lighter and lighter

好きだった女の子に逢いたくなった。 逢ってなにするわけじゃない。 でも、目に焼きつけたつもり、 その姿が薄らいできた頃に また逢いたくなってくるのかもしれない。 そういうものかもな。

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Kurodani

京都ってほんとにおかしな所だと思う。 三方を、白川通・丸太町通・ 東大路通に囲まれてるハズなのに、ここではそんな感じが全くない。 ただひたすら静かだし、何があるわけでもないけど、何もないわけでもない。 きっと多分、何かあるんだろう。 まだ少し涼しいけど、それは多分僕が肌の上に薄い長そで1枚だからだろう。 風は涼しいけど冷たすぎるほどではない。 汗を掻くほど自転車を走らせてるわけではないが、 切る空気が心地いい。サイクリングの季節が来たかもしれない。 何故だかわからないけど、犬と散歩してる時って、話しかけるよね。 どこにでも行けて、好きなところで降りられるのが自転車のいいところ。 偶然立ち寄った場所が何故だか一遍に好きになってしまった。 静かな風と、静かな木漏れ陽、木のさざめき。

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from the sky

長い間忘れてたのに 突然そらから降ってきたこの気持ち それは雨の降る1時間前 自転車置き場の手前5M 怪訝な空模様の午前10時 想い出すことすら忘れてたのに そらから降ってきた! ぼくのつながらない笑顔にとまどう 口には出さない 偶然の再会を逃がしてしまいたくないから 結局ついてでた言葉は 歌詞と『懐かしいな』 懐かしさが嬉しいやら悲しいやら 気乗りのしない僕を ほんの少し後押しする

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with You and…

『あなたさえいれば、他にはもう何もいらない』 というのは、愛ではない、と思った。 愛のある場所では、 そんなことにはならないから。 それは夢の中のつぶやき。 楽しいことも苦しいこともいくらでもある。 たとえ あなたがいなくても。 いろんなことがあるときこそ あなたにいてほしい。

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2years ago

come again ─ 金曜日のスカラに君を忘れに 踊り明かすよ 今夜 朝までまわし続けて 帰りたくないから止めないで ある女の子がこっそり告白してくれたけど、 僕も昔そんなことを思ってクラブに通っていた どうしても忘れられない女の子がいた それはもちろん今でも憶えてるけどそうじゃなくて… そう、好きでしかたなかったんだよね 消せない想いなら たくさんの音でかき消していまいたい 考えていない間は 忘れていられるから… いまはあまりつよくはない、その想い。 ホッとしてるけど、どこか、さびしい でも自分に気兼ねなく『好き』と思える

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Hands.

キス をするよりも、手に触れる方がドキドキする ことがある。 そっとてをつなぐ… カウンターの下でそっとてをつなぐ CMを見たことがあるだろうか? バイト中だから何も言えないし、 顔はお客のはいってくるドアをみてる でも、なにもいわないで、 そっとてをつなぐ。 …。 そっとてをつなぐ、 キスよりもドキドキすることがある そんな素晴らしい感性を ずっと持ち続けることができたら。 …。 Hands。

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loneliness

サビシイコト。 女の子や、一部のさびしがりだけが独占してる言葉ではなく、 誰にでもある、 『さびしさ。』 きっとひとは支えのようなもの。 普段は気づかないけど、支えられてる。 ずっと支えられていればそれになれてしまうし、 ずっと支えなく生きていればそれになれてしまう、 でもふとしたとき、 手のやり場に戸惑う、 そこに滑り込んでくる、『さびしさ。』 前を見ているときには気づかない それをとりのぞくことはできない やっかいなもの、でもできない、 それは誰にでもあるから、 『さびしさ。』と会話しよう 『さびしさ。』さえもいなくなってしまったら、 それは、 カナシイ。

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in Dream

長い間『忘れたよう』になってたのに ずるいよ、夢の中に滑り込む笑顔 思い出す、すべて、想いを なんの前触れもなかったのに 夢の中でつかまえた君のクチビル 見失って、目を覚ましたアサ午前6時 ちょうど『いつも』だった時間 少し悔しいから、 このまま夢のことは忘れずに たぶんね、いまでも。

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Equestrians-001

馬術。 別に先輩が後輩に向かって偉そうに何かを言う…と言うつもりは毛頭ない。 ということを前に一度メールに書いたら、 ある俺をほとんど敵視している後輩Nの返事に 『それはアンタが後輩に誇れるものが何もないからでしょ』とあって、 はっきり言うと ── そいつは分かってなかったが ── そのメールは 馬術部に所属しているすべての後輩から突きつけられたいわば公式のもの だったので(少なくとも俺はそう感じた)俺は少なからずショックを受け、 わずかな人間関係を残して京都大学馬術部とは縁を切ることにした。 但し一つ言っておくと俺が後輩に何も残していないわけではない。 残念ながら、俺も残してしまっている、 1頭の馬の臆病さを最悪な状態からましな状態にまで持っていくことに成功したし、 ほとんど天賦の才並みに上手かった『作業』の腕によって、 様々な『功績』も残している、たしかに人間として誇れたもんではないが、 それは別に夜遊びしていたわけではなく僕個人の体質と人間性によるものだから 誰かにどうこう言われることでもない。 誰が一番悩んでいたか、わかるわけねぇよな。 とにかく、俺は京大馬術部に約4年の間所属していたらしい。 『馬術』というスポーツを『King of Sports』と呼ぶことがあるが、 哀しいことに馬が社会にほとんど関わっていない日本では、 その言い回しでさえもほとんど、『Kings’ Sports』と勘違いされている。 何故、スポーツの王様なのか? 馬術が他のスポーツと全く違っているのは、それをしている生活そのものがスポーツだという点だ。 想像するのは難しいかもしれないが、人が馬に乗るというのは、 それだけで、その馬に影響を与えることになる。 つまり、上手く乗れば馬は良くなり、下手に乗れば悪くなる(または良くならない)、そして、 その繰り返しで馬をよくしていくこと、それが調教であり、それがすなわち馬術だ。 スポーツという点で見るとき、 『幾つの障害を飛び越えることができたか』という点数のみに目を奪われがちだが、 本当は、それはただの“試験”にすぎず、 評価されているのは、それまでのその馬との関わり、その人の生活そのものだ。 例えばフットボールの練習をしていても、 ボールが蹴りやすくなるとか、自動的に上手く動くようになるなんてコトにはならない。 あってもスパイクが馴染むくらいだろう。 馬術は、およそ10年ほどの競技寿命を持つ馬を育てていくスポーツなのだ。 つまり、日本で定着しているイメージ、ちょっと乗りに行ってにこにこしながら華麗に運動し、 馬とのふれあいを楽しむ日曜の午後… なんてのは言ってみれば『真似事』に過ぎない。 馬術というスポーツの一部をかじっているだけだ。 言うなら、その他のホントに大変なところや、だからこそ楽しいところを、 乗馬クラブにお金を払ってやって貰っている、またはやらせているというだけだ。 もちろん、それはそれで楽しいし、それだけでも十分羨ましい。 というよりも、汗と泥にまみれろと言うのは、やはり、普通できない。日本では。 でも、土日だけでは調教できないし、それで馬術と呼ぶのには抵抗がある。 あぁ…馬に乗りてぇなぁ… 馬術部はもう2度とゴメンだけどな。

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