延長の話を中心にくすぶり続けている著作権の話なんですが、
色んなところから色んな意見が出てくる中で、
最も積極的に発言している著作者と言えば、
『戦艦ヤマト』などで有名な松本零士さんでしょう。

松本零士さんは、著作権延長賛成の立場で、
行間には、可能ならば永久に著作権を保持したいというような感情が透けて見えるわけで、
まぁその立場はそれはそれで良いけど、
でも著作権を適用されるのは鑑賞するモノだけではないわけで、
トータルで考えると、著作権を重視し過ぎることは、
社会的にマイナスが多いのではないかという感じになっているわけで、
そんな中での原理主義的発言がもの凄く浮いて見えてしまうわけですな。


僕個人としては、アーティストとしての名誉さえ維持できるのであれば、
死後50年でも長いと思ってるけど、

まぁそれはここでは良いとして、

今日の松本零士さんの話を聞いてると、
なんだか、アーティストどうこうじゃなくて、
なんだか著作権の話じゃない…
利権屋っぽい感じに見えて、不快というよりも悲しくなってしまった。


こっちは煽り気味に書かれてるから当然としても、

「漫画家は、刀をペンに持ち替えた永遠の浪人だ。頼れるのは自分独り。
自立してクリエーターと名乗れるようになるまでが、いかにすさまじい道のりか。退職金も年金もない。いつ奈落に落ちるかもしれない」
 

その元ニュースを読んでもやっぱり…。

著作権で保護されることが、家族や子孫がある自分自身の精神的な安らぎにもなり、創作意欲にもつながる。ある有名な作家のご遺族から、『私のところの著作権はもうすぐ切れます』と涙ぐまれたことがある。それが、いずれ自分の子孫にも訪れると思うと、どれほど切ないか。
 

情に訴える言葉ではある。

でも、著作権という枠組みで考えたら、
そこに先祖とか子孫とかが入り込む余地はない。
著作権者と、著作権(広義に使用)の関係があるだけで、
極論として言えば、クリエーターの制作環境すら関係ない。
それは、著作権の話じゃない。

単に…自分の子供を食わせるという発想でしかない。
もの凄く主観的。
じゃあさ、もし、松本零士さんの子供がそれを断ったら、
著作権を放棄するんだろうか。

『痛いニュース』のレスの中にもあったけど、
著作権自体に対して、相続税を掛けられるんじゃないだろうか。
(存在自体が財産なら)


著作権の話は、単純に金の話だと僕は思う。
(意義はともかく、現在の論議の前提としては、という意味で)

著作権が切れたとしても、
例えば、30年後に手塚治虫さんの作品の著作権が切れたとしても、
手塚治さんが著作者であることには変わりはないし、
彼が偉大なクリエーターであったことには変わりがない。
そのことは、著作権とは関係がない。

著作権は、松本零士さんの文脈も示唆している気がするけれど、
ただ、収入を保証するためのもののようだ。
でも、著作権が保護されていても制作環境が厳しいヒトはいるだろうし、
著作権が切れた作品がぞんざいに扱われているかと言えば、
例えば絵画がその最たるものだけど、
そうとも言えないと思う。
ちゃんと管理された作品は、
まぁもちろん、著作権と違って実体があるものではあるけれども、
その後も利益を生み続けている、よね。


議論の始めのころは、もしかしたら、
著作権者として、例え遠い将来であっても、
自分の作品を好きに、適当に扱ってもらいたくないということだったのかもしれないけど、
なんかもう、そういうこととはずれてしまっていて、
要は金なんなんだろ?と言うことばかりが滲んでしまって、
オマケ的に強調するクリエイターの制作環境云々が白々しく聞こえてしまって、
もういけない。

こんなこと言い続けてたら、どっちの陣営からも愛想を尽かされて、
発言力を失うだけだと思うけど…


なんだかなぁ。


追記(2007/02/03)

あまり意識せずに、『著作権者』という用語をしていましたが、
この用語を用いるときには、著作権(著作財産権)を意識しなくてはならず、
そう言う意味で言うと、『宇宙戦艦ヤマト』など、著作権が曖昧な問題のある松本零士さんに対して、
この用語を用いるのは適切ではない(もっと慎重になるべき)だなーと、読み返して思いました。

一応、修正せずにそのままにしておきますが、
とりあえずこのエントリでは、その辺りの『権利がどこにあるか』という問題とは別に、
モノを制作した人間、くらいの意味、
つまり広義の著作者程度の意味で、著作権者を使用しています。
(まぁ結果的に、著作権者=著作財産権の所有者=金となって、エントリ的には問題ないのですが)