タグ: 政治
「内閣支持率」のグラフを更新しました。(2014年1月データを掲載)
「内閣支持率」のグラフを更新しました。(2013年12月データを掲載)
「内閣支持率」のグラフを更新しました。(2013年11月データを掲載)
「内閣支持率」のグラフを更新しました。(2013年10月データを掲載)
「内閣支持率」のグラフを更新しました。(2013年9月データを掲載)
「内閣支持率」のグラフを更新しました。(2013年8月データを掲載)
第23回参議院選挙が終わったので何か書く
選挙が終わりました。 期間中、思うことはたくさんあったのですけど、なんとなくブログ記事を書く気にならなくて、その分、FacebookやTwitterに書き散らしていました。その辺を上手いことまとめて書いておきたいと思います。感嘆文みたいなツイートではない、なんだか真面目ぶった独り言ツイートは、基本的にはあとでブログでまとめようと思って書いているのでね。そのままにしてたら自分の思いごと流れて行っちゃうし。 散漫な文章になっているので、いくつかのテーマに分けて書きます。
投票率を上げるためにすることは「投票へ行こう」という呼びかけだろうか
もちろん呼びかけをすることで次の選挙の投票率は上がるかも知れない。すくなくとも呼びかけないよりは上がるだろう。だから呼びかけが無駄という意味ではない。可能性がある以上やってみるのは良いと思う。やってみるべきだとも思う。 ただ、ずっとどこか引っかかっていることがあって、それをどうしても参議院選挙公示前にブログ記事として書き出したかったのだけど、言いたいことをクリアに取り出せなくて結局ボツになってしまっていた。それをちょっと何とかして書き出してみたいと思う。 僕の中に引っかかっていることのポイントをざっくり書くと、
投票を行かない人には、「投票が習慣になっていない」ということ以外の理由がたくさんあるということ。 「単に誰かに背中を押されるのを待って」いて、選挙に行こうという呼びかけを見て「そうだ行ってみよう」となる人、つまり、これと言って理由は無いけれどなんとなく選挙に行くのが面倒だと思っている人ばかりではなく、ある程度消極的な理由を持って投票に行かない人というのがたくさんいて、それは高齢者を除く全世代に渡って存在していて、今までと全く違ったレベルまで投票率を上げようと思ったら20代にばかり呼びかけてもダメで、結局のところその「消極的な理由」とは何かを考えるべきなんだよなあということ。 「消極的な理由」というのは何かというと、要するに、
- 自分以外の人が選択した政府に対して、それほど不満を持っていない人たち
- 選挙結果について良くは無いけどだからといって他の候補ならベターだったとも思わない人たち
- どうせ自分が投票してもたかが1票では何も変わらない