一頃、アプリ課金による高額請求なんかを契機として、子どものネット使用をコントロール(多くの場合制限)しようという話が盛り上がってました。今どうなってるか解りませんけど、一応一定以上の請求額になったら課金出来ないようになるんでしたっけ?子ども向けの携帯端末であれば、それ以外にも機能制限やらGPSによる現在地把握やらなんやら出来るようになっているはずです。

もちろんリテラシーを鍛えるためには、そういうリスクがあるものだと教える方が良い、という考え方もあると思いますけれど、「今も目の前で子どもがモバマスのガチャ回してる」みたいな「今そこにある危機」への対処を考えると、コントロール出来るようにシステムを設計したり、使用に当たってのルールの取り決めを行ったりしておくのは必要だよなあと思います。まあ子どもがいない僕が書いても仕方ないんですけど、子どもがいる人の話を聞くとそんな印象。



んで、最近、身内で起きたことを考えてみると、同じようなことって高齢者に対しても同じように必要になるんじゃないのかなと思うのですね。もちろん一口に「高齢者」と言っても色んな方がいらっしゃるので、中には憤慨される方もいらっしゃるかも知れませんけれど、やっぱりね、ネットに馴染みのないまま60歳を迎えたような人を今さら無防備でネットの海に放り投げたらそりゃ溺れるよねという感じなんですよ。成人していてクレジットカードも印鑑も担保すらあるから余計に始末が悪い。

検索して得られた情報に簡単に踊らされたり、たこつぼ化していく狭いコミュニティでの評価に一喜一憂したり、ネットで知り合ったことを過剰に捉えたり、軽い衝動を与えただけで安易にものを購入したり。そういうネット上のリスクに疎くまた弱いというのは、ネットを始めたばかりであれば、子どもも大人も関係なく共通して存在する「リスク」であるなあと。「リテラシー」なんて言葉で片付けがちですけど、それは「ネットに対する知識」と「ネットにおける経験」とを得て初めて軌道に乗る性質のものであって、その2つを実社会のもので置き換えて「リテラシーはあるだろう」と考えると、大きな間違いを犯すことになります。



自分が病気になったとき、ネットで検索して自分把握し安心したいという気持ちは解らなくもないですし、同じくネットを検索して「医療関係者は信用出来ない」という煽りをたくさん浴びて「医者は信用出来ないし自分の体調は自分で見極める」となる状況も解らなくはないですけれど、だからといってそこから、自分で勝手に抗生物質を変えてしまったり、抗生物質を飲むのを止めてしまったり、体調が良いからと雨に打たれて放って置いたり、胃痛と独断してキャベジンだけ飲んで寝てみたり、もしくは癌だと勝手に騒いで医者の診断を受け入れなかったり。

ネットにいるバカ共が何を信じてようが勝手にすれば良いと思いますけど、そのバカが自分の父親だった場合のだるさといったら。仕方がないから1つ1つ、声を荒げない程度の厳しさを保ちながら丁寧に論破していくんですけど、実際の話、論破したところで悲しみしか残りませんしね。

健康問題以外にもあれこれトラブルを起こしてるみたいで、もうな、お前いくつになるんだよ今年。いい加減ちゃんとせえよ、常識的に考えて自分がおかしいことくらい解るだろう、そう思っていたのですけど、冒頭に戻って、そうか子どもと一緒なんだよねと考えると腑に落ちました。そもそも「常識」が自分の中に醸成されていない。リテラシーが十分でない可能性があるのを知っていながら、「多分大丈夫だろう」と思って野放しにしてた僕らも悪かったのかもなあ。ちゃんと見てやるべきだった。今さら手遅れではあるけれども。



20年とか30年とか経って、僕の世代が年金を受け取るような時になれば、どの高齢者もネットに触れた時期があるような、そんな時代に移り変わっていくだろうと思いますけれど、それまでの20年くらいはネット上にカモが溢れている状態であり、そのカモとは卑近な例を出せば例えば自分の父親であり母親であり、ネット上のリスクから彼らを守るために考えるべきことというのはあるんじゃないか、これから大事になっていくんじゃないかと感じています。

もちろんすべての子どもが高額請求されるわけでないのと同様、すべての知識の乏しい高齢者がリスクにぶち当たるわけではないのですけれど、何かあってからでは遅いので考えくらいはしておいた方が良いんじゃないだろうか。いや、良いと思います。すごく面倒なことになります。マジで。