[sleipnir] リリース予告。

Sleipnir/Grani ユーザーのみなさんへ TridentV に対応した次期 Sleipnir は11月16日にリリース予定です。
Sleipnirのコードがロストした(ノートパソコンを盗まれたんだっけ)ニュースは、 結構、大きく報じられたような気がするなぁ。 あれから2年か。 当時は、僕個人的には、Sleipnirに興味はなかったし、 そもそもSleipnirも、一人のプログラマ(と多くのユーザ)による、 マイナーな開発だったわけだけど、 今や、会社も作って、規模も大きくなって。 そう考えると、 何がきっかけで、人生がどう転ぶかなんて分からんよなー 遅かれ早かれ今のような状況にはなってはいたんだろうけど、 あのタイミングで、あの盗難がきっかけだというのは、 仮定を取り除いてみてみれば、きっと事実なんだろうな。 まさに、 『万事、塞翁が馬』 というやつだな。 (全く自分とは関係ないのに、)感慨深い。

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irritated.

なぜだか、妙に苛ついていた。 それは、そばにいてくれている人のせいでは全くなくて、 自分でもなぜだか分からないような。 時代祭の超人混みの中で、 平気でくわえタバコをするバカなオヤジにむかついた…せいではなくて、 苛ついてたから、そのオヤジにむかついたんじゃないか? (まぁどっちにしたって非常識だし、人混みから追い出してやったんだが) 狭い歩道をとばしてきた自転車に接触して、 そのアホなガキにむかついた…わけではなくて、 普段だったら、あぶねぇなぁ、だけでスルーしてたんじゃないか? (別に何もしなかったし、言わなかったけど) なんだかよくわからないが、 どうもなぜだか、苛ついていた。 正当な理由があって苛ついていた、と思っていたのだけど、 考えれば考えるほど、そうではないことが分かって、 疲れやストレスから、既に苛ついていて、 だからトラブルに感じてしまうんじゃないか、と。 どうしたら、この状況を解消できるのだろう? そう考えて、僕は自分に命じた。 笑え、 無理にでも良いから、とにかく顔は笑え。笑顔を作れ。 馬鹿なことだと思うだろうけれど、無理すんな、と、 でも、なにか、きっかけが必要だった。 具体的な理由がないのに、苛ついている、 そして、解消もままならない、 そういうときには、なにかきっかけ、気分転換が必要だ。 笑うんだ。 悩んだままで良いから。 目の前のことに釘付けになっている思考から、 一度自分を解き放って、 肩の力を抜く。 それから、ゆっくり、悩めばいい。 苛つきは、バカバカしいほど簡単に氷解した。 やっぱり、コアには何もなかった。 少し、疲れているだけだ。 あまり眠らない日々が続いていたせいだ。 仮に、まだ気付いていない何かがあって、 笑ってる暇があったら、それを解決した方が良い、 のだとしても、 それは、苛ついたままでは解決しない。多分。経験上。 だから、笑うんだ。 笑うことは、解決の遠回りなんかじゃないから。 それで、十分だ。

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青色ゴミ袋最後の日

僕の住んでいる地区の普通ゴミの収集日は、毎週火・金曜日です。 というわけなので、明日が、 青色(または黒色)ゴミ袋でゴミを出せる最後の日、 ということになります。 平成18年10月から 家庭ごみの有料化がスタートします 万が一、これを逃すと、 今、ゴミ袋に入っているゴミを、 新しいゴミ袋に詰め替えるという馬鹿馬鹿しい作業が待っていることになります。 別に、DPZではないので、 これをわざわざ逃して、詰め替える様をデジカメで、 細かく記録してアップする…なんてことはしません。 しませんよ! 明日の朝、忘れずにゴミ出ししたいと思います。。。

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時間の流れが長くなってきた…

昨年、一昨年は何度も、 『時間の流れが遅すぎて苦痛だ』 というようなことを書いていたのだけど、 今年は年初からずいぶんと違っていて、 特に、最初の3ヶ月(1~3月)と、夏の2ヶ月(7、8月)は、 結構あっという間に過ぎ去った。 え、もうかい?てなもんだ。 で、去年あれほど大仰に書いちゃったもんだから、 今さら、『今年は時間の流れが早いね』なんてことも言い出せず(苦笑)、 ずっと黙ってたんだけど、 9月に入ってとたんに、時間の流れが遅くなってきて、 今日なんてまだ、8日だってのに、 気分的には、もう15日は過ぎてるような、そんな感覚。 まぁ、SWITCH-OVERの日程のせいもあるかもしれないけど。 (第2金曜だから、8日というのは最も早い日にちということになる) 実際、日付が飛ぶように過ぎていくと、 それはそれでもったいないというか、 何か無駄に時間が過ぎてるんじゃないのか的、後ろめたさがあるんだけど、 (気づかなきゃ別に気にならないが) 遅いとそれはそれで、 『走り始めて5分で腹が痛くなったマラソン大会』 みたいな感じで、それはもう。 コレって何かもうホント、不思議だなぁ、と思う。 でもね、結局、制御できないから。 そのペースに合わせるしかないんで。 ぼちぼち行きましょー

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色覚異常に関する知識

2ちゃんねるのまとめサイトで、 色覚異常(色盲/色弱)に関するスレッドが紹介されていた。 つーちゃんねるブログ ■       色盲 検査       ■ 遺伝子異常調査 まぁ始めは、よくある画像を見て、 これ読める?というところから始まってるんだけど、 ■ 例題の画像 僕からするとこの画像、 左上から右に、6、12、73、 左下から右に、15、29、不明、 というような感じになるのだけど、その、『不明』というのは、 “正しく”は、『見えにくい5』ということのようで。 (確かに、オレンジ系を無視して灰色と緑に集中すると見えないこともない) 今まで、『見えない』というのが解答だと思ってたので、 かなり意外だったのだけど、 こちらの色相を変えた比較をみると、納得せざるを得ない。 上記画像に関しては、スレッド内で、

つまりだな、色弱の人は赤緑が区別しにくいので、Lab色空間のbのように認識してるのだ。 下がうっすら17,70,5に見えるだろ。
健常者は緑と赤の区別ができるので、Lab色空間のaのように見える というかこの場合、bよりもコントラストがハッキリしているので、aが強く見える。
赤緑色盲の人は色を見分けるときに健常者よりコントラストに敏感なので 12しか見えないということは無く、下の段のような微妙なコントラストから 17、70、5を読み取るのだ。
という、コメントが付けられている。 なるほどね。 むしろ、色覚異常の人の方が、『5』を認識しやすいと言うことか。
右下が見た瞬間5に見える人は強いコントラストが完全に感知できてない 5だといわれても、まったく5のある場所がわからない、なんとなく5に見えることもない って人は人は強いコントラストと弱いコントラストが混在してるときに弱いコントラストが感知できなくなる人だよ 6,12,73,1529がはっきり見えて、じろじろ見た結果5が見えるような気がするって言う人が一番
視覚以外の様々な感覚が、人によって違うので、 『異常』か『正常』かということではなくて、 その中間のいろんな感覚があるというのは、まぁ当然なのだけど、 こうして並べて見るまで、それに思い当たらなかったなぁ。 知ってるつもりで、知らないってこと多いね。 色覚異常 – Wikipedia

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雷鳴。

雷が好きです。 もちろん、落雷で被害が出ることを歓迎することはありませんが、 自然を身近に感じられる現象が好きなんです。 今、京都では雷鳴が鳴り響いています。 iTunesの音楽を止めました。

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最近欲しいもの。

人間の物欲は限りがないものだなぁ、と実感するね。 正月早々にPCを組み立て、 先日、ワールドカップ開催ぎりぎりで、HDD/DVDレコーダーを購入し、 今現在それらのローンの返済に追われている…にもかかわらず、 冷蔵庫欲しいよな…と思ってしまった。 『思ってしまった』 というか、まぁそのこと自体は以前から思ってはいたのだけど、 なんていうかなぁ、サイズ合うの?と思ってたのだ。 今うちにあるのは、2ドアの小さな冷蔵庫(多分、85Lというヤツだと思う)で、 どうにも手狭だ。 何かを作ったり、材料が余ったり、もらい物をしたり、 とにかくちょっとしたときにすぐに一杯になってしまう。 で、ちょっと調べてみた。 あんまりびっくりしない程度の予算(5万くらい)で、 部屋の今冷蔵庫があるスペースにぴったりはまる(幅500mm以下) それに合うのは… あ、あった。37,800円。 ナショナル (165L 右開き)ノンフロン冷蔵庫 NR-B171J-R ナショナル NRB171J:ヤマダ電機WEB.COM 一応メーカのサイトも見ておくと、 パーソナル冷蔵庫 NR-B171J : 商品概要 | ナショナル商品カタログ だって。 へー。 ほー。 …買えんじゃん。頑張れば。 むむう。 来年の夏までに考えるか。

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柳沢の件

はてな、Naoyaさんのエントリを受けて。 naoyaグループ – naoyaの日記 – 柳沢 naoyaグループ – naoyaの日記 naoyaグループ – naoyaの日記 – 自分にできないことをすごいと思う 僕のはてブコメント:

[あとで書く]気持ちが八つ当たり気味なのは認めるけど、それができるはずだからあそこにいるわけでしょう?自分には無理と、一面的な批判はいかがなものかは、別問題っぽい。
とりあえず、Naoyaさんがイメージしている、『批判をする人たち』、 Naoyaさんエントリに対する反応、 それらを読まずに、書いてみることにする。 だいぶNaoyaさんの意図と逸れそうな気がするけど、 自分の中の、柳沢に対するブーイングが、果たして、 柳沢に敬意を払っていないのかどうなのか、という視点を持ちつつ。 まぁその点で、『一面的な批判』と違って来ちゃってるので、どうだろうかね、という感じだけど。 * * * 僕が違和感を感じたのは、きっと、『非難』という単語が曖昧だったからじゃないかと。 僕の中でのあのシーンに関する結論は、極めて単純で、 あの場面で、柳沢が、W杯に出場している国でレギュラーを獲得している、 多くのFW(スーパーでなくとも)と同じようなパフォーマンスを見せていたら、 1点が入っていた、ということ。 柳沢のスタイルに関しては、代表戦でなかなか点を取れないということもあり、批判は多い。 僕自身も、その点は不満に思うが、一方で彼が無能かと言われれば、まったくそんなことはなく、 そこは、サッカーのバラエティ実況の限界でもあり、 あの狭い視界の中でさらにボールしか追えないという視聴者の未熟さでもあり、 彼が、彼に与えられた使命を果たせていないか、といえばそうでもない。 一人がフリーで抜け出せたとき、それが全てその人間能力のみ、ということはそうそうないし、 柳沢は、そういうチャンスを数多く作れる選手だ。 その点では、周りの評価は不当に低すぎると思う。 実際、同試合の中で、柳沢のパフォーマンスが良くなかったかといえばそんなことはなく、 そもそも、あのチャンス自体、柳沢がいなければ成り立っていなかったと思う。 しかし、彼に与えられた使命は、それだけではない。 それは、ピッチ上にいる全ての選手に共通することだが、 あのようなチャンスであの場所にいた人間なら、ボールをゴールに入れることが使命だ。 それが出来れば、凄い選手だし、出来なければ、凄くない選手だ。 少なくとも、あのシーンにおいては。 だから、観客はブーイングをする。 そしてもちろん一方で、素晴らしいプレーには、賞賛を送る。 一般論にメタ化していうとわかりにくくなるが、 そうした、意図のあるブーイング、賞賛、それがスポーツ選手に対して払う敬意だと思う。 むしろ逆に、あの柳沢のプレーに関して、無批判のままでいるのは、 それは敬意なんかではなく、ただの、無批判な姿勢、でしかない。 批判のための批判をしたがる人間はともかくとして、 あのプレーに対してネガティブなコメントをする人間は、 選手に対する敬意が足りない、と指摘されたのでは、それはあんまりじゃないか。 尊敬することは、批判しないことと同義ではないはずだ。 そもそも、自分に出来ないことが出来る人間を尊敬することと、 あのプレーを批判することに、何らかの関連があるんだろうか? プレーに対するブーイングは、ただの批判ではない。 観客のブーイングは、悪意ではなく、要求だ。 柳沢が点を取れなかったからといって、彼が憎いわけではない。 ただ、為されるべきことを指摘することは、観客として当然の主張だ。 それは別に柳沢とは関係なく、 どんな偉大な選手に対してであれ、常に行われる。 それは同時に、為すべき事を為す選手に対する賞賛と並行して行われるべきことだし、 為すべき事を為さない選手に対して、ブーイングをしないことは、 為すべき事を為す選手に対する敬意を損なう。 良いプレーには、賞賛を。 悪いプレーには、ブーイングを。 それが、選手に払うべき敬意の、形の一つであって、 それらをひっくるめるような、『非難』という単語で、 これらの敬意を安易に否定して欲しくない。 お前には無理だろ、だから悪く言うな、というのは、実際、あまり根拠がない。 出来ないからこそ、あのピッチに立って居るんじゃないか? だから、この状況で、その論理を導入するのは、始めから無理がある。 その論理で言えば、あらゆる『非難』は否定される。 人間というのは、ひとそれぞれ全く違うことをして生きているわけで、 友人の誰にも出来ないことを僕が出来るのと同時に、 僕が出来ないことを容易にやってのける友人は大勢いる。 いや友人じゃなくても、 スーパーでレジ打ちするおばちゃんのように、僕は客をさばけないし、 タクシーの運転手のように、要領よく客を届けることも出来ないし、 居酒屋のアルバイトのように、酔っぱらいに無難にメニューを届けることも出来ない。 そういうことを前提にすればするほど、非難の持つ意味はより否定的になり、 非難そのものを否定することになるだろう。 しかし待ってくれ、そんな結論で良いのか? いかに、インスピレーションだったにせよ、非難の内容に触れなくていいのか? 客をさばけないおばちゃんや、 道を遠回りしたあげく渋滞に捕まる運転手や、 メニューを間違えた上に逆ギレするアルバイトに対して、 要求することは、否定的なことか? 重要なことは、その非難が何を意図していたかと言うことではないのか? 柳沢に戻って言えば、 だから柳沢はだめなんだ、とか、 柳沢じゃなかったら勝ってた、とか、 そうした、あのプレーだけに即しない、 彼自身に対する非難が為されるべきでないのであって、 その単語自体が、否定されるべきことではないように思う。 きっと、Naoyaさんが目にした非難は、柳沢に対する敬意を含まない、 むしろ悪意すら含んだようなものだったのだろう。 でも、そこから、『非難』と、出来ないことと、尊敬を結びつけるのは無理がある。 できることは、『その非難』と、尊敬を結びつけることだけで、 Naoyaさんが大事にしている尊敬の仕方の一つが、 自分が出来ないことを出来る人に対する尊敬、なだけなのでは? 同一項を含むだけであって、僕には関連がよく見えない。 エントリはそのまま、尊敬を抱くことについて流れていってしまっているので、 上記の点に関しては結論はないけれども、 為されるべき事が為されないときに要求することは、 尊敬と並行して重要なことなのではないかと思う。 悪意を持った非難というのは、尊敬を持ち出すまでもなく、 最初から唾棄すべきことであるというのは分かっていることだからだ。 * * * そういうわけで、Naoyaさんの言いたかったことって、 柳沢と関係ないよね。 ただ、インスピレーションがそっから来ただけで、 それはトイレに入ってて、何かを思いつく僕と同じく(苦笑)、 別にそのアイディアとトイレの間に、確たる関連があるわけでもなく、 もちろん、精査すれば少しくらい要素はあるかもしれないけど、 ま、言いたいのはそこじゃない、と。 2番目のエントリに沿って書くのであれば、 それが誰であれ、凄いところを持つ人を尊敬する、というのは、 誠実なコミュニケーションにおいて、非常に大切だと思う。 人を、一面的な評価しかできない人は、やっぱりなんだかなと。 ブーイングにしても、賞賛にしても。 手放しで僕をほめる友人は、やっぱり信用しづらい。 欠点だらけだもの。 人間として言えば。 ここが良くて、ここがそうでもなくて、 でもやっぱりこれ出来るあなたは凄いよね、 まぁ別に口で言わなくても良いんだけど、 誠実に接すると言うことは、きっとそういうことで、 それはおそらく、敬意に近いこと(または敬意)で、 それによって、相手に対して思うことや、 逆に相手が自分に対して思うことが変わってくるんだろうなぁと。 色んな人に会ってると、自分の要求を満たさない人間は無価値、 という付き合い方を強要する人間も居るんだけどさ、 それってどうなんかなーと思うわ。 それだと、結局、自分が出来ることが出来る人としか、付き合えないもんな。 良い悪いとか、そういうことをほっぽり出して書くと、 そんな人生、つまんない。 そこんとこ考えてみるだけで、結構、面白くなって、 自分だけじゃ出来ない色んなことが出来るようになるのにな。

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