Managementの重要性
先日、『StartWarsIII』のDVDを購入した。 DVDを購入するのは、StarWarsが好きだからということもあるが、 一方で、LucasFilmの仕事のやり方に興味があるからでもある。 ジョージ・ルーカスの映画の作り方は独特で… 映画は、現場よりもむしろ編集室で作られる。 StarWarsに限っていっても、作を重ねる毎に次々に最新技術が加わっていくのだが、 それらを上手くまとめて、いや実際、監督のやる仕事自体は変わっていなくて、 それはつまり表に出す物の、ディレクションなんだけど、 ただそれを作るための素材、の集め方がどんどん変わっていく。 メイキングを見ていて、面白いな、と思うのは、 ジョージ・ルーカスは一つの物差しだ、と感じる点だ。 すべての決定に関与しているのだけれども、 決定に至るまでのすべては、それぞれの担当者の裁量に任せている。 何を作っても良い、良かったら使うよ、という姿勢だ。 メイキングを見る限り、各スタッフのモチベーションは高そうだった。 また、裏方だけ見ても、非常に多くのスタッフが、非常に多岐にわたって組織され、 映画を支えている。 そして、それぞれの組織のまとめ役には必ず、管理することが仕事の人間がいて、 それぞれのスケジュールや、全体の進行との調整などを担当し、 仕事に当たる人間が、自らの作業に集中できる環境を作り出している。 きっとスタッフの殆どは、映画を撮り終えたら解散する構成員だと思うのだけど、 何ていうかなぁ…サーカスみたいにさ、 あっという間にそこに一つの街が出来る、ような、 そんな感じの組織構成をしているなぁ、と思ったわけですよ。 自己管理、という言葉があるけれども、 もちろんそれも重要なのだけど、 日本語で言うその言葉には、本来自分だけでは 管理しきれないことも含まれているような気がするんだよね。 組織が、個に責任をかぶせているというか。 管理することに対して、責任を負う人間がいるなら、 ああ、上司ではない、フロアマネージャーとか、そうじゃなくて、 総務+秘書みたいなもんさ、進捗、連絡、調整、そう言うことをしてくれる人間、がいれば、 余計な調整に頭を悩ませることもなくなるんじゃないかなぁと思ったのね。 …よくよく考えると、いかにもアメリカらしい、合理的な作業の進め方、 なんだけれどもね。 そんな風に、 StarWarsを作るに当たっての、組織の構成の仕方の見事さに舌を巻きつつ、 特典DVDを見た。 俳優からスタント、裏方まで、CG映画の大変さが痛いほど解ったのだけど、 僕が好きな人を一人上げておこうと思う。 Ben Burtt。 音響のスペシャリスト。 (現在は、編集も担当してるけど) きっと、もの凄い感性を備えた、人だと思う。 一度会ってみたいなぁ。
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Friday Five – 2005/12/23
mixiに関して思うことを…
藤代さん(ガ島通信)が指摘されているとおり、 mixiというのは、『内』に上手く見せかけられた、『外』の世界なのだろうと思う。 自分のmixiに対するスタンスは、 『友達の動静を把握しやすい』 ということ。 でもそれは、もし友達みんなが理解してるなら、 ブログ+RSSで十分に代用できるようなことです。 先日、TVの特集でちらっと見かけた、SNSの社会でのあり方、を見ると、 SNSによって、日常生活の様々なこと(例えば育児)に関して繋がりを持ったり、 それをビジネスに役立てたり(個人の繋がりから仕事を発注、受注したり)、 というようなことが実際に行われているらしい。 とりたてて、反対意見もなく、そう言う使い方をするのも、いいかもね、と思う。 自分はしないけど。 『なんて言うんですか、下町の長屋のような…』 なんていう言い方をしていた人もいたけれども… 日本人はみな、誰かとコミュニケーションを取りたくてうずうずしてるらしい。 寂しくて仕方がないの、誰か側にいて、 という人間であふれかえっている。 僕の考えるコミュニケーションはそういうことでは無いんだけれども、 無理でも何でも、とにかくラインを貼って、誰かと繋がってたい、 そういう活動をコミュニケーションと呼ぶ人も多いみたい。 結局のところ、そこに自分の望む繋がりがあるということなのだよね。 どんなに騒いでも、本当にがっちり繋がってる人は、 mixiの何百万人の中でも、ホントに少しだと思う。 まぁーそうだな、10人に1人くらいいれば、という。 それでも、そういう人にとっては、集う場所があれば、そこに集う人がすべてなわけで、 自分自身の話題という点で、『内』になる。 これって、実は、2ちゃんねるの構造にも似てるんだけどね。 僕自身は、mixiに参加して以来、 自分の中でのmixi日記の位置づけを何度か変えた。 最初は、サイトのmixi出張版のつもりで、 更新は自分のサイトで行って、そこに飛ばす形式にしてみた。 でもこれには大きな違いがあることに気がついた。 普通にmixi日記として書くとコメントが付きやすいのに、 飛んだ先ってのはなかなかコメントを付けづらいってことだ。 僕だって多くの人にコメントをもらった方が嬉しいし、 一応リアルも知ってるような人と、コメントを交わすのは楽しい。 そういうわけで、mixi内は、サイトとは別のもの、と言うスタンスを取ることにし、 たまにリンクは貼るものの、mixi向けの日記を書くことにしてみた。 で、先日、ブルー入っていた…わけではないんだけど、 ちょっと疲れてて、考え込むような件があって、 まぁ、ここは内輪だし、見る人も限られてるし、多少ブルーでも良いだろう、 と思って、思いつくままに心情を吐露してみたところ、 どうもリアクションが、意図とずれたものが多くて。 こちらが思うよりも、ずっと重症に感じられたらしい。 慌てて言い訳して、削除してサイトの方へ移動した。 恐らく…mixiで感じる距離は少し近すぎるんじゃないかと思う。 隣にいる友達が、ブルーな独り言を言い始めたら、 『ど、どうしたん?』て思うけど、 たまたま訪れたサイトに書いてあっても、そこまでは思わない…よね。 mixi日記は、ブログよりも若干、IM寄りなのかなぁ、と思ってみたり。 なんか話がずれつつあるけど、要は、mixiは、内輪として振る舞うことを前提、 もう少し言うと、暗黙の了解として成立している世界なのだと思う。 実際には薄々感づいていながらも、いや、内輪だから、とみんなが思い直して、 日々過ごしているような世界。 そういう状況というのは、日常あまりに多くあるから… 戦争に向かう国内だったり… 終わりに近づいている恋愛であったり… あるとき、誰かがはっと気付いても、それはなかなか伝染しない。 行くところまで行ってしまうのではないか。 …っと、言いたいことがだいぶずれた。 つまり、まとめると、 ・mixiが内輪だってのは幻想。ただし、重要な要素。 ・参加者に『外である』という意識が希薄な以上、外と同じ意識でも十分でない。 ・繋がりを求める現代人にぴったり(最近携帯にもそんな感じを持っているが) ・僕には、必要以上に繋がりを求めるのに必死な人たちを理解できない。 (mixi経由で得られる友達の友達的繋がりは本当に嬉しいんだけど、それ以上はね) ・そー言いながらも、結構楽しんでる。 マスコミで取り上げられるのがうざいけどなー正直。
Ajaxify: EnhancedEntryEditing日本語版
Ajaxify: EnhancedEntryEditingは、 エントリー投稿画面をWYSIWYGにできるプラグイン。 プラグインなので、インストールもアップロードするだけで、導入しやすいのが特徴。 その日本語移植版がリリースされたというニュースを、 ヒビノアワでCHEEBOWさんが取り上げてはったので、 インストールしてみた。 世界の中の1%の人々へ: 今日の研究:Movable Typeにプラグインとして組み込んで使用するWYSIWYGエディター、Ajaxify: EnhancedEntryEditing日本語版公開 確かにインストールはめっちゃ楽。 対応するディレクトリにファイルをアップロードするだけ。 ファイルが大量にあるので、それだけは面倒だが。 後は、改行設定で、WYSIWYGを選択して保存してやれば、 WYSIWYGでの投稿画面が表示される。 (次からはそれが表示される) ただ…リリース情報のエントリ内にもあるように、 FireFox以外、例えばSleipnirでは上手く動かない機能がある。 SleipnirのGeckoエンジンを使っても変わらない(当たり前だが) MT投稿するときだけFireFoxにするのは本末転倒だし、 そのためだけにSleipnirから移行する気もさらさら無いので、その辺りは諦め。 それから、従来のボタンとも一応共存できるようなのだけど、 ボタンを拡張してるせいもあって、表示がかみ合わない。 一部、重複してしまう。 さらに、Sleipnirでは、従来のボタンと共存させると、 なぜか、Body入力欄内に、もう一つ入力欄が出来てしまう。 バグと呼べるかわからないけれど(Sleipnirが想定されているか微妙だし)、 これでは非常に書き込みにくい。 そういうわけで… 結局、導入を諦めることに。 うーむ。 最近、Bookmarkletや、その他、 投稿をより簡便にするような何かを探してはいるのだけれど、 なかなか、見つからない。 自分にとっての必要最低限の機能、というのが、 なかなか一致しないんだよな… 地道に、自分でボタンを増やしていくしかないのか。 トホホ。
忘れること
忘れることは、人生で何番目かに大事なことだ。 ここで言う忘れる事というのは、 いずれ思い出すだろう、でも今は忘れる、そんなこと。 ものごとというのは、 例えすっかり忘れてしまったとしても、一度肌の内側に入ってしまえば、 そう簡単には失われない。 内容そのものはすっかり、跡形もなくなっているようでも… その、輪郭だけはきちんと残っている。 忘れるということは、在る意味で、記憶をアーカイブすると言うことだ。 アーカイブする先は、メモ帳であったり、深層心理であったり、”MUTTER”であったりするが、 とにかく、忘れると言うことは、失うということと同義ではない。 もし、忘れると言うことを、完全に放棄してしまうと、 確実に、他の何かを取り入れられなくなってしまう。 忘れてはいけないことは、けして離してはいけない、 でも、それ以外の多くのことは…常に持ち続ける必要はない。 忘れることを上手く出来ない人は、 結局は、全てを、『忘れていって』しまう。 何かを、得ることができない、そんな人は、 ものごとを、きちんと自分の中に収めることができないか、 あまりに多くのことを抱えてしまっているか、 そのどちらかだ。 決して、記憶力が悪いだけではないのだと思う。 情報の、取捨選択と、整理の仕方が、拙いのだ。 シャーロック・ホームズの指摘を待つまでもなく、 人間が記憶できる容量には、限界がある。 多くのことを記憶するためには、輪郭だけを残して、中身を外に持ち出したり、 またその輪郭を、整理していかなければいけない。 恐らく、人間の記憶容量は、人によってそう変わるものではない、 もし人より少なくても、容量不足に悩むほどの差はない、 きっと、目の前をどう扱うか、が、もっと、重要なことなのだ。 人間の『忘れる』は、 デジタルカメラのメモリー消去とは違う。 それは、なるべくシンプルな形で、どこかにしまうことであって、 いわば、記憶することと、同義のことなのだろう。
松永硝子店の…
VODKA ICE-BURG.
各地に出没…
今日はいつもよりは早めで。
帰ってきました。途中で明らかに。『プチッ』と集中力が切れてしまったので、メールの返事を待ち続けるのを諦めて、帰宅。体は疲れてますが、精神はそーでもない。で、タイムカードを押しながら、『確か、今日は何かイベントがあったんだよな…』と思いながら、あ、セカンドロイヤルだっけ?と思ってスタッフに『今日何かイベントあったっけ?』と聞いてみたけどピンとこない。違うか。まぁいいや、と思って帰ってmixi見たら判明。GGO!@WELLER’S CLUBでした。そういえば。フライヤー作り手伝った(笑) そういうわけで、ご飯食べて向かう予定。明日も仕事→イベントなので、そう遅くまではいないと思うけど。とかいいながらこの間も3時半まで飲んだくれてたけど。まぁ、努力しよう。