ちょっとした買い物をしてレジに並んだところ、僕の前に高齢の男性(以下じじい)が並んでおりました。購入しているのはアルコール類複数点。レジの担当はいかにも慣れていない新人っぽいおじさん。このスーパーはレジと精算機が別になっており、現金での支払いを希望する場合には購入者が自分で精算を行うシステムになっています(キャッシュレス決済の場合はそのままレジで精算)。最近では日本全国で見られるスタイルですよね。このスーパーでも何年か前に導入されました(「セミセルフレジ」っていうらしいです)。
じじいはそのシステムを知らないのか、知っていても自分で操作するのが面倒くさいのか、無言でしわくちゃの千円札を差し出しました。通常であれば精算機の使い方をレクチャーしてそちらで精算を行わせるのが業務フローであろうし、実際そういう案内を何度も見掛けてきましたが、新人のおじさんは震えるじじいの手に気圧されたのか、その札を受け取ってしまい、自分で精算機に回り込んで精算を行いレシートを渡す始末。何のための精算機なんだ。昼間の中途半端な時間でレジは1個しか開いてないのに。
別に特別急いでいるわけではなかったけれど、百歩譲ってじじいの精算を代わりにやったのは良いとしても、本来的ではない待たせ方をしたわけだから「お待たせしました」ぐらいあっても良いんじゃないのと思いつつ、この店は中高年のスタッフが入ったり出たりしがちで微妙なことが多いし新人特有の「速くレジを通さなければ」という焦りも感じたので特に文句を付けるでもなく淡々と決済して店をあとにしました。
多様性だと思うんですよね
で、店を出てからしばらく歩いて思ったんですけど、こういうアル中のじじいを「けしからん!」と糾弾するのはまあ簡単なことなんですよ。お前が昼間から飲んだくれてようと知ったこっちゃないけど、なるべく人に迷惑は掛けんなと。家に入ったら好きにしていいから、玄関出たらちょっとは周りに合わせとけと。そういうことを思わなくはないんだけど、でもなんつかなあ、社会の常識だとか普通の振る舞いだとかいうのは結局「平均値」なわけでしょう。実際には殆どの人はそういうのと違うし、殆どの人がそうあろうと努力して社会が成り立っているのだとしても、それから大きく外れてしまう人も出てくる。そういう人は一定割合で必ず存在するわけで、受け入れざるをえないんじゃないかなと。まあそういうこともあるよねと。仕方ないよねと。特別じじいに親切にする必要はないけれど、存在を排除する必要もない。明確に社会に害なす存在でない限り、そこに存在しても良いよと認める。そういうのが多様性を認めるってことなんだろうなと思いました。
正直言えばじじいには早く精算機の使い方を学んで欲しいけど、ま、仕方ねーな。そういうこともあるよ。