鏡で自分の顔を見てもそんなに「歳取ったなあ」という感じはないんですが、しかし日々生きていると歳を実感することはとてもたくさんあります。まずね、物覚えが悪くなりました。昔みたいに色んなことがスッと入ってこない。5桁の数字を見て、書き写すのに2回間違って見直したりとか普通にある。しなければいけないことを思いついて、「後でやろう」と思ってすんなり後でやれたためしがない。買い物リストを記憶するとかも無理。新しい技術にトライしてみてるけど開発してるときはかなりの頻度でドキュメント読んでます。覚えられない。
ついで、物忘れが多くなりました。芸能人にしても地名・店名にしても固有名詞が出てこない。あれなんだったっけ、えーとほら、顔白く塗って顎突き出すギャグやってた……みたいな。さすがに志村けんを忘れたことはありませんが。今まで普通にやっていたことをやり忘れたり、持って行くのを忘れたり、勘違いしたりそういうことが増えました。昔々のことは割と思い出せるけど、昨日とか先週とか先月とかもう全然思い出せません。これは昔からだけど僕、昨日の夕ご飯とかもあんまりはっきり覚えてないタイプで、それがさらにひどくなってる感じ。
もちろん体も動かないですねー。走っているから一定の持久力は保っているけれど、きちんとケアしないとすぐ怪我します。また変な使い方やいつもしていない使い方をするとすぐにどこか痛めます。肩が痛いとか背中が痛いとかしょっちゅうです。おかげでストレッチの時間が延びる延びる。ぎっくり腰は一度ひどく痛めて以来再発してませんが、それも2,3日ケアを怠ったら一発でやられる。それぐらいギリギリ。改めて生まれつきの体の硬さを実感します。ストレッチである程度柔らかく出来ると言っても、全身の筋肉をストレッチするのは無理だからなあ。
歳を取ったら……というよりもその時ベストなやり方でやる
「今までは出来たから今日も出来る」そう思いたいのはやまやまなんですが、実際問題として出来ません。頭の回転は確実に鈍くなっているし体も確実に動けなくなってきてる。歳取ったからという理由で思い通りに動けなくなるのは嫌だし、ランニングやストレッチは僕にとっては加齢に対する必死の抵抗でもあるわけですが、それもきっとどこかで諦めなければならないでしょう。厨房での僕の仕事は、技術が足りない分動きの多さと効率性で補うスタイルですが、体が動かなくなり頭の回転が鈍ったら出来ないスタイルでもあります。いつまでもそのままでは出来ないから、どこかで変えないといけない。
ポジティブとかネガティブとかではなく、フラットな気持ちで見て、歳取ったなあと思うわけです。今は思いついたことは何でもメモするし、特にすぐやらなくちゃいけないことは付箋に書いてモニタに貼るようになりました。スマホのメモ欄に書いたり、自分宛にメールしたりもします。今までやっていたプロセスを文字に起こして抜けがないか確認することも必要だし、それらを定期的に整理するようにすることを忘れないようにする……のは無理なので、曜日と紐付けた習慣にするか、リマインダするか。
周りが見えなくなってくるので意識的に首を振るようにしているし、横柄な心理になることがあるので戒めて感謝で返すようにしているし(出来ているかはともかく)、自信の有無とは別に常に謙虚な気持ちでいるように努力しているし、見た目がおっさんになるのはある程度仕方が無いけどやることまでダメな感じにならないように、その時の自分に合ったやり方に変える。じいちゃんがリモコンの裏にビデオの録画方法を書いて貼り付けたりとかしてたけど、そういうの、必要になるんですよね。正直抵抗もあるけど仕方ない。まだ若いっつってもいつまでも若いわけじゃないからなあ。
歳取ったから今までやってたことが出来なくなった、そうではなくて、歳を取って今までのやり方で上手く出来なくなったけど、それでも結果が大きく変わらないように最適なやり方を考えて実行に移していく、そういう気持ちが大事なのかなと思っています。もっと歳取ったらみんな否応なくやらざるを得なくなるんでしょうけど、そこまで行ってない年齢であっても、最適化を考えるのは大事だなって。頭使って工夫してけば、なんとかなるもんだよ。逆説的な言い方だけどさ、まだ若いんだし。