【今日のニュースから】町家を保存するのはもう限界

最古級京町家消失「京都市に失望」元所有者自ら選んだ解体の道 : 京都新聞

市は、条例で町家を解体する場合は1年前までに所有者が市に届け出ることを今年5月から義務付けた。義務化と同時期に運用を始めたマッチング制度を組み合わせ、保全を図る構えだ。マッチングでは、市に登録した不動産や建築などの団体が、所有者らに利用希望者や活用案を紹介し、売却や賃貸を促す。条例の義務化前に開発計画が動き出した川井家住宅は適用外だったが、貴重さを鑑みてマッチングを試行し解体を防ごうとした。

 業者側は市との協議に応じ、建物解体を遅らせた。「条件次第で別業者への売却も検討した」という。市の仲介で10社ほどが関心を示したものの、現地見学に来たのは、わずか数社だった。住宅のほか宿泊施設への転用を検討したとみられるが、転売は成立しなかった。そこで当初のマンション計画との両立に向け、マンション玄関部などにして残し、現地保存する代わりに市の高さ規制を緩和したり、市による移築を求めたりしたが、市は高さ規制の特例緩和や未指定文化財への公金支出は難しいとして、応じなかった。

 業者は「文化財に指定されていない点を確認し、一般家屋と同様の私有財産として購入した。工期を遅らせて協議したが、その間の税金や金利負担が軽減されることもなく、市への提案も断られた。これ以上の対応は難しかった」とする。




少し前のニュースですが、これを読んで思うことがあったので少し。


京都新聞は基本的に行政に対して批判的なスタンスなので、全体的な論調としては「京都市が原理原則にこだわったおかげで貴重な町家が保存できなかった」と言うニュアンスになっているけれど、京都の「まちなか」に10年以上住んで感じていることは、本当の意味で町家を保存しようなんて誰も思っていないということ。そこに住んでいる京都市民は皆、町家に対する思い入れや愛着はあるものの、現実的には狭くて住みづらくて使いづらい町家なんか取り壊して、新しくて便利で住みやすい家を建てたいと思っています。京都市の援助が少ないとかそういうことじゃなくてね、そもそも町家に対する市民のスタンスが保存になくて、京都市の姿勢は保存に対する援助というよりは特定地域での町家の取り壊しを規制すると考える方が実感として正しいです。

そんなバカなと思うかも知れないけど、でももう仕方ないですよ。町家って風情以外に取り柄が無いんですもん。スキマだらけで気密性ゼロの空間、ふすま、底冷えする土間、細くて詰まりやすい下水管、バリアフリーにはほど遠い上がり、狭くて急な階段、低い天井。専門書も読み一通り勉強したので、町家に素晴らしい点がたくさんあることは知ってます。でも現実的にその改装は出来ないんですよ。改装するより建てた方が安いんですから。

現在「京町家」と言われている建物の多くは、明治から昭和初期に建てられた木造建築のことです。様式としてはそれ以前から引き継がれたものもあったのかもしれませんが、現存しているものはその程度、古くても築100年程度。そしてその工法は現代には引き継がれていません。京都市民は、戦後新しく家を建てるときに在来工法は捨ててしまったんですよね。在来工法を改良して現代の暮らしに合わせてアップデートするということせずに、現代工法で現代風の家を建てることを選択しました。善し悪しはともかく、とても合理的な判断だと思うし、とても京都人らしいと思います。京都というのはそういう街なんですよ。決して古いものを抱えて暮らしていくような街じゃないし、常に新しいものを取り入れていく街であり、それと古いものが共存していることに価値があるんです。

もし今後、町家を保存できるようになるとしたら、それはお役所に援助金を期待するのではなくて、市民自ら身銭を切って残すと言う決断をしたときだと思います。新築の何割かに在来工法もしくはそれに則った設計が必要とかね。以前住んでいたマンションの近くに、町家を一旦バラしてから町家を建て直した家があって、基本設計は町家ながら作りは現代風になっていてとても素敵でしたが、そういう選択をどれだけのひとができるか。市民の主体的な活動があり、それに対して行政が金を出すと言うのであれば、健全な形で保存が出来るでしょう。でも今は無理。町家の印象を使って商売をしようとする人以外は、町家の保存に興味が無いですから。

町家が大好きな自分にとってはとても寂しいことですけど、でも、それも京都であると思います。「京都という街の意志」がそれを選ぶなら仕方がない。その時は、未来の京都を描ければ良いんじゃないか、そう思います。


そういう意味では

三条柳馬場下がるに「イッセイミヤケ」が出来て、町家をものすごく綺麗に改装してくれたときはほんとに嬉しかったですよ。奥の土蔵まで綺麗にして展示に使ったりして。店に入ったことはありませんが、格子戸から中の様子を覗いては、素敵だなあといつも思っています。

住居ではなく、こういう形で残すしかないのかと思うとやっぱり少し寂しいですけどね。