『僕はこの人を知らない』
そういう立場を失っては、相手を分かることは出来ないと思う。
例えば妹は…長い間一緒にいた、という経験からか、
少なくとも僕に対してそういう考えを持つことは出来ないようだ。
初めに感じたことを尊重するのはもちろん間違いではないが、
そこに縛られすぎる傾向があるようだ。
(まぁ確かに妹にとって、ガキの僕は相当周りの見えない、プライドだけ高い、
威張る人間であったことは疑いようもない)

相手の言動をつぶさに感じ取ることには長けているようだが、
それを積み上げる土台はあくまで第一印象や、以前の印象であるし、
土台に誤解が含まれている場合、
それ以上に正しく自分を分かってもらうのは難しい。

確かに僕は、京都大学に入りこそしたが、留年した挙げ句に卒業していない。
早稲田大学に入り、大学院まで修めた妹から見れば、人生の落伍者かもしれないな。
両親の期待は、確実に裏切った。
でも、『落伍』する過程に色々なパターンがあるように
落伍者といわれる人にも色々な人がいるし、
実際に今どうかは、過去どうだったかの上に必ずしも成り立っているわけではない。
言うまでもないと思って省いたが、落伍かどうか、だって実際は曖昧なのが現実だ。

人間は(僕も含めて)知らないことは省略するように出来ている。
英文を読むとき、わからない単語を飛ばして、文脈や経験で補おうとするように、
わからない部分は、確かめるよりまず、過去の切れ端や、
似たような人のパターンで埋めようとするのが常だ。
相手が、芸能人や、赤の他人であれば、それもまた正しいことだろう。
正確に言えば、間違ってるということを証明する手段はない。
文脈に沿って言えば、それはコミュニケーションではない。

証明を待たずに逆説的に言えば、
そうした無責任な補填の目立つ会話は、望まれたコミュニケーションではない。
主張のとっちらかしは、けして相互対話ではないし、
片方の努力で何とかなるものではないのだ。

僕自身、妹のコミュニケーション能力に、
若干、欠落した部分があるということは伝え聞いている。
あ、名誉のために言えば、別に精神に問題があるわけでもない。
むしろ自覚もないようだ。
少数の分かる人間以外には、誤解され嫌われる、そういうことだ。
それがどういうことなのか、考える勇気を持てなかったが、
一時逆上し、その後で冷静に見てみると、
やはり、彼女にはコミュニケーション能力の中のどこか、
自分を相手の向かい側(もしくは隣)に置く能力や、
相手の言動の表面だけではなく、その構造を想像する能力に、
問題があるように見受けられた。

本当に名誉のために言うが、彼女は、良い人間なのだ。
腹黒くなく、姑息でもなく、本当は同じくらいお人好しで、傷つきやすい。
兄でなければ、そしてわからぬまま非難されなければ、
絶対に欠点を指摘したりしたくない。
だが、彼女の中の足りない点は、そのまま自分に当てはまることもある。
この文章を彼女が読むことはないわけだし、
同じようにコミュニケーションに悩む人に当てて書くこともない、
ただ、自分はどうなのか、そう思うために書く。
もう、26なのだし、いくら諭しても彼女には伝わることはあり得ないだろう。
だがそういう人間なのだ、と覚悟していれば、もし次会っても兄として耐えられる。
そして、自分がどのような人間としていきたいか、
という問いの答えのきっかけにもなるかもしれない。

僕が誤解されるのは、
親元を離れて以来、僕が何を考え、どう行動してきているか、
MUTTERの一片すら親に伝えていないことにも問題があるだろう。
家族の中での僕という人間は、それ以前と一つも変わっていない、
だから久しぶりにあっても、変わったことを認めるより、変わらない事への確認に目がいくのだ。
確かに、だらしなく、不愛想で、気が短く、冷たい、そういう部分は今でもある。
でも、それを自覚し修正しようとしていることを、彼らは知らないし、
僕も表だって伝えようとしない。
たとえ伝えようとしても、生返事が返るだけだろう。
人のステレオタイプとは、かくも厳しい。
であるならば、僕には、分かってもらうことを放棄し、『演じる』しか手段は残されない。

あらゆる無理をして、両親のリクエストに応えて帰省して、得たことは、これだけだ。
分かっていたことの確認。
言ってみれば、僕自身も家族とのコミュニケーションを放棄したと言えるし、
その時点でさして変わらない。
それでも、妹、あなたまで僕を誤解し続けるのか。
それに対する僕の失望は、決してわかり得ないことだろうし、
僕に出来ることはもうない。
せめて、こうしたバックグラウンドを理解した上で、罵詈雑言を投げつけてくれればいいのだが、
それは死ぬまでかなわないことだろうな。