自分の身の丈を知りそれを受け入れる

山本一郎さんの有料メールマガジンを購読しています。

その最新号の一問一答の中で「文章を書く極意は何かありますか」という質問に対し、「自分に恥じない文章を書く」という答えがありまして、まあ有料メールマガジンなので答えの具体的な内容は掲載しないにしても、自分がすべきことをする、自分が出来ることをする、自分の身の丈を知りそれを受け入れて全力を尽くす、そういったことは、文章を書くということだけでなく生きていく上でとても大事なことだなあと改めて思いました。


まあ、ある程度安定して一生懸命働いている人たちは、だいたいみんなそうやって生きているので、改めて「こうなんだ」って書くことではないかも知れませんけれど、でもそれはすぐに獲得出来る考え方ではないし、気付いて感じてそう考えていく以外に身につく方法はなく、そのあたりを若者に語ってもだいたい解ってもらえない&解ってもらえるのは10年後みたいな話ではあります。

毎日20歳前後の若者と一緒に働いていて、仕事の話もプライベートな話も将来の話もいろいろしている中で、「それはこうだよ」と思うことはたくさんあるのですけど、そのほとんどはやはり自分で気付いて考えて獲得していくことでしか身につけることが出来ないことなので、まああんまりそういう話はしません。18歳年上の人に言われてもうざいだけだしなあ。


ただ山本一郎さんの答えのように、回答そのものではなくて、考えるきっかけとなるような言葉なら届くかも知れないと思って、何かを言うことはあります。そういえば自分も20歳の頃そんなこと考えたっけなあと思いながら。でも、僕はその若者の人生を生きたことがあるわけではないし、一般論として「人生の先輩」という言い方はあるにしても、その若者の人生にとっての先輩では全くないわけで、強くは言いません。

そういうことは、外からの刺激を受けつつ自分との対話を繰り返す中で人それぞれがつかんでいくことだと思うのです。「自分探しの旅」に出るのもそれはそれで素晴らしいことだと思うのですけど(羨ましい)、でも「自分」は「日常」の中に十分すぎるほど存在しているので、そこから拾い上げてみて始めて、等身大の自分が見えるんじゃないのかなと。


まあ、僕の場合はそうでした、という話でしかありませんけれども。