Jo

情(じょう)というヤツは、本当にやっかいだと思う。
自分は情に流されやすい人間で(またの名を優柔不断とも言う)
ぶちぎれていても、なぜか許してしまうこともある。
(あとで地団駄踏んだりする)
『情けは人のためならず』という言葉、
間違った解釈の方が今では有名だけど、
格言的には、あながち間違ってない気もする。

全ての情報を受け入れないようにする。
あらゆる情報に接触しないようにする。
必ず、情が移ってしまうから。
この状況で、いまだに毎日チェックしている、
その心境がとても理解できない。
チェックされているうちは、まともに更新はしない。
気にしているうちは、更新しない。
『暫く』とはそこまでのスパン。

いい加減な言葉や、中途半端なこと、
まだ未完成の考えすらも、公開する。
見る方からすれば僕の考えでも、
僕からすると、mutterは『第三者的立場』であることもよくある。
殆どの人は理解できないだろうが、
mutter は僕自身ではなく、僕みたいなモノであり、
『呟いてみた』だけのモノであり、
僕と同一のモノじゃない。
全てが全てそうではないが…そういうときも、ある。

それを理解できずに、
書かれているモノを全て受け入れてしまうような、
そんなヒトに対して、
『未完成』のメッセージを送ることはあまりに危険だ。
いまだに、携帯を操ってここに来てしまうのも、
『情』なのかもしれない。
そのうち、薄まって、切れるだろう。
静かに、少なくとも表\向きだけは、静かに、
その時を待ちたい。

僕は、既に、諦めた。
もちろん、やり直して幸せな生活を築くこともできたかもしれないが、
全てはもう遅すぎる。
彼女が僕の態度に怒り、愛想を尽かしたのと同じように、
僕も、それに同意し、諦めた。…つもりだ。
全ては、元へ戻る。
何ヶ月かを経て、全く成長していなくても、僕は嫌じゃない。
それでも、ちっとも、凹まない。
自分の変化が『成長』だと、誰が確信できるだろうか。

幸せになって欲しい。
それだけだ。


いずれ、近い将来、再び京都に帰ってくるだろう。
それは、もしかすると、9月10日かもしれない。
ヒドク憂鬱だ。
いや、むしろ、複雑だ。
喜んでいいのか、無視すべきなのか。
DJをする予\定の僕は、そこにいなければならない。
情を捨てきれるだろうか。
僕は表\向きだけ作る…ということは、絶対にできない。
彼女は、表\向きを作るのは得意だ。
ガラスの仮面をかぶるだろう。

傷付けるのも、
傷付くのも、
もう、嫌なんだ。


『暫く』の行方を、
ぼーっと見守る。