小数点の定義。

プログラムを触っていて、ふと感じたことなのだけど、 『小数点』というのは実は存在しないんではないか? いやもちろん、実際に、『1.2』とか『5.9』とかいう数字は存在するのだけど、 本当は少し意味が違うというか… たとえば、僕らは直感的に『1』を常に基準単位として生活している。 だから、『1.2』という数字は、1と、0.2というように捉えているし、 1.2個という数え方をする。 しかし、実際には、個数を数える場合、 実際には整数しか存在していないのでは? 小数点というのは、1を基準にした時の個数を示しているのではなく、 あくまで、基準単位は何か?を定義している、と。 つまり、『1.2』という数字は、『1と0.2』ではなく、 『0.1を基本単位にして、12単位分』ということなのでは。 だから、1と1.0は同じ分量を表してはいるけれど、 意味するところは違うんじゃないか、と思うのだ。 要するに、小数点というのは整数未満の数字を表すためではなく、 基準単位を変更する、という定義で捉える方が、 数学的に?プログラム的に?正しいような気がする。 大したことでもないしどうカテゴライズすればいいのかわからないし、 特になんの裏付けもないけれど。 なんとなく。

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20時半帰宅。

昨日と同じ時間に帰宅。飯を食いつつ、なにがしかやる。疲れてるなぁ…まぁ、そのほとんどは昨日今日と走ったことの影響なので、健全だけど。 明日はJETSET忘年会。や、普通に居酒屋です。ちくと飲んできますかね。

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模様替え検討中。

デザインの外郭は出来てるんだけど… ウィンドウサイズの変化に上手く対応できなくて四苦八苦。 うーん…お蔵入りさせるにはかなり惜しい。 上手く出来たら、また公開します。

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8時40分起床。

昨日はなぜだか時間が経過してしまい、1時就寝。何してたんだろうなぁ…飯を食って、日記を書いて、かえしを作って、テレビを見て…あー、テレビがいかんのか。テレビ(民放ね)をよく見てた頃は全然気付かなかったけど、『テレビを見てる時間』って思いの外、長いよね。今僕の生活は、ほとんどテレビなんて見てないので、話題のお笑い芸人(=1年後にはほとんど消えてる人々)だって知らないし、知っててもほとんど文字情報だけだし。波田陽区だって実は声聞いたことないし。テレビを見てる時間を減らしたら、なんと暇なことか。その辺りも、1日を長く感じる要因のひとつかもしれないなぁ。 何はともあれ、今日は8時半にビシッと目が覚め、昨日からの筋肉痛を確認しつつ、それをほぐすためにもってんで走りに行く。大体5kmくらい。冷たい空気がすごい気持ち良い。帰ってきてシャワー浴びて、朝飯の用意(珈琲入れて、目玉焼き焼いて、トースト焼く)をして食って、一服して。ふう。さぁ、今日も頑張ろうかね。

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moblogが投稿できなくなってました…

moblogが投稿できなくて、 なんかおかしいな?と思ったら、 MTのインストール先を変えたせいでした。 とりあえず設定し直して…多分今は行けるはず。 ご迷惑を…お掛けしたかよくわかりませんが(苦笑) とりあえずご報告まで。 XML-RPC API の場所が変わってて、 上手く投稿プロセスが完了してなかったんですね…迂闊だった。

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6時半起床。

23時前就寝、6時半起床。目が覚めて、薄明るかったので時間を確認したら6時半。起きてもいいし、寝てもいいという微妙な時間帯だったけど、あんまり眠りに戻れる自信がなかったので、まぁ良いか、と起きる。久々に(1ヶ月ぶりくらい)走りに行き、帰ってきて、朝飯を食べ。蕎麦つゆ…ちょっと悪くなってた。うーむ。ちょうど使い切ったから良いけど。また最近、蕎麦熱が高まってきたので、蕎麦つゆを作っておくことにする。朝っぱらから、1リットル分くらいの出汁をとり、返しと合わせて煮立たせて…あ、返し使い切っちゃった。結構重宝してたんだけど…おでん煮込むときにも、醤油の代わりに使うと、辛みだけじゃなくてコクと甘みも追加できるんで結構使ってたのだが。仕方が無い、帰ってきたら作るか。 あーそうそう、あまりに朝早く起きて忘れそうだったけど今日も仕事です。朝一で何件か作業やっつけて、一息入れてまたやっつけます。ふぃー。

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フォントサイズを変更。

昨日のエントリで偉そうなことを書いたくせに、 昨日の今日で、MUTTERのフォントサイズを大きくしてみました。 見やすさを考えた…というのもあるんだけど、 どうも最近目が疲れてて、自分が見にくかった(苦笑) そういうわけで、その部分に関しては、訂正します。 現在は、試験的に、9ptということになってます。 line-heightは、1.4em。相対指定。 (line-heightは確かNN4でえらいことになるんだっけ…ま、いっか) 全体のバランスを見つつ、調整していく方向で。 【追記】 やはり…明るくわかりやすい、ってイメージに合わないわ。 確かに見やすくはなるけど。 というわけで、文字サイズは元通りのサイズに戻した上で、 若干、行間を空けることで多少見やすくする、と。 2つの中間のサイズがあれば良いんだけどねぇ…

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NOBODY:PLACEのアクセシビリティについて…

白いツバサさんのところで、 『英語多用&高度で一般人には入口を捜すのが大変ですよー』 というご指摘を受けたので、なんだかんだと言い訳してきてみたり。 以下抜粋。

こんにちは。 >ところで、isさんのblogは英語多用と高度に出来ているので一般人は入り口を探すのが大変ですよ。 そうですね。しかし、blogの概念には大きく外れますが、分かる人だけ分かればいい、というのがあのサイトのコンセプトです。既に膨大な数の文章が書き散らされているので、元々タイトルから希望の記事にたどり着くのはほとんど不可能ですし。サイトのどこかに書いてますが、あれはblogの管理システムを利用した、個人サイト、なんです。幸い、やたらと収集されてるようなので、検索でヒットしないコラムは誰も読みたがらない、と(笑)WEBデザイナーにはあるまじき設計理念ですが(苦笑)でも、やたらとバリアフリーなネットアクセスというのも、一概に良いとは思えない、というのが(あのサイトでの)考え方ですね。ビジネスサイトではないので、初めに分かりづらくても、2回目に来て分かれば、それは成功なんですよ。大仰なメニューは良く訪れる客には目障りに見えてしまうモノなんです。 まぁそんな感じで一応言い訳まで…(*ー)
いろいろと書いてるけど、早い話、 『わからなかったらわからなくて良いのです』 という、来てくれた人が呆れるくらい、いい加減なことを主張してる。 でもまぁ、本音だろうね… 書きながら、なんとなく京都っぽい考え方だな、とも思ったけど。 このサイト、絶対に、見やすくなんか無いってのは、僕も十分に分かってるんです。 文字サイズが10px(7.5pt)で絶対指定してる時点で、 来る客の半分は読む気を失う(笑) そして、検索で飛んできても、 どれがメニューやらわからん、ということで、アクセス的にも発展しない。 (MUTTERの個別記事には、他のエントリへのリンクすらありません) でも、僕はそれで良い、と思ってるんですよね。 ここを訪れる人には、明らかに複数の種類があって、 一つは、リアルの僕を知ってる人、または、古くから訪れてくれてる人。 もう一つは、たまたま検索でヒットして飛んできてくれる人。 前者の人は、記事の流れを読み、後者の人は、記事そのものを読むんだと思う。 経験上、後者の人は、その記事を読んだら、検索結果に戻るんではないかと。 僕個人に興味を持ってくれるなら、多少分かりづらくてもリンクを探してくれるはず。 目が不自由な人のことを考えていない点でも、 このサイトのアクセシビリティは0点です。 ビジネスサイトならば、絶対に書き換え指令が出る。いや、俺が出す(笑) でもねぇ…そこまでして、多くの人に受け入れてもらおうとは思ってない。 そういう0点のアクセシビリティにも、 僕の考え方があると思ってもらって良いんじゃないだろうか。 例えば、コメント、トラックバックのボタンにしても、CとTのちっちゃいボタンが下に付いてるだけで、 巷に溢れてるblogになれてる人にはわからないと思う。不親切きわまりない。 でもね、わかる人にはわかるんですよ、コレが。不思議と。 『取扱説明書』じゃないから、こういうことは1度分かれば2度目の説明はいらない。 2度目の訪問者には、わかりやすい説明と、大きなアイコン、この2つが無駄になる。 カテゴリーリストで表示したとき、タイトルしかでないのも同じ。 blogというのは便利なツールだけど、 その便利さ故に、時に、ページの中で何が重要かを埋没させてるんじゃないか? 文章に用事があるときに、横目にちらちら入るメニューは必要なのだろうか? コメントはこちら、リンクはこちら、そういう指示がいちいち必要なのかしら? 在る意味で、blogという形態をとりながら、blogというモノへのアンチテーゼでもあるんです。 もちろん、白いツバサさん管理人さんのように、 こちらのコメントを読んで訪れてくれた方が 『どこに行ったらいいかわからない』、と困っている… それを無視するほど冷たい人間じゃないつもりです。本当に申し訳なく思っています。 それでも、このサイトは、訪問者に注文を出すことはしないんです。 好きに、歩いてもらって構わないし、 腹を立てて出ていってもらっても僕は全然困らない。 そういう場所、です。 極めて自己称賛的に言えば、写真を撮ることと似ているかもしれない。 何か撮りたい対象物があるとき、あれもこれもと入れるのは、ただ、記念写真を作るばかり。 旅行先で建物の写真を撮るとき、人のバックに建物を置き、その全景を収めようとする、 必然、人は豆粒のようになり、分からなくなる。 『捨てる技術』なんて本が流行ったみたいですが(そして僕はモノを捨てられない人間ですが) 切ることで引き立たせることも、便利な世の中には必要な気がします。 千利休の朝顔のように。 最後に自省を込めて言えば、 このサイトよりわかりやすく、そしてこのサイトよりシンプルに出来ているサイトは 世の中にもっとずっとたくさんある。 blogを使ってもそうだし、そういうシステムにとらわれなくてもそう。 そんなサイトの哲学的な部分を学んでいければ、と思う。

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