時間の流れが長くなってきた…

昨年、一昨年は何度も、 『時間の流れが遅すぎて苦痛だ』 というようなことを書いていたのだけど、 今年は年初からずいぶんと違っていて、 特に、最初の3ヶ月(1~3月)と、夏の2ヶ月(7、8月)は、 結構あっという間に過ぎ去った。 え、もうかい?てなもんだ。 で、去年あれほど大仰に書いちゃったもんだから、 今さら、『今年は時間の流れが早いね』なんてことも言い出せず(苦笑)、 ずっと黙ってたんだけど、 9月に入ってとたんに、時間の流れが遅くなってきて、 今日なんてまだ、8日だってのに、 気分的には、もう15日は過ぎてるような、そんな感覚。 まぁ、SWITCH-OVERの日程のせいもあるかもしれないけど。 (第2金曜だから、8日というのは最も早い日にちということになる) 実際、日付が飛ぶように過ぎていくと、 それはそれでもったいないというか、 何か無駄に時間が過ぎてるんじゃないのか的、後ろめたさがあるんだけど、 (気づかなきゃ別に気にならないが) 遅いとそれはそれで、 『走り始めて5分で腹が痛くなったマラソン大会』 みたいな感じで、それはもう。 コレって何かもうホント、不思議だなぁ、と思う。 でもね、結局、制御できないから。 そのペースに合わせるしかないんで。 ぼちぼち行きましょー

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色覚異常に関する知識

2ちゃんねるのまとめサイトで、 色覚異常(色盲/色弱)に関するスレッドが紹介されていた。 つーちゃんねるブログ ■       色盲 検査       ■ 遺伝子異常調査 まぁ始めは、よくある画像を見て、 これ読める?というところから始まってるんだけど、 ■ 例題の画像 僕からするとこの画像、 左上から右に、6、12、73、 左下から右に、15、29、不明、 というような感じになるのだけど、その、『不明』というのは、 “正しく”は、『見えにくい5』ということのようで。 (確かに、オレンジ系を無視して灰色と緑に集中すると見えないこともない) 今まで、『見えない』というのが解答だと思ってたので、 かなり意外だったのだけど、 こちらの色相を変えた比較をみると、納得せざるを得ない。 上記画像に関しては、スレッド内で、

つまりだな、色弱の人は赤緑が区別しにくいので、Lab色空間のbのように認識してるのだ。 下がうっすら17,70,5に見えるだろ。
健常者は緑と赤の区別ができるので、Lab色空間のaのように見える というかこの場合、bよりもコントラストがハッキリしているので、aが強く見える。
赤緑色盲の人は色を見分けるときに健常者よりコントラストに敏感なので 12しか見えないということは無く、下の段のような微妙なコントラストから 17、70、5を読み取るのだ。
という、コメントが付けられている。 なるほどね。 むしろ、色覚異常の人の方が、『5』を認識しやすいと言うことか。
右下が見た瞬間5に見える人は強いコントラストが完全に感知できてない 5だといわれても、まったく5のある場所がわからない、なんとなく5に見えることもない って人は人は強いコントラストと弱いコントラストが混在してるときに弱いコントラストが感知できなくなる人だよ 6,12,73,1529がはっきり見えて、じろじろ見た結果5が見えるような気がするって言う人が一番
視覚以外の様々な感覚が、人によって違うので、 『異常』か『正常』かということではなくて、 その中間のいろんな感覚があるというのは、まぁ当然なのだけど、 こうして並べて見るまで、それに思い当たらなかったなぁ。 知ってるつもりで、知らないってこと多いね。 色覚異常 – Wikipedia

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雷鳴。

雷が好きです。 もちろん、落雷で被害が出ることを歓迎することはありませんが、 自然を身近に感じられる現象が好きなんです。 今、京都では雷鳴が鳴り響いています。 iTunesの音楽を止めました。

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最近欲しいもの。

人間の物欲は限りがないものだなぁ、と実感するね。 正月早々にPCを組み立て、 先日、ワールドカップ開催ぎりぎりで、HDD/DVDレコーダーを購入し、 今現在それらのローンの返済に追われている…にもかかわらず、 冷蔵庫欲しいよな…と思ってしまった。 『思ってしまった』 というか、まぁそのこと自体は以前から思ってはいたのだけど、 なんていうかなぁ、サイズ合うの?と思ってたのだ。 今うちにあるのは、2ドアの小さな冷蔵庫(多分、85Lというヤツだと思う)で、 どうにも手狭だ。 何かを作ったり、材料が余ったり、もらい物をしたり、 とにかくちょっとしたときにすぐに一杯になってしまう。 で、ちょっと調べてみた。 あんまりびっくりしない程度の予算(5万くらい)で、 部屋の今冷蔵庫があるスペースにぴったりはまる(幅500mm以下) それに合うのは… あ、あった。37,800円。 ナショナル (165L 右開き)ノンフロン冷蔵庫 NR-B171J-R ナショナル NRB171J:ヤマダ電機WEB.COM 一応メーカのサイトも見ておくと、 パーソナル冷蔵庫 NR-B171J : 商品概要 | ナショナル商品カタログ だって。 へー。 ほー。 …買えんじゃん。頑張れば。 むむう。 来年の夏までに考えるか。

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柳沢の件

はてな、Naoyaさんのエントリを受けて。 naoyaグループ – naoyaの日記 – 柳沢 naoyaグループ – naoyaの日記 naoyaグループ – naoyaの日記 – 自分にできないことをすごいと思う 僕のはてブコメント:

[あとで書く]気持ちが八つ当たり気味なのは認めるけど、それができるはずだからあそこにいるわけでしょう?自分には無理と、一面的な批判はいかがなものかは、別問題っぽい。
とりあえず、Naoyaさんがイメージしている、『批判をする人たち』、 Naoyaさんエントリに対する反応、 それらを読まずに、書いてみることにする。 だいぶNaoyaさんの意図と逸れそうな気がするけど、 自分の中の、柳沢に対するブーイングが、果たして、 柳沢に敬意を払っていないのかどうなのか、という視点を持ちつつ。 まぁその点で、『一面的な批判』と違って来ちゃってるので、どうだろうかね、という感じだけど。 * * * 僕が違和感を感じたのは、きっと、『非難』という単語が曖昧だったからじゃないかと。 僕の中でのあのシーンに関する結論は、極めて単純で、 あの場面で、柳沢が、W杯に出場している国でレギュラーを獲得している、 多くのFW(スーパーでなくとも)と同じようなパフォーマンスを見せていたら、 1点が入っていた、ということ。 柳沢のスタイルに関しては、代表戦でなかなか点を取れないということもあり、批判は多い。 僕自身も、その点は不満に思うが、一方で彼が無能かと言われれば、まったくそんなことはなく、 そこは、サッカーのバラエティ実況の限界でもあり、 あの狭い視界の中でさらにボールしか追えないという視聴者の未熟さでもあり、 彼が、彼に与えられた使命を果たせていないか、といえばそうでもない。 一人がフリーで抜け出せたとき、それが全てその人間能力のみ、ということはそうそうないし、 柳沢は、そういうチャンスを数多く作れる選手だ。 その点では、周りの評価は不当に低すぎると思う。 実際、同試合の中で、柳沢のパフォーマンスが良くなかったかといえばそんなことはなく、 そもそも、あのチャンス自体、柳沢がいなければ成り立っていなかったと思う。 しかし、彼に与えられた使命は、それだけではない。 それは、ピッチ上にいる全ての選手に共通することだが、 あのようなチャンスであの場所にいた人間なら、ボールをゴールに入れることが使命だ。 それが出来れば、凄い選手だし、出来なければ、凄くない選手だ。 少なくとも、あのシーンにおいては。 だから、観客はブーイングをする。 そしてもちろん一方で、素晴らしいプレーには、賞賛を送る。 一般論にメタ化していうとわかりにくくなるが、 そうした、意図のあるブーイング、賞賛、それがスポーツ選手に対して払う敬意だと思う。 むしろ逆に、あの柳沢のプレーに関して、無批判のままでいるのは、 それは敬意なんかではなく、ただの、無批判な姿勢、でしかない。 批判のための批判をしたがる人間はともかくとして、 あのプレーに対してネガティブなコメントをする人間は、 選手に対する敬意が足りない、と指摘されたのでは、それはあんまりじゃないか。 尊敬することは、批判しないことと同義ではないはずだ。 そもそも、自分に出来ないことが出来る人間を尊敬することと、 あのプレーを批判することに、何らかの関連があるんだろうか? プレーに対するブーイングは、ただの批判ではない。 観客のブーイングは、悪意ではなく、要求だ。 柳沢が点を取れなかったからといって、彼が憎いわけではない。 ただ、為されるべきことを指摘することは、観客として当然の主張だ。 それは別に柳沢とは関係なく、 どんな偉大な選手に対してであれ、常に行われる。 それは同時に、為すべき事を為す選手に対する賞賛と並行して行われるべきことだし、 為すべき事を為さない選手に対して、ブーイングをしないことは、 為すべき事を為す選手に対する敬意を損なう。 良いプレーには、賞賛を。 悪いプレーには、ブーイングを。 それが、選手に払うべき敬意の、形の一つであって、 それらをひっくるめるような、『非難』という単語で、 これらの敬意を安易に否定して欲しくない。 お前には無理だろ、だから悪く言うな、というのは、実際、あまり根拠がない。 出来ないからこそ、あのピッチに立って居るんじゃないか? だから、この状況で、その論理を導入するのは、始めから無理がある。 その論理で言えば、あらゆる『非難』は否定される。 人間というのは、ひとそれぞれ全く違うことをして生きているわけで、 友人の誰にも出来ないことを僕が出来るのと同時に、 僕が出来ないことを容易にやってのける友人は大勢いる。 いや友人じゃなくても、 スーパーでレジ打ちするおばちゃんのように、僕は客をさばけないし、 タクシーの運転手のように、要領よく客を届けることも出来ないし、 居酒屋のアルバイトのように、酔っぱらいに無難にメニューを届けることも出来ない。 そういうことを前提にすればするほど、非難の持つ意味はより否定的になり、 非難そのものを否定することになるだろう。 しかし待ってくれ、そんな結論で良いのか? いかに、インスピレーションだったにせよ、非難の内容に触れなくていいのか? 客をさばけないおばちゃんや、 道を遠回りしたあげく渋滞に捕まる運転手や、 メニューを間違えた上に逆ギレするアルバイトに対して、 要求することは、否定的なことか? 重要なことは、その非難が何を意図していたかと言うことではないのか? 柳沢に戻って言えば、 だから柳沢はだめなんだ、とか、 柳沢じゃなかったら勝ってた、とか、 そうした、あのプレーだけに即しない、 彼自身に対する非難が為されるべきでないのであって、 その単語自体が、否定されるべきことではないように思う。 きっと、Naoyaさんが目にした非難は、柳沢に対する敬意を含まない、 むしろ悪意すら含んだようなものだったのだろう。 でも、そこから、『非難』と、出来ないことと、尊敬を結びつけるのは無理がある。 できることは、『その非難』と、尊敬を結びつけることだけで、 Naoyaさんが大事にしている尊敬の仕方の一つが、 自分が出来ないことを出来る人に対する尊敬、なだけなのでは? 同一項を含むだけであって、僕には関連がよく見えない。 エントリはそのまま、尊敬を抱くことについて流れていってしまっているので、 上記の点に関しては結論はないけれども、 為されるべき事が為されないときに要求することは、 尊敬と並行して重要なことなのではないかと思う。 悪意を持った非難というのは、尊敬を持ち出すまでもなく、 最初から唾棄すべきことであるというのは分かっていることだからだ。 * * * そういうわけで、Naoyaさんの言いたかったことって、 柳沢と関係ないよね。 ただ、インスピレーションがそっから来ただけで、 それはトイレに入ってて、何かを思いつく僕と同じく(苦笑)、 別にそのアイディアとトイレの間に、確たる関連があるわけでもなく、 もちろん、精査すれば少しくらい要素はあるかもしれないけど、 ま、言いたいのはそこじゃない、と。 2番目のエントリに沿って書くのであれば、 それが誰であれ、凄いところを持つ人を尊敬する、というのは、 誠実なコミュニケーションにおいて、非常に大切だと思う。 人を、一面的な評価しかできない人は、やっぱりなんだかなと。 ブーイングにしても、賞賛にしても。 手放しで僕をほめる友人は、やっぱり信用しづらい。 欠点だらけだもの。 人間として言えば。 ここが良くて、ここがそうでもなくて、 でもやっぱりこれ出来るあなたは凄いよね、 まぁ別に口で言わなくても良いんだけど、 誠実に接すると言うことは、きっとそういうことで、 それはおそらく、敬意に近いこと(または敬意)で、 それによって、相手に対して思うことや、 逆に相手が自分に対して思うことが変わってくるんだろうなぁと。 色んな人に会ってると、自分の要求を満たさない人間は無価値、 という付き合い方を強要する人間も居るんだけどさ、 それってどうなんかなーと思うわ。 それだと、結局、自分が出来ることが出来る人としか、付き合えないもんな。 良い悪いとか、そういうことをほっぽり出して書くと、 そんな人生、つまんない。 そこんとこ考えてみるだけで、結構、面白くなって、 自分だけじゃ出来ない色んなことが出来るようになるのにな。

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自分が悩んできた道を、

こう書くと本当に偉そうで嫌になるけど、 でも実感として、 自分より年下の人間が、 過去、僕が悩んでいたことと同じような種類のことで 悩んでいる場面に遭遇することが、増えてきたような気がする。 だからといって僕が、過去(または現在)、 その問題を理想的に解決しているわけではなく、 その年下の友人に対して何のアドバイスもしてあげられないのだけど、 そういう、年下の友人の中に過去の自分を見る、というような、 ある意味、既視感に近い感覚を覚えるに付け、 自分が年を取ったのかもしれないなぁ、と思う。 そう思うと、世の中の『大人達』が、 自分より年下の人間に対して、 さして理由もなく偉そうにしていることも、 何となく理解できるような気がする、要は、 『ああ、それね、俺も10年前に同じことを思ってたよ』 という、優越感のようなものなのだろうな、と。 んで、年上の人間が年下の人間の悩みを理解しているかというと、 実際には半分くらいなんだよね。 人も状況も違うわけだから、 悩みの構造部分については理解できるけど、 (例えば、20代前半で漠然とした不安を持つ、とかだ) 問題自体は理解してあげられないし、 説教とか、アドバイスとか、んーおこがましいよなぁ。と。 結局は、自分で悩むほかないからね。 昔も今も、そうした態度を取る人に対しては、やっぱりむかつく。 いわゆる、『メタ化』と言われているような、一般論的な論理展開、 俺もそうだったからお前もそうだろ的、 個々の特性を無視した、 あたかも、自分の性格や状況は重要じゃない、と言われているような、 そんなことを感じさせられるからなんだろうな、と思う。 僕とあなたは違う、と。 でも気づけば、同じように、 年下の友人に対して、偉そうに振る舞ったり、 『お前、分かってないよ』 とか言って誤魔化したりしてる自分がいて。 過去の自分に指摘されるまでもなく、 分かるように説明するか、もしくは黙っているか、 適切なのはのどちらかであって、 わざわざ挑発したり、軽蔑したり、 (そして遠回しに自己満足したり) そんな必要は全くないんだよな、という。 年齢関係なく、自分ではない人間と話すことは、 本当に様々なことを教えられるし、刺激になるけど、 それとこれとは別問題。 わざわざ、お節介焼くために出張る必要はなくて、 相手が何かを行ってきたときに、 初めて一緒に考えてやれば良いんだろうな、と。 それはつまり、本当にわかる大人と話すためには、 勇気を出して相談し、尋ねないといけないんだけど。 難しいね。

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DVDレコーダーを買ったせいでやたらとテレビを見ている気がする…件。

先日、ちょこっと書いたとおり、私、DVDレコーダーを購入いたしました。 買った機種は、東芝のRD-XD71。 ネットでの評判はと言うと…、 まぁ実はそう芳しくないんですが、 BSチューナーが必要だったこと、 予算がそうたくさんはなかったこととで、 選択肢はそう多くなかったのでした。 何となく自分の中で、 『買うんなら、RDシリーズ』 と決めていたというのもあるし。 まぁ何はともあれ、結構お得な値段で買えたし、 一部で超酷評されていた、 取扱説明書のわかりにくさとか、設定の煩雑さなんかも、 僕にとっては苦にならない程度。 (多分、僕はこういうのが得意なんでしょう) むしろそんなことより、 乱立するDVD関連仕様の方がわかりにくくて、 えーと、つまり、撮った映像を、そう悪くない画質でDVDにするには、 一体どういう設定にしておけばいいのよ!キィーッ! と、そこまでは行かないけど、 DVD-Rは、高画質で2時間録画可能、 果たして放送が2時間をちょっと超えるサッカーの試合は、 きちんと1枚に収まるんでしょうか。 何となく今でも不安です。

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右腕が最近ずっと痛いのです。

『毎夜、腕枕をしてあげている』なんて言う状況は無いわけですが、 なぜだか、右手が痛い。 ここ2週間くらい。 最初は、なんか寝違えた?みたいな感じで始まったのだけど、 段々、痛みというか違和感が広がってきて、 ダルイ感じで。 そのうち、肩胛骨にだるさと、 腕を回したときに痛みが出て、 肘もなんとなく痛くなって、 手首も疲れてきて。 うーむ。 肩の凝りと腱鞘炎から来る何か、のような気がしないでもないです。 あと、寝付けないときに、右を下にして、横になって寝る習慣があるので、 (なぜか、寝付きが良い) そのせいかなぁとも。 最近、そんなことも気をつけてたり。 あー、なんか、年取ってきた。 身体が。 いかんなー。

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