約束

JR西日本の叩かれようと言ったら無いですね。 多くのブロガーが反応してますけど…まぁ、興味ないな。申し訳ないんだけど。 書く前からくだらねぇとわかってることを改めて叩くのは、 マスコミが今やってるネタ探しと同じ作業だからな。 あいにく、そんなにネタには困ってないんでね。 JR西日本ネタは、MUTTERとしては完全にスルーの方向で。 そんなことより、事故に関する情報の方が何千倍も重要だ。 まぁそんなことはともかく。 僕には今年、約束したことがある。 非常に重要な約束で、春を迎えた当たりから、自分の中で最優先の約束の1つになった。 花粉は5月中旬まで。 by 気象庁 だって約束したもんな? 気象庁はそんな気はさらさらなくてただの予報だし、 花粉の飛散が終了するだけで花粉症が収まるわけではないし (地面に吸着せずに舞い続けるから時差がある) わかってんだ、そんなことは。 でも、僕にとっては切実な約束なんです… そんで、今日は特に調子が悪い。 目も鼻も。 えーん。

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何か真面目だなぁ…最近。

時事問題を良く取り上げるようになって、 どうも、サイトの内容が、異常に真面目になって来ちゃってるような(苦笑) えーとね、まぁ確かにそういう一面はあるかもしれないんだけれども、 僕はそこまで固い人間じゃないんですよ、多分。 言いたいことを言いたい、ってだけで。 このサイト、もうどれくらいの人が、訪問して/RSSで、見ているのか、 自分では全く把握できない状況になってしまったんだけど、 このサイトを通して、僕の印象が積み上げられているとしたら、 窮屈なことだなぁ、と思ったり、思わなかったり。 まぁでもそういう人とは多分、会わないので、 でも、会う人でもたまにいるんだよなぁ、 会ったときにこのサイトの延長を求められること。 いやー…改めて喋るようなことなんて、ひとっつも無かったりするんで、 適当に水曜どうでしょう的に誤魔化して、脱出を試みたり。 まぁ、多分、最近はこんな心境なんでしょうねぇ。 よくわからんけど。 あーそろそろ、レコード整理しないとなー… (部屋を眺めつつ)

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煙草と花粉症。

本格的に花粉症になってから、煙草の量が減り続けている。 別にね、禁煙してるつもりはないんだけど、 煙草を吸うと、鼻水がひどくなっちゃって、くしゃみが止まらなくて、吸ってられないの。 去年くらいから煙草の量が徐々に増えていって、 2月には、大体、1日1箱くらい吸ってたんだけど、 今はそうだな、大体1日5本くらい。 1箱が20本入りだから、¼…くらいかな。 この間、出勤前に吸ったら、残り少なくて、 『あぁ、どっかで買わなくちゃな…』 と思って仕事に向かったのだけど、それで1日もってしまった。 だからといってストレスが溜まるわけでもないし、単純に吸う量が減っただけで、 まぁ、健康的、というのだろうな。 花粉症が一段落して、毎日の花粉予報も、やや多い、や、少ないになるに連れて 吸う本数も徐々に増えつつあるから、 結局、期間限定の節煙にしかならなかったんだけど。 なかなか止められないよな、煙草って。 そのうち、止めるとか、止めないとか言いそうな気がするけど、 まぁ、今のところは、健康を害しすぎない程度に、ってことで。

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全ての終わり、そして始まり。

物語は、時に、突然の終わりを迎える。 ただし、もしこれが小説であったのなら、という話だ。 現実世界では、ページが尽きることはない。 たとえ終わりを錯覚したとしても、時は非情なまでに淡々と流れていく。 全ての終わり、そして全ての始まり。 小説における終わりとはすなわち、状況の停止、だ。 小説とは、文字に沿って状況を変化させていくことに意義があり、 その変化が止まる地点が終わり、だ。 ところが我々の世界には、変化の止まる地点がない。 たとえ1人が人生を全うし命を落としたとしても、 その人を含んでいた状況の変化が止まるわけではない。 にもかかわらず、僕らは、時折、『終わり』を感じる。 在りし日の情景を思い浮かべ、現在の状況までの変化を感じ、時に悔い、 その状況を変化させることはもう出来ない、と、錯覚する。 だが、冷凍庫に放り込んだ魚でさえ徐々に痛むように、 変化しない状況など、ない。 僕らの世界では、過去に起きたことでさえ、変化する。 過去に起きたことは全て確定したもの?それも、終わりの錯覚だ。 変化しないものは過去ではない。 物語は、突然の盛り上がりを見せ、また同じように突然の終わりを迎えた。 僕自身にはとても追いつく暇はなく、 目で追っている間に、いつの間にか、状況は変化を拒否していた。 僕の目の前を、猛スピードで通過していったそれは、結局コントロールが効かなくなり、 前方の壁に激しく衝突した、のだ。 ただ、先に述べたように、我々の世界に終わりはない。 たとえ、人類が滅びようとも、それは終わりなどではなく、ただの錯覚だ。 時は流れていくし、状況の変化には何の変わりもない。 僕は変わらずに煙草を吸うし、 煙を吐きながら、今もここに立っている。 全ての終わり、そして始まり。 状況は、今も変化し続けている。 変化を拒否しているのは、自分自身なのだが。

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日本にサマータイムは有効か

だんだん日が長くなってきて、暗くなるのが遅くなってきました。 こうなってくるとなんだか得した気分なんだけど、得と言えばサマータイム。 いよいよ法案が出るらしいね。 ITMedia、小寺信良氏のコラムより。

日本にサマータイムは有効か
今国会では「サマータイム法案」なるものが提出されようとしている。これまで何度か浮上しては見送られてきた経緯を持つ同制度だが、今回はかなり本気度が高いといえそうだ。果たして日本でサマータイムは有効に機能するのか、筆者なりに考えてみた。>> 記事を読む
筆者と違って僕はサマータイムの経験がないので あんまり具体的なことは言えないのだけど、 必ずしも劇的な効果があるわけではない、というのは何となく理解できる。 結局さして効果的ではないまま、国民が皆早起きをするだけになるってのも、 有りそうな話だ。 結局、まだ明るいから残業とか、ね、いかにもって感じ。 それに、漁業や農業への影響も考えたこと無かったなぁ… 自然界の時間は変わらないのに、市場が開くのは1時間早まるってんじゃなぁ… 場所によっては、物が届かなかったり、少なくなったりせざるを得ないんじゃないだろうか。 その辺、どう対策取るつもりなんだろう…? まぁもちろん、やってみないと問題点も分かんないけど。 そんなために何百億もつぎ込む価値、あんのかなぁ…微妙。 ていうか、初日とか、絶対間違えて寝坊しそう。ほんとに。

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1年を振り返る。

『自分の過去を振り返ってみる』 なんてことを、やってはいけませんよ。 過去が美しかろうとも、悲しかろうとも、 現実に戻ってくるのに時間が掛かることはわかりきっているし、 いざ戻ってきてみたところで、元気になっている可能性は万に一つもないのだから。 そういうことを分かった上で、振り返ってみる。 というのも、僕がこの部屋へ引っ越してきて、1年が経ったから。 1年前と言えば…なんだろうね、ちょうど自分の人間的な部分で、岐路に立っていたというか。 これは何度も書いたり、喋ったりしてきたことなんだけど、 それ以前の僕には、良い意味でも悪い意味でも、対外的にも、対内的にも、 妙なこだわりがあって、 それはとても一言では言えないようなことだけど、何か絶対的な基準に照らして 気に入らなければNO、そんな感じだった。 だから、自分がしたことが許せなかったり、状況に満足できないと、 すぐにブルーはいるような。 自分の想いと、現実との妥協点を見つけるのが、凄く大変な時期だった。 『時期だった』というか、 15,6あたりからずっとそうだったんだけど。 でもなんかね、どこかで気付いたんだよね。 正直に言うと、何か一つの『人生イベント』がきっかけになっているわけじゃなくて、 全体の流れの中で、 あぁ、別にそこまで求めなくったって良いんじゃないかね?と。 もちろん、辛いことは嫌だし、損するのも嫌だし、嫌いな人間は嫌い、 そうなんだけど、それを嫌だ、と思わなくても、 自分がそう知っていればいいわけなんですよね。 その瞬間、それに対応して、それから少しずつ、考えていくみたいな。 最初は、これは、単純に、愛想使って現実逃避してるだけで、 後でどどっと悩みが来るんじゃないか?なんて思ってたんだけど、 1年経って考えてみて、案外そうでもない。 そりゃね、話し合わせすぎて疲れるときもあるし、 こっちの状況を見ずに、押し寄せてくるような関係もあるよ、 でもまぁそれはそれで、相手のいることだから、話せば分かる。 話して分からないんじゃ、関係を諦めるほかない。 “体の表面で話して”いれば、何も起きない。 そうするとね、昔はすっごく長く考えていた、 『嫌なこと』や『嫌なもの』(本来自分の中にあってはいけないもの)のことを、 比較的すぐに忘れて、気にしないようになることが出来た。 不思議なもんだよなぁ。 忘れようと格闘していたときには全く出来なくて、 内包しようと構えた途端に、自分の中からは無くなるようになっていったんだから。 クラブや、会社や、その他様々なところにいるときに、 凄く楽になれたと思う。 2003年より、ずっと、多くの時間、笑顔でいられたのが2004年だったと思う。 飲みに行くのも、愚痴を聞くのも、 どんなコミュニケーションでも、 取り込んで自分の中で自問自答して回答を出すんじゃなくて、 相手と話して決める。 そんなことが出来るようになったんじゃないか、と。

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Die/Death

死んでしまいたい、と 初めて思った 現実から逃避し続ける自分を諦めかけて その現実を消してしまおうと思った 自分が死ぬイメージは 曖昧で不確かで幼稚だ それでも、僕は 生きることをあきらめてしまいたくなった 誰のせいでもない ふられたわけでも だまされたせいでも うらぎられたせいでもない 僕の、せい うまく生きることができない なにをしなくちゃならないかは はっきりしてるのに できない自分をあきらめたい そう思ってしまった 不思議とこわくなかった 冗談めかして向かったホームのはじ すこし、それでもいいかもしれない とおもっていた 死んでしまいたい よりいいことはたくさんあるから あるけど …。

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