Sports Graphic Number

いつの頃からなのか定かではないが、僕は、
Sports Graphic Number
という雑誌を愛読している。

『ナンバー』と一般的に呼ばれるこの雑誌は
世界的に有名なスポーツ誌『Sports Illastrated』を意識して作られ、
その名の通りスポーツ専門誌であり、スポーツ全般を扱う。
中身は、試合の詳細の記事や、コラム、エッセイ、寄稿、写真など様々だが、
一貫しているのは、『スポーツへの情熱』ということだ。

最近日本サッカーの躍進とともにサッカーの比率が上がっていることは
否めないが、特集されるスポーツは、サッカー、野球、F1、
ラグビー、プロレス、競馬、など多彩だ。
そのためか、人によっては、『興味のあるスポーツの特集のときだけ、買う』という人もいるが、
僕の場合はあまり特集記事には頓着しない。
知っているスポーツであればより深く知ることができるし、知らないスポーツであれば、
そのスポーツを知ることができる。
例えばプロレス。ほとんど興味はなかったが、
プロレス専門誌や、スポーツ新聞、プロレス番組などとはまた違った角度で書いてくれる。
先述のようなメディアの情報は、好きなものには喜ばしいかもしれないが、
あまりわからないものにとっては、少々うるさい。
しかし、プロレスというSHOW、ぼんやりしてわからないものではなく、
プロレスラーと、リング、という配置で見ると、少しわかる気がする。
ドラマを求めてるようで恥ずかしいが、
プロレスは、あれはあれで結構面白い。もちろん、『格闘技』としても。


ナンバーの読み方として、
僕は、面白い記事に出会ったら、その記事を書いたのが誰か、を必ず確認するようにしている
それはよく知っているスポーツ、全然知らないスポーツに限らず、
きちんとした文章を書けるという人は決まっている。
ナンバーで文章を書いている人数は多いので、1回や2回では憶えられないが、
次第に確認した名前がかぶってくるに連れ、
『ああ、こいつはいい文章書くよな』
なんて思ったりする。

今週発売された533号(10/18号)はF1特集である。
自分がかなりのF1好きであることもあって、
かなり楽しく嬉しく読んでいる(もったいないのでゆっくり読む)

今号は、米国で起きたテロに対する、編集長の文章で始まった。
『ワシントンやニューヨークで起こったことに比べれば、スポーツは意味がない』
心情は理解できるが、マーク・マグワイアのこの発言には失望した。
そんな視点でスポーツを語るのなら、スポーツは平常時でも意味はない。
しかし、スポーツ選手がそれを口にしてはダメだと思う。
あなたに出来ることはなんなのか?
どうしてそれが出来る立場である人間が、それを口に出来ないんだ。
キャップやユニフォームに米国国旗をつけることは、
喪に服すときにつける黒い喪章と同じなのか?
スポーツを愛国心を高揚させるために利用していないか?
アメリカ人は、スポーツを見失っている。そんなアメリカは見たくない。

国民が不安と恐怖に震えているときこそ、
メジャーリーガーにはプレーしていて欲しい。

阿部雄輔(スポーツ・グラフィック ナンバー編集長)
『スポーツが人々の喜びであるかぎり』

報復活動の圧倒的支持、あらゆるメディアを使った国威発揚、
軍事行動への各国の参加の強要、
アメリカはすべてを見失っている。危うい。
せめて、スポーツ選手には、スポーツで自己表現してもらいたい。

それがあなたの選んだ人生ではないのか?


ナンバーの読み方を語るつもりがすこしそれてしまった。
しかし僕の言いたいことには代わりはないので修正しないことにする。

国としてのアメリカは大嫌いだが、
文化としてのアメリカはそうでもない。
彼らが、心配だ。