【京都マラソン】 自分との対話がほんと好き

京都マラソン 2016
というわけで、いよいよ明日です。



話してて思い出したんですけど、フィジカルな意味で「自分がどうなるかわからない」ということに挑戦するのってものすごい久しぶりなんですよね。ちょうど15年くらい前かな、自転車でよく旅行に出掛けていた頃は、毎回「行けるかどうかわからない」けど「まあやってみよう」という感じの計画を立て、計画通りに行くことも計画が破綻してしまうこともよくあって、でも道中では、上手く行っても行かなくても「行けるか?行けないか?」という対話を自分の体としていました。ゴールして飲むビールは素晴らしく美味しいけれど、それよりずっと、道中のそういう自分とのやりとりこそが楽しいし、後にずっと残る。

自転車を手放してしまってからずっとそういう経験とは無縁でいたけれど、明日はたぶん久しぶりにそういう対話を、5時間に渡ってすることになるでしょう。目標タイムは4時間半だけど、5時間前後でゴール出来れば合格、というか完走できればOKというくらいの気持ちなので、逆に「もう少しペース上げられるか?歩かなくて大丈夫か?」みたいなやりとりをずーーーっとしていくんだろうなあと思うわけです。もし目標がタイムだったら、行けるか行けないかの判断は、目標にしがみつくか諦めるかの判断になってしまうけれど、今回はもっと緩いし関門に引っかからない限りは選択肢がたくさんある。そういう意味で、めちゃくちゃきついだろうけど、膝とか腰とかある程度痛めるだろうけど、でもすんげー楽しいだろうなあと楽しみなんです。個人競技をしているときの、自分との対話がほんとに好き。

一応、iPodとイヤフォンも持っていく予定で、それを耳に突っ込めば確かに自分だけの世界に入ることは出来るけれど、でもせっかくのレースなので出来る限り「音」を聞きながら走りたい。だからきっと、周りの声を耳に入れながらそれと自分と自分の体とで話合いながら、5時間くらい走ることになるんじゃないかなあ。いや最後の方は周りの声を聞く余裕すらないかも知れないし、考えるだけでしんどいけど、考えるだけで楽しそう。最後まで大きな故障なく走り切れればいいな。


行ってきます。