デクレッシェンド
人生は、クレシェンド、そして、デクレシェンド。 時にアレグロ、時にアンダンテ。 消え入ることもあるし、突然のフォルティッシモもまた良し。 僕らは音楽を生きている、 切れそうなままレガート 音がそう望めば、音楽はそう奏でられる。 僕に白い、楽譜をくれ。
人生は、クレシェンド、そして、デクレシェンド。 時にアレグロ、時にアンダンテ。 消え入ることもあるし、突然のフォルティッシモもまた良し。 僕らは音楽を生きている、 切れそうなままレガート 音がそう望めば、音楽はそう奏でられる。 僕に白い、楽譜をくれ。
女の子ということではなくて、 もっと、多くの人と出会いたい、と。 できることであれば、分かり合える友達の数をもっと増やしたい、と。 『一生モノ』の友達は減りはしないけど、 気軽に会える友達の数は確実に減っていくわけで。 熊本とか川崎に行くとか、来いとか、気軽には無理。 そうだねぇ…やっぱり、 話が出来る友達と、そうでない人というのは分かれてしまうからねぇ… 望まなくても。 全員に同じって事はないわけだから。 それは全員に中途半端、と言うことだから。 ただ、知り合いを増やすだけならね。 僕なんかは、日々増えてるけど それじゃ、なかなか。 んー…紹介された人と話があって、 次飲みに行く約束をする、なんていいなぁ…。 望めば、そこにあるような気もするけど そう一朝一夕にはいかねぇか。そりゃそうだ。 『薄い付き合いを増やす』というのだけはしたくないけど。 確かに、俺も、そんな気分。
みづきとスモサのライブ(@PARK CAFE)に行き、その後沖縄料理屋に行って沖縄料理と日本酒(立山&おやじfrom新潟)ライブは最高だったし、飯は美味かったし、良い日でした。さすがに眠いけど。どうでしょう語彙に占領されつつ。うむ、頑張って友達増やしていきましょう。あわよくば、って感じで。うむうむ。
昨夜は『日本全国絵はがきの旅第2弾』をみてたのだけど、第二夜に入ったところで眠気が限界に達して、0時半過ぎに就寝。今朝は9時起床。久々によく眠れたし、綺麗に晴れてるし、気分爽快。ばしっと働こう。
この間なんのときだったか… 友達が『朝起きるの早い』って言うから、 何時くらいに起きるのか聞いたら、5時半、という答えが。 早過ぎるよ、と思うけど、その子曰く、 朝は必ず出勤前にゆっくりしないと、一日、しんどいんだそうだ。 だから、『睡眠を削ってでも』、朝は最低、 出発前2時間くらいはゆっくりしたいそう。 多分あんまり意識してないと思うけど それ、かなり変わった考え方だなぁ、と。 睡眠削ってゆっくり…出来るんだろうか?(苦笑) でも、そういう生活、ちょっとうらやましくもある。 俺にゃ多分無理だけど… 一日が、少し豊かになるよね。
Mac での圧縮形式と言えば、sit。 今ではzipもかなり一般的になってきてるので、 Windowsユーザー…というか、各店1台ずつしか Macのない環境ではその方が嬉しいのだけど、 Mac愛用のデザインスタッフから送られてくるファイルはsit圧縮。 Windowsでもフリーソフトで解凍できるから問題はないけど、 先日送られてきた圧縮ファイルの名前が 僕の名前になってました。 『ファイル名=鈴木さん』 拡張子と続けて読むと、、、 『鈴木さん シット』 …一瞬、喧嘩売られてるのかと思いましたよ。 (スペルは確かに違うけど) まぁ、デザインスタッフはそんな人じゃなくて、 努力系天然の女の子なので、深読みしすぎですが。 でもやっぱ、ちょっと気になる(笑)
やってしまいました。久々の、完徹→仕事。 なんで眠らなかったんだろうね…よくわからないけど、 ってのは別に悩んでたわけでも何でもなくて、いやむしろ、 みんなが聞いて喜びそうなことはひとっつも考えてなくて、 少しゲームやって、DVD見て、夜食作って… (あ、ネット繋いでないや。珍しい) ってやってたら、いつの間にか朝で。 『めざましどようび』でマツケンサンバの特集やってたり。 あぁ…朝か、という感じ。 もうね、仮眠しても遅いですよぉーってことで出勤。 頭は確かに鈍ってるけどね… まぁ、最近の僕としてはこのくらいでちょうど良いかもね。 ひとつのことをきちんきちんとやろう、と意識するから。こういう日は。 最近、頭を高速で回転させて、 2つも3つも並行して仕事を進めてることが多くて、 かなりスイッチングしながら仕事してたので。 能率はかなりいいけど、非常に疲れる。 なんにせよ、いつの間にか、朝。 んーこれってどうなんだろう? もう少し具体的にブルー入って眠れない、方が、安心するなぁ… 気味悪いもの。 ま、そんなこといいながら『今日』は来たので、良し。 1日や2日寝なくて、死ぬような人間でもないし。 寝不足の日の乗り越え方もわかってるし。
急遽シフトを変更して早番。きつい。頑張れ、俺。
今日の雲は千切れた綿菓子のようだった。 強い上空の風にあおられて、くるくると回って、 糸を引き、形を変え、次から次へと。 そんな様子がおかしくて、ぼーっと見てた。 西の空から角を丸く固めた雲がやってきた。 見上げた視界の中では、真下から沸き上がるようだ 夏の陽射しに満ちる世界に少し、灰色を持ってくる。 ふっと、止まる、風。 ぴんぴんと雲が跳ねては消えていく 綿菓子は東の空へと流れていった やってきた、暗い雲も、どんどん流れていく。 流れていく。
これと言って深い意味はないので、さらりと流して欲しいんだけど、 本能寺で、子供を叱る坊主を見ていて、ふと。 (多分、自分の子供ではないとは思うが) キリスト教は、『隣人を愛せ』と、万人への愛を説いているんだけど、 その教えと、聖職者たちが、子孫を残すことを禁じられていることとは 矛盾しないのだろうか?と。 理屈は何となく想像が付く、 聖職者たちはキリストに身を捧げていて、結ばれるのはキリストのみ、 キリストの愛を受けながら、その愛を全ての人へ伝えていくのが使命… まぁそうなんだけど、ひどく意地悪く考えると、 人類がみんなそうだと、人類は滅びるわけで。 キリストは神でも何でもなく実在した人物で、 今は、少なくとも種を残せる形では生存していないし。 (愛=生殖という事を言っているわけではないが、一つの形として) キリストへの愛と、隣人への愛、どちらを選ぶのか? ということを指摘できると言うことは、少なくとも、 (キリストを含めた)全てのモノへの等しい愛、と言う形ではなく、 何か、どこか、矛盾しているような… 恐らく、そうした疑問に大してきちんと答えるだけの 論理や、言葉が聖書やその他の本の中に 記述されているのだと思うけれど、 基本的に無知なので、好き勝手言ってみる。 キリストは母はいるが父はいない。 ヨゼフは、自分が父である(現実的に考えてそうだろうよ)ということを キリスト教によって剥奪されているわけだ。 マリアは自分で自分が処女だった、と知っているわけだが 逆に言えばそんなことはマリアしか知らないし、 100歩譲って処女懐胎だったとしても、キリストの父親こそが神で、 キリストは正確にはギリシャ神話に出てくるような、半神半人だよな? 神じゃ、ないんだ。 なんというか…この時点で、一神教ですらないんだけども。 おっと、批判じゃまったくないんだが(ホントにただ無知なだけだ) 終わりそうにないし、脱線してるし、もう終わりにしよう。 ただ、その辺りの、全ての人に愛を、ということについて 聖職者はどう考えているんだろう…?と。 愛にもいろいろ形があって、『契り』に関する愛だけ、売り切れ、 しかしその他の愛は全て他者に捧げます…ということなんだろうか。 某国大統領の宗教をキリスト教と呼ぶのは、 キリスト教に対する冒涜だと思うのでやめておくけど、 宗教に身を捧げる人というのは本当に興味深い。 キリスト教であれ、イスラム教であれ、ヒンドゥー教であれ、 仏教であれ、神道であれ、その他の何かであれ。