Shut the fuck up and…(30からの「老害」)

老害(ろうがい)とは、組織内において指導者・指導層が長期に渡って在任を続けて高齢化する一方で、円滑な世代交代が行われず、人材の若返りが阻まれるなどした結果、組織の老化・硬直化・腐敗化が進み、結果として様々な支障や弊害が発生すること。 現代では政治や大企業、経済団体などに顕著に見られ、またこれらで生じる問題が典型的な例でもある。ただし、決して近現代になって始まった問題ではなく、古代・中世においても3世紀の呉の皇帝孫権や6世紀の梁の武帝のように、長期間在位し老化と経年疲労により統治能力を失った人物がなおも在位し続けることにより問題が生じた例はある。 日本をはじめ、現在、少子高齢化社会が進展しつつある少なからぬ先進国において数多くの問題を引き起こす要因となっている。また、高齢ながらも経営や政治のトップにあり続ける人物が、自身の過去の成功体験に囚われた行動を硬直的に繰り返した結果、時代の潮流から取り残され、重大な弊害を引き起こしたり、企業や団体そのものを没落させてしまう事も見られる。また、政治にも影響力を持つ有力な経済団体や業界団体のトップが成功者としての独善的な行動・主張・要請を繰り返し、政治家の言動にまで影響を与えた結果、最終的に社会全体のひずみなどの形で悪影響が波及的かつ深刻に拡大して行く事もある。
 
自身の過去の成功体験に囚われた行動を硬直的に繰り返した結果、時代の潮流から取り残され、重大な弊害を引き起こしたり、企業や団体そのものを没落させてしまう

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それでもそんな大人にはなりたくない

仕事をしながらふと思ったのだけど、わずかに就職活動をしていたときに考えていた自分のPRは、実際の仕事では当たり前すぎてPRとしては全く役に立たないものだったな、とか。「柔軟な発想が出来る」とか「論理的な思考が出来る」とか。そういう「マジック・ワード」みたいなものは、実際の仕事において大きなメリットになる…というよりはない奴は使えないという程度のものであって、その個人がそう主張してそれでその人材が欲しくなるような要素でもないな、と。 書いてあれば無いよりかはマシだと思うし、きっとそういう事を現代の就職活動でもやってるんだと思うけど、まぁなんというかガキだったというか世間知らずだったというか。未社会人だったから当たり前なんだけどね。

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労使交渉。

いやー。 労使交渉ってのはいつやってもタフなもんです。小さな会社だから、お互いの懐事情は嫌になるほどよくわかってるし、十分にもらってないというのも、十分には払えないというのも互いにわかってる中でのギリギリの折衝。折り合わないから退社で良いとは双方思ってないけど、出来ないことは出来ない、みたいな感じで。 交渉ごとは昔から苦手で、暫く喋ってるうちに僕の中の「いい人」が出てきちゃって、譲歩したり妥協したりしてしまっていたんだけど、不動産屋から敷金を取り戻したときに「目標をシンプルに捉えていればぶれない」ということに気づきました。敷金の話であれば、法律上または行政指導と照らし合わせて払うべきじゃない金は払いたくないということであって、不動産屋の都合とか、京都の不動産のバカみたいな常識とか、僕の都合とか、はっきり出来ない責任の問題とか、そういうのを盛り込むとぶれちゃうんで盛り込まない。 それから、喋りについても少しわかりました。言葉の巧さはもちろん必要だけど、それよりも必要なのは「余計なことを言わないこと」。上手いことを言おうと思って言葉を重ねれば重ねるほど不利になるんですね。むしろ、必要なことを必要なだけ言うことの方が求められる気がします。相手がバカだったら言葉で圧倒するのもありですけど、そういうことの方が少ないですからね…僕が苦手に感じてたのは、焦ってつい喋り過ぎちゃってたからかもしれません。自分ではよく考えて色々喋ってたつもりだったんですけどね。

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「もうちょっと気を遣おうよ…」と、彼女は寂しそうにつぶやいた。

毎朝の出勤時間は僕の方が同居人よりも1時間半くらい遅いので、いつも僕が見送るんだけど、今朝出掛けに「色んなこと言うのは良いんだけど、相手の家族のことについて言うときにはもうちょっと気を遣おうよ……」と寂しそうな顔でつぶやいて彼女はドアをパタリと閉めた。 えええええ。。。 …夢でした。 や、実際に先日、家族の会食に同席したんですよね…それで初めて会ったというわけじゃないけども、なんかそのときに凄く失礼なことを言ったのかと思って血の気が引いた。いや夢だけど。 よく、嫌な感じの夢から覚めて、

「あー良かった、夢か…」
って安堵するリアクションがあるけれども、なんか僕、全然そんなの無いんだけど。微妙な夢見ると起きてからも微妙な気持ちでなんだかなーって感じ。全然気にする事じゃないってわかってるんだけど、わかっててもなぁ。もちっと無邪気に安堵しといた方が良いんだろうなぁ。てか、そう思っても次夢見るときには忘れてるからなぁ…

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それぞれの社会は広がっていくよね、とか。

先日、大学の後輩の結婚式披露宴に出席してきました。 披露宴に出ること自体は別に珍しいことでも何でもないし、大学卒業後、彼がそれまでとは違った色んな人に出会い、「自分の社会」を広げていっていることは、まぁ自分のことを考えてみてもごくごく当たり前なのだけど、ああやって色んな関係の人が一堂に会すようなそんな場所に居合わすとそのことを深く実感するというか。在学時は同じ体育会の先輩後輩でそれなりに濃密な時間を過ごしていたのだけど、当然ながらお互いにもうそういうんじゃないよね、っていう。 大学を卒業してまだそんなに時間が経たない頃に結婚した友人の時には、まだ彼らの社会もそんなに広がっていなくて、「大学の友人」てやつの存在感は今よりもあったような気がするようなしないような。まぁ人によるけどさ。地元出身でそのまま地元就職だったらもっと違うかもしれないしね。二次会ならともかく披露宴じゃ呼ぶ人も限られてるしね。 まぁともあれそんな彼の成長?に対して、ちょっとした寂しさと同時におおーすごいなぁという素直な感慨を抱いたのでした。だから何?って話なんですけどね。なんとなくね。

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朝5時半

一昨日の明け方、嫌な夢を見て起きた。 どこか知らないヨーロッパらしき雰囲気の街で恋人と一緒に石畳の狭い路地を歩いていた。ちょっと彼女が道の真ん中で立ち止まってなにやらしているので、少し離れたところから「危ないから歩道に上がった方が良いよ」と僕は声を掛けている。でも彼女には声が届かなかったのか、自分がしていることに夢中なのか、彼女は凄くゆっくりと歩道に向かって歩いていた。 そのとき、道の向こうからクラシックな車が角を曲がって路地に入ってくるのが見え、彼女を人形か何かのように突き飛ばしてそのまま通り過ぎてしまった。必死にナンバーも覚えたが今はもう忘れてしまった。意識はなかったが運良く大きな外傷はなく、すぐに病院に運ばれ、僕はなぜか一緒に行かずに宿の荷物の整理を急いでしてから病院に向かった。僕と一緒に病院に向かったのは彼女の父だったのだけど、彼女の父はなぜか星野仙一だった。どうしてこうなった。 まぁその辺りでだいたい夢であることは薄々感づいていたのだけど、そのことと嫌な感覚とは共存していて、夢の中の現実は変わらない。焦れば焦るほど病院との距離は縮まらず、途中で大学の時の先輩に偶然会い(驚いたことにどうやら僕は結婚式を挙げるところだったようだ)、病院の1階を延々迷ったり、かと思ったら正面玄関は2階になっててすんなり行けたり、ずっと嫌な感覚は続いている。ようやく病室にたどり着き、彼女が無事であることを確認し、「コンタクトを直すために立ち止まっていたの」というセリフを聞いたところで目を覚ました。なにか随分と現実的な終わり方だ。 起きた瞬間にこれは夢だというのはすぐに分かったし、この夢を見たから現実で何かが起こるとも考えなかった。けど、馬鹿馬鹿しいかもしれないけど、とりあえずぼんやりと不安になったので、顔を見に行った。時計を見たら朝の5時半過ぎだった。空はもう鈍く明るかった。

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常識の限界

久々に「常識の限界」ってやつを見た。人格だとか感性だとか環境だとか常識は人によって違うとかそういうレベルじゃないやつ。今はただ顕在しているだけなのかも知れないけれども、状況から考えてすぐに良い方向に向かうのは難しいのじゃないか。 彼我でここまで違う場合に、それに対してこちら側の考えていることがいかに論理的であるように見えても、それがどうなるかは開けてみるまで分からない。何事もやってみなくてはわからないし、事実やってみる価値は十分にあると思うけれど(やれることはそんなに多くなくて猶予もない)、どんなやり方にせよ向こうに一度ボールを投げるというやり方は相手に判断のチャンスを与えることになるし、どんな結果が出てくるかはそれが良いか悪いかを含めても分からないだろうと思う。どんなシチュエーションを想定しておいても無駄にはならないんじゃないか。 「愛する人間が死ぬのを見るより、愛する人間が狂ってるのを見る方が辛いんじゃないかな」 (村上龍「愛と幻想のファシズム」 文庫版上巻P.43)

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