携帯電話からの閲覧者とのコメントのやりとりは難しい。

どうも要領を得ないな、と思ったら、携帯からチェックされていたんですね。


そもそも僕のコメント返信が長すぎるのが問題なんでしょうけど、
どうも、文意が汲み取られない。

初めから、ここと他のどこかのブログとを、グルーピングした上で、
僕に対して代表的に暴力的なコメントを書き込まれていたんですが、
それでもまぁ、僕の文章が不自由なせいで意思の疎通が出来なかったのだと思い、
意図の説明を試みました。


ところが、コメントを返せば、そのコメントの表現に対して返事があり。
それに対して返せば、その中の一部分についてまた返事があり。
そして、結局、元の文章のことなど置いておいて、持論を展開する、と。
僕はあなたと、メールのやりとりしてるわけじゃないんだぞ、と。


仮に、携帯を通したために意思の疎通が上手く図れないのだとしても、
(確かに、限られた領域内においては、長文を上手に読み解くことは難しい)
状況が動かない以上、これ以上の議論は不可能です。


僕は、自分の主張のどこに修正すべき点があるのか(ないのか)全く分からないし、
そもそも、何がどうあるべきかを主張されているのかも皆目見当が付かない。
最終的に、俺(=コメンター)の主張なんかどうでもいいだろ、と言われても。


このまま、僕のそもそもの文章からどんどん離れていって、
最近ネットでスポーツについて文章書いてる奴らは、
選手のことも考えずに自分勝手に書きすぎる!
なんていう持論を展開されたとしても、相手しきれません。
申し訳ありませんが。

ここが美味い飲み屋で、相手が課長なら、喜んで付き合いますが、
あいにく、ちと違います。

そういうのは、やりたい人がやればいいし。
どうだっていい。
正直、時間の無駄です。



…かといって、コメントの削除はしたくない。

指摘を受けたという事実そのものは、特に問題はないですし、
僕の文章が、というより、
僕の意図とは違う意見を持ち出す人間もいるのだ、という意味で、
非常に重要です。

最終的に噛み合わなさすぎてうんざりしたとはいえ、
興味深い点もありましたし。


先方より削除依頼があった場合にはその限りではありませんが、
現状、このまま残しておきます。




そういう訳で、今回の件を考え、以下のような変更を行いました。



1. 該当エントリのコメント欄を閉鎖しました。


最終的なコメントが僕になるのはどうよ(言い逃げと思われないか?)とは思いましたが、
既に、元文章との関連はなく、もし続けるなら、
類似のエントリ(ブロガーのスポーツに対するスタンスへの問題提議とか)を改めて書き、
そこで議論を交わした方が遙かに有意義です。

あの、僕の恥ずかしいテンションのエントリに対して、
これ以上大上段で叩き切ろうという人もいない気がしますし。
そんな大層なもんでもないです。

もし、そのような方がいらっしゃったら、トラックバックでどうぞ。



2. mt4iからのコメントの投稿を停止しました。


これは、mt4iどうこうということではなく、
このブログの性質と、携帯文化とがどうも合わないようだ、という認識からです。

携帯とPCで書くメールとが違うように、
それぞれには、それぞれの文化がある。

どうも合わないみたいです。このサイトと携帯。

携帯ユーザのネットへの進出がより大きくなってきてるぞとか言われてる時代に、
携帯無理、とか思いっきり時代錯誤してますけど、
自分の文章を載せるメディア、として考えた場合、
携帯電話は適切ではないなぁと判断しました。

もちろん、フルブラウザでサイトそのものにアクセスいただければ、
今まで通り、コメントすることはできます。


なお、閲覧自体を停止していないのは、
個人的事情(友人とか見てるし)によるものです。
日和ってるっちゃーそうだけど、まぁ、ご勘弁を。



3. テッド・ウィリアムズ自伝をアマゾンで注文しました。


僕の小学校にはありませんでしたが、教室に、
『王貞治物語』と一緒に、テッド・ウィリアムズの本が並んでいたそうです。
それは凄いですねぇ…ちょっと羨ましくなりました。

小学校に置いてある本なので、
恐らく難しいことは省略し、
まさに『愛と勇気』の物語になっているんだろうと想像が付きますが、
小学生ならともかく、30歳にもなってそれを鵜呑みにするわけにも行きませんし…

コメントを書いてるうちに、自分の知っている情報が、
2冊程度の本と、いくつかのコラム、Wikipediaにしか裏付けされていないな、と感じたので、
きちんと読むことにしました。
その上で、僕の見解が、風説に左右されたような、事実無根の言いがかりであれば、
その旨を改めて明らかにし、修正したいと思います。


…僕は、テッド・ウィリアムズが凄くなかったと言ってるんじゃなくて、
彼を評価しようという空気が、当時生まれにくかった、と言ってるだけなんだけどなぁ。




まぁ結局の所、