欲しいなぁこれ。

「ゲームボーイ ミクロ」に“ファミコン”のコントローラ
 任天堂から9月13日に発売される「ゲームボーイ ミクロ」が、5種類のカラーバリエーションで発売されるとして、先日お届けしたことは記憶に新しいと思うが、この際秘密にされていたファミコンバージョンのデザインが本日公開となった。  見た目も懐かしいそのデザインは、家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」(通称:ファミコン)の1P側コントローラをイメージしている。性能などについては他4種類のカラーバリエーションと同じ。  本日から任天堂が提供しているテレビコマーシャルにて、このファミコンバージョンがお披露目されている。すでにご覧になっている方もいるかと思うが、ファミコンのコントローラがモーフィングによって、ゲームボーイ ミクロのファミコンバージョンへと変化していくものとなっている。本格的に発売に向けて動きはじめた任天堂の今後の展開に注目したい。
まぁそういうわけで、無意味に全文引用してみましたが、 要は、これを見ろってことです。 魅力的でしょ? ゲームボーイソフトなんて買うの面倒だけど、 これは欲しいかも… ゲームボーイミクロって、ゲームウォッチ思い出させるよね。 やたらと高性能な、ゲームウォッチ。 基本的には、1台にゲームは1個だけ。 ある意味原点かもねぇ。 まぁそんなことはさておき、 これ、いいなぁ。 かわいいし。

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スクウェア・エニックス、タイトー株式の公開買い付け開始

スクウェア・エニックス、タイトー株式の公開買い付け開始
株式会社スクウェア・エニックスは、株式会社タイトーの株式を公開買い付けにより取得すると発表した。 買い付け予定株式数は247,900株。この数字はタイトーの発行済み株式総数の67%に当たる。買い付け上限で取得する株式の上限は設定しておらず、応募株券の合計が247,900株を超えた場合は、その全てを買い付ける。逆に247,900株に満たない場合は、公開買い付けを行なわないとしている。 もしスクウェア・エニックスの買い付けが成立した場合、同社はその後に予定される株式交換などにより、タイトーを完全子会社化する。なお同社は、現在タイトーの株式の約36%を保有する京セラ株式会社より、今回の公開買い付けに応募する旨の同意を得ているという。 タイトーも、スクウェア・エニックスによる株式の公開買い付けに賛同の意を表明している。
ゲーム業界の再編も徐々に進んでるなぁ…。 基本的に、イメージやクリエイティヴィティが重要な産業なわけだから、 資本の集中=良質なソフトの量産、とはならないのだけど。 セガは分解しちゃったし、スクウェアとエニックスの合併、 タカラ、ハドソンはコナミの傘下に、 まぁそれでも、他業種からも参入しているからなぁ。 『縮小』一言では済ませられない問題ではあるんだけどね。 まぁとりあえずびっくりしました。

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本格再開まではもう少しかかりそうですなぁ…

えーとですね、 すぐにでも書きたいことがたくさんあるんだけど、 あまりにもネタがたくさんありすぎてどれから書いて良いのかわからない。 しかも、ネタが不足気味の時には嬉々として取り上げるような話でも、 こう散乱状態になると、なんだか贅沢になってきて、 『うーん、これはまぁいいか、たいして大きくもないし』 何てことを言って、切ってしまったりする。 ああ、もったいない。 そういうわけで、ただいま話を整理しておりますので、 MUTTERの本格再開までは、今しばらくお待ちくださいませ。 ていうか、もうホント、 いろいろ考えないで、書こうと思った端からメモっていった方がいいな、これは。 公開するかどうかは後で決めればいいから。

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無事帰還。

帰ってきました。 色んな自分を見つけてきましたよ。 今の自分も、過去の自分も、ね。 一人でいることの良さも、寂しさも、 幸せを形作る要素の一片も。 とりあえずご報告まで。

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思うことを書く。

僕もいつも思っていて、気をつけ、また危機感を持っていることと同じことを、 『ダーリン』がほぼ日で言っていた。

今日のような、つまり「8月15日終戦記念日」のような、 特別な日には、この『今日のダーリン』を書くのが難しい。 「思うことを書く」のではなく、 「書くために思う」なんてことをしそうになるからだ。 自分のこころで思っていることが探り当てられないで、 どこかで仕入れたような、 先生にほめられそうなことを書いてしまう。 そういうことが、いちばん起こりやすいのが 8月15日のような特別の日なのだと思う。
そうなのだ。ものすごく難しい。 きちんと、書き表せてるように見えてしまうが、 自分ではかけ離れているという印象も同時に持つ。 僕の場合で言えば、 多くの人の意見で、既に決まっているというようなこと、 例えば『戦争はいけないことだ』というようなことを前にして、 何かを書かなければ、と思う、そこで、書くことを考えてしまう、 すると、書くことを思うと、道筋が二つしかないように見えてしまう、 戦争はいけない、と書くか、そうでもない、と書くか、 要するに世論を肯定するか、否定するか、どちらかに自分を同化させてしまう。 自分は自分の思いがあって成り立つはずなのに、 世論なしでは、自分の思いが成り立たなくなってしまう、 それはきっと僕ではないし、書く言葉に対しても責任を感じられない。 結局ね、 上手くいえないんだよ。 もう最初から、絶対的に自由じゃない。 思うことを手のひらの上に乗せて、 回しながら書いていくことが『書くこと』だと思うのだけど、 今日みたいな日のことは、手に乗りきらないんだよ。 これが例えば、アメリカ同時多発テロのことならまだ書ける。 でもそれって、あまりに他人事だからね。 アメリカ人が、原爆を平気で肯定しちゃうのも、あまりに他人事だから。 人を殺すための『必要』なんてあるわけがない。 昔はそれでも、無理矢理、感想を書いてしまうこともあったんだ。 俺はこう思う、みたいな、ね。 でも、世の中はそんなに簡単には切り取れないよ。 だから、最近は、書けないことを感じることが出来るようになったと思う。 それを書ききるには、時間と知識と、覚悟が必要なんだ。

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