記事から抜粋
休職したときは、元の会社に戻ることはまったく考えておらず、自分を苦しめてきた仕事、という印象でした。
元いた会社へ「出戻り」社員が語る、驚く”心の変化” 転職でも独立でもなく「復職」を選んだ理由とは | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン
ただ、改めてその場から離れてみると、気持ちが解放され、今までやりたかったことや、自分の将来について明るい気持ちを持てるようになってきました。
そこから、ふと、再び「テレビの制作がしたい」と思い始めたのです。忙しさによって忘れていた、自分が本当に制作でやりたかったことを思い出しました。
制作の渦中にいるときは、近視眼的で忙殺されてしまっていたのですが、こうやって離れてみると制作を通して社会の素晴らしい出来事を発信するという、大志があったことに気づきました。
そこから半年の休職を経て、元いた会社に復職し、今も働いています。
もちろん仕事は同じ状況なので、相変わらず忙しいようなのですが、今までのように近視眼的になりすぎず、大志に向かって働いているという実感が持てるようになってから、働くのが楽になったと言います。
僕の場合
2013年に体調を崩してそれまで勤めていた会社を退職して飲食業に転職しました。転職というと格好いいですが、要はバイトです。飲食業で5年ほど働いて、2017年にパートタイマーとして元の会社に復職しました。僕より優秀な人材が僕がいたポジションに在籍しており、彼の補佐という立場でした。で、その時に何を感じていたかというと、それまで感じていた責任感とか情熱とかそういうものは一切を2013年に置いてきたんだなということでした。
2013年までは頑張りすぎていた
零細企業であったこともあり、自分の領域外の部分でも気付いたことがあれば積極的に関わって、会社全体としての仕事のクオリティ(≒売上 or 利益)を高めるために一生懸命色んなことをやっていたつもりでした。色んな人と衝突することもありましたし、会社にとって重要な契約をまとめることもありましたし、社長を強い口調で糾弾することもありました。僕としては「僕」という存在で会社に貢献していると思っていたんですけど、そう自負していたつもりだったんですけど、最終的に評価として残ったのは自分の領域における実績だけでした。いやー、僕の存在意義ってもっといろいろあったと思うんですけど、誰にも認められなかったですね。実際いなくなっても大した影響はなかったんだろうなと思います。文字通り、そこまでやらなくても良いことまで背負い込んでたのかな。
やれることだけをやる
復職した以降は、パートタイムであることを理由に極力距離を取るようにしました。そこで見えてきたものは、まあなんというか、自分以外の人間が下手打って会社に損害が出ても僕の人生には影響がないということでしょうか。本業は飲食業ですし、バイトがなくなったら他のバイトを探せば良いし、知ったこっちゃない。自分の部署の仕事についても責任を取るのは上司であって僕はあくまで補佐、責任は取らない。そういったことに気付いて、「自分が出来ることだけを全力でやる、出来ないことはやらない」ということを徹底するようになりました。
出来ないことを出来るようにすることは尊いことだと思いますが、出来ることが疎かになったら意味がないです。復職当時の僕は都合の良いことに時間がとても限られていたので、出来ることだけに注力することが出来ていました。色んな仕事を経て人の意見を取り入れつつ自分の中で上手くバランスを取る方法を身につけていましたし、周りの、自分にとって必要な情報だけを取り入れて働くことが出来るようになりました。働いてるとね。雑音、多いですもんね。
無関係なことを全て無視してプログラミングだけに注力するようになってから、働くのが楽になりました。
記事の続き「スラッシュ型」
キャリアブレイクを経て、会社から一度離れてみて、自分のやりたいこと、やってみたいことが見つかった。ただ、それを職業にするには、心もとない。一方で、元いた会社では、生きがいとまではいかないが、自分の能力が活かせていることを再認識できた。
元いた会社へ「出戻り」社員が語る、驚く”心の変化” 転職でも独立でもなく「復職」を選んだ理由とは | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン
そんな人は、「職業/やりがい」のように、自分を心地よく保てるバランスにするためにスラッシュの状態で復職します。
あーまさしく僕もこんな感じ。僕みたいな感じの類型はスラッシュ型というんですね。
今現在は独立してフリーランス(実際には契約社員みたい感じだけど)でやっていてスラッシュ型ではありませんが、気持ちの置き所を他に用意しておくというのは、案外大事なことだよなと今も思います。仕事が大好きでノリノリでそれだけで良いっていうひともいるかと思いますけど、今自分がそうだからと言って自分がそういう人間であるかどうかはわからないですからね。
「自分がいても良い別の場所がある」ということだけは、意識のどこかに置いておくと、苦しいときの助けになることもあるかなと思います。