランスの問題だけどね。

明確な意志のある会話って、
案外、難しいよね。

蛇足
ウィット、に関して…
商人=大阪と言うイメージが、近畿以外の人にはあるかもしれないけれども、
大阪とはまた違った商圏として、京都もまた、商売人の街だ。
そういう意味で、
大阪/京都人がお笑い好きなのと、商業の街であるのとは無関係ではないような。

京都は、観光業を始めとして、様々な『産業』が栄えている。
一本裏筋に入った問屋なんかによく、どの配送業者が入ったかを示すランプみたいなのがあるんだけど、
あんなの初めてみた。
すんでるところが西陣の端だからってのあるけど今でも、産業は栄えてる。
なんて言うかな、『サービス業』じゃない、
つまり人が大勢寄り合うことで生まれるのではない産業が、

そして、この街の人ってのは、商売的センスを生まれ持っているような気がする、
行動は率直なのに、もったいぶった言い回しとか、
いけずで、あたらしもん好きとか…また大阪人とは違う、商売人がいる。

どんなに扱うものや、社会や文化が変わっていったとしても、
そういう精神性ってのは変わらないと思う、
僕には未だ、全然できない。一生できないかもしれない。
会話の絶妙なバランス感覚、
京都人一人一人をみても別に思わないのに、
街全体を眺めるとそういう雰囲気が溢れてるってのはどういうわけだ?


ちなみに京都人に勝つのは、あんまり難しくない。
京都人のルールに従って勝負するから負けるんであって、
たとえば、ルールごと持ち込めば、まず負けない。不器用なんだよね、きっと。
もちろん、相応の反発はあるけれども、
それが良ければそれを認める柔軟さも持ってる街。

この街のルールで勝負してみるってのも、
それはそれで面白いかもしれない。


…。
何だかやっぱりまとまってねーな。