雨の高速バス…
沖縄に行ってきます。
明日から、沖縄に行ってきます。 沖縄初上陸… 若干風邪気味なのが不安ですが… というわけで、しばらく更新はお休みです。 moblogは、更新する方向で。 晴れるといいなぁ。
おはようございます。
今日も走る気満々でこの時間に起きたのに、この雨。むぅ。 あきらめて風呂でも入ります。
こんにちは。
朝までの雨が嘘のように晴れ渡っております、京都。涼しいですね。明日からは暑くなるんでしょうか。 昨日は、なんだかんだで、2時頃就寝。今朝は、9時半起き。朝飯、おにぎり、珈琲、洗顔、歯磨き、洗髪…などなどをこなして、何とか出勤、間に合う。ふう。 今日は一日あっという間だなー腹減ったなー
ジャガイモと唐辛子の起源(と言うか伝来の由来)
※韓国人がどうのこうの、という話ではなくて。※ この辺で取り上げられてたので調べてみた。
実際問題、このエントリ(というかスレッド)のタイトルは煽りすぎで、 記事のどこにもジャガイモが韓国起源とは書いてない。 まぁそれはそれとして、 問題なのは、ジャガイモと唐辛子を使った料理、『カムジャタン』が、 1000年以上前に朝鮮半島に存在し得たのか?ということで。 ジャガイモ、唐辛子の、日本への伝来を、Wikipediaを参考に調べてみると、http://www.asahi.com/international/weekly-asia/TKY200607180152.html カムジャはジャガイモ。タンは汁もの。つまり「ジャガ鍋」。 思い出がある。ソウルで留学していた5年前、会話のテストで女性の先生から「好きな食べ物は?」と聞かれて「カムジャタン」と答えたら、先生は「ああ、それは男同士が酒を飲んで食べるもの。私は食べたことがないから味を知らない」。気まずい沈黙が訪れた。 当時は確かに男っぽい印象があったが、今は、はしで挟めないほど大きな豚骨のすき間の 肉に女性もしゃぶりつく。赤いスープは辛くて濃厚。残った汁を白飯といためれば最高だ。 1000年以上前に南部で生まれたとされ、全国どこにでもある。(抜粋)
南米アンデス山脈の高地が原産といわれる。16世紀、スペイン人によりヨーロッパにもたらされた。日本には、1600年ごろにオランダ船によりジャカルタ港より運ばれた。当時は、観賞用として栽培されたという。
唐辛子が、日本から朝鮮へ伝来したか否かはさておき、 (日本からの由来説が強いっていうのは初めて聞いた。そうだったんだ) どちらも原産は南米。 日本と朝鮮の交流具合から考えて、 片方の伝来が片方より700年以上遅れてるのはなんか腑に落ちないわけで。 そう考えると、カムジャタンが作られたのは、 一桁違うんじゃないかという気がちらほら。 ソースはよくわからんけどさー 朝日新聞の記者(ソウル支局長らしいね)、やっちまったんじゃないの? この件自体は、多少先走った煽りスレッドが立っちゃったくらいで、 それほど影響があるわけではないけれども、 ちゃんと調べてから書いて欲しいなぁ。 万が一、料理屋のおばちゃんが言ってたんだとしてもさ。 事と次第によっては、余計な騒ぎが起こりかねん。 それはそれとして、カムジャタン、食べてみたい。 美味そう。日本への伝来は、1542年にポルトガル人宣教師が大友義鎮に献上したとの記録があるが諸説ある。日本では最初、食用とはせず、観賞用や毒薬として用いられた。唐辛子が南蛮胡椒と呼ばれていたのはこのためであるとされる。 (中略) 日本から朝鮮へ伝来したとする説が有力である。一説には朝鮮出兵のとき武器(目潰しや毒薬)または血流増進作用による凍傷予防薬として日本からの兵(加藤清正?)が持ち込んだと言われている。また、江戸時代になって朝鮮通信使が日本から持ち帰ったという説もある。(略)現在も日本から伝わったことが韓国では定説になっている。
夏が好きだ。
冬になると、夏にならないかなぁ、 夏になると、冬が恋しい… てのはよくあるパターンです。 しかし、この梅雨の真っ盛りにあえて言いますが、 夏が好きです。ええ。
んー。 そう言われちゃうとねぇ。困るけど。 マスコミって、 『夏好き=格好いい』 っていう強迫観念を作り出してるんでしょうかね、ってまぁ、 ネタにマジレスなんですけどね。 確かに、 夏っつーとこう朦朧としてるうち翻弄されちゃう(©スチャダラパー)わけだけど、 蒸し暑くて、汗だくになるこの季節のどこが好きなのよ、って言われると困るけどさ、 普通に、冬に比べてで歩きやすくて、 冬に比べてビールがうまくて、 冬に比べてテンション上がりやすくて、 海に行っても寒くない。 そんなんで、ずーっと来てるから、まぁ色々と思い出もあるわけで、 (良い思い出ばかりとは限らないけどさ) そうなってくると、思い入れっていうかね。 あんまり、 『夏好き=格好いい』 てのは理解できないけど、夏を楽しんでるヤツが、健康的に見えるってのはあるかもね。 いや楽しんでるんなら、夏じゃなくたって良いと思うけど。 早く梅雨明けないかなぁ。 近畿地方の梅雨明けの平年値は、7/19です。1名前: 番組の途中ですが名無しです投稿日: 2006/07/15(土) 20:58:26 ID:lqDpbN3z0 ?# あきらかに無理してるよね 夏が好きなのはかっこいい・・・俺はかっこいい・・・だから夏が好き・・・ みたいなマスコミの作り上げた強迫観念にとらわれてる
お天気すぐれませんね。
おかげで、運動不足でストレスたまりがちです。俺は犬か? そういうわけで、昨夜は23時には寝まして、今朝は7時起床。雨が降ろうが何だろうが、走りに行くぞってことで。幸い、7時半過ぎに雨は上がったので、その隙に走りに行く。7km。仕事前にそんなに運動して大丈夫なのか、っていう声も聞かれましたが、案外ね、気にならないもんですよ。別に疲れないし。逆にスッキリして良い感じです。 そういう感じで今日もお仕事です。週間天気予報が気になる、今日この頃。
言葉なんてころころ変わる
サイトのアクセス状況とか、読まれているページとかを見ると、 若干、心配になることがある。 例えばさー自分で思い切って書いた古いエントリが参照されていた場合… 今現在はそのときの考え方と明らかに違っているんだけど、 多分そのエントリを読む人にとっては、それが僕の意見なんだよな、と。 僕側から見れば、それは間違いなく誤解なんだけど、そんなことわかるはずもなく。 かといって、そのエントリを削除したり訂正したりすればいいかというと、 これもまた僕側から見れば、『過去、そういう風に考えていたときもあった』という証拠であるし、 そもそも、膨大すぎて書き直してられないし、 (それなら新しく書いて、トラックバックでも打った方が早いのだ) そんなこんなでそのままになっているわけで。 そう、人の考えか方なんて、ころころ変わるんである。 僕に限らず。 例えばさー、僕は今、Sleipnirを愛用してるんだけどさ、 実際の話、少し前(2年くらい前かな)まで、Sleipnirにあんまり良い感じを持ってなかったのね。 なんとなく、新しもの好きの奴らが持ち上げてるような感じで、 本当に必要かどうかわからないような機能をたくさん持たせて、 差別化を図って、他のブラウザを卑下してる…みたいな。 僕自身、それらの機能に殆ど魅力を感じていなかったし(無知だったってのもある)、 いやぁ、サイトを見るんなら、DonutPの方が良いよ、軽いしさ、 確かに機能は劣るけどさ、検索とか、使わないよね、なんて言って。 そんなこと言いつつも、どんなきっかけだったか、 ちょうど、Sleipnir2が正式リリースされる直前くらいに、 ふと思って導入してみたら、思いの外便利でねぇ… 今じゃ、検索機能もヘヴィに使ってるし、ブックマークレットも多用してるし、 あろうことか、人に勧める始末。 起動時に(DonutPに比べて)若干時間が掛かるのなんて、 今じゃ指摘すらしない。 それくらい待てよ、みたいな。 (あ、これはメモリ増強した影響もあるんだけど) で、今度は、以前Sleipnirに対して持ってたような感情を、 ホントそのまんま、FireFoxに対して持ってたり。 そんなに持ち上げるほどメリットあんの?Sleipnirで十二分でしょ、みたいな。 いやーいい加減だなぁ。 『ブラウザ』っていう形のはっきりしたものに対してさえそうなんだから、 コレが、心情とか、好みとか、 それからここに書かないような実生活上の価値観とか、 そう言うことになったら、そりゃもう何の宣言もなく、 一瞬で変わってしまったりするんだろうなぁ。 (もちろん…『信条』はぶれないように生きてるつもりだけど) 友人が、Sleipnir入れたっていうエントリを読んで、 そう言えば僕も昔は…なんて思い返してみたら、そんなことを感じた。 うーん、だからこそ、会ったとき(or 接したとき)に、 相手のことをきちんと見るのが大事なのだと思うけどね。 『思いこみ』は、それはそれでいいんだけど、 もし何も思いこまなかったら、 人と接するたびにその人がどんな人かを構築する羽目になって、 ものすごく面倒だからね、 その思いこみが正しいのかどうなのかはチェックしていかないとね… と、同時に、 僕自身にとってみても、過去のエントリにいる僕は他人なんだよなぁと。 凄く昔のエントリにコメント書いてくれた方がいて、 返事を書かなくちゃなぁ、と思いつつ、書けていないのもその辺り。 結局、そのエントリを書いた人は『僕』じゃないので、 その人に向けてコメントを書かれても、 それって『僕』に対しては、向かってきてるコメントではないので… 何かを返しづらい。 機会があれば、新しいエントリとして、何らかのコメントはしたいと思いますが。
『おばちゃん化』
うれしーの『おばちゃん化』に対する日記が印象的だったので引用。 手前味噌ながら、日記アーカイブより。 (もちろん、著作権はHTBにあります)
おばちゃん化の特徴として、親父が死ぬ2年くらい前、里帰りしていたぼくに、親父は、ぽつりと言ったんです。 「なぁ、女の人が年をとると、他人に対してお節介になるのは、どうしてだと思う」
基本的におばちゃん化することの利点は、やり逃げです。 一陣のつむじ風のように、感情移入して、大泣きして、気持ちよくなって、吹き過ぎたらそれで終わり。からりと次へチェンジできるんです。 こだわりは無いんです。理屈もないんです。あるのは共感です。人生の共有です。
しつこいんです。物凄い親切なんだけど、物凄い無遠慮なんです。お節介なんです。 ほっといてほしいと、若者が張ってるバリヤーを、見ない振りして、どんどんこっち側に入ってくるんです。確かに。 僕みたいな、人見知りがちで、引っ込み思案な人間からすると、 時に助かるときもあるけど、 大体は、ものっすごくどうでも良い状況で、お節介を押してくる…よね。 もうなんか、こっちが苦笑いして、キレるのも忘れちゃうくらい。 それだけだったら、 『おばさんはしゃーねーなー』 っていうだけで終わっちゃうことなんだけど、 うれしーのお父さんの感覚が、なんかものすごく実感できて、 そうか、そうなんだろうなぁ、きっとなぁ、 と思った。 そのお父さんの台詞は、
最近ね、母親がしきりにそう言うことを口にするんですよね。 体はちっとも悪くないんだけど、 悪いと言えば、もうずっと患ってる喘息くらいなんだけど、 周りの人というのは、意外なほど死んでいくみたいで。 僕が知らないような、『妹の同級生の母親』とか、『名前だけ聞いたことある知人』とか、 そういう人が亡くなったとき、それを報告するために僕に電話をしてくる。 または、メールをしてくる。 僕はそれを邪険にすることも出来ずに、 かといって、かけてあげられる言葉もなくて、 何となく呆然として受け入れているのだけど、 でもきっと、そういうことなんだろうな、と思った。 あいにく、母親はそれほど『おばちゃん』ではないのだけど、 寂しさの表現方法はきっと、『おばちゃん化』だけではないから、 きっと、そんなことを感じてるのかもなぁ、って。 僕自身は今も昔も、 『たくさんの友人に囲まれていないと安心できない』とか、 『とにかく誰でも良いからそばにいて欲しい』とか、 そういう感覚を持つ人間ではないようなのだけど、 であっても、なんとなく、 頼りなさげで、誰かを求めてしまう、 『おばちゃん化』のような感覚は理解できる気がした。 今年も、旅行に出掛けるけど、 何となく…いろんなところで、色んなことを感じると思う。 この話もきっと、そのひとつ。「きっとな、あれは寂しいんだ…」って、そう言うんです。 寂しいから、急に他人と仲良くしたくなるんだって、親父は言ったんです。 親父も自分が病気で、多分、もう良くはならないだろうという自覚がありましたから、ある時、「おばちゃん的な想いと同じもの」に、自分で出くわすことがあったんだなって、その時思いました。 みんなどっかで「自分の持ち時間が残り少ないんだ」って、気づく年齢というのがあるんでしょうね。そのことに気づくと人は寂しさをおぼえるようです。そうすると、そばにいる人と仲良くなりたいと思ってしまう。誰とでも仲良く出来るはずだと思ってしまう。 仲良くなれたら一人じゃないって思えますから。 それが、おばちゃん化の動機なんだって、その時、親父は言いました。
もし、あの日、親父が言ったとおりだとしたら、 寂しさも悪いものじゃないなと、ぼくは思います。 誰とでも仲良くしたいと、素直に欲求できるようになるのなら、 歳をとるのは悪くないと思います。最後のうれしーの言葉は、なんか、希望があって良いなぁ。 僕は、年をとることは、ただ、死に近づくこと以上の意味があると、思います。 ま、まだ30にもなってない若造の意見だけどね。 [水曜どうでしょう official website]