- 誰かの自由は、誰かの自由を侵すもの。
- 自分に自由があるなら、相手にも自由はある。
中学生のときに僕らが口にしていた「自由」が、どこまで「自由」を理解していたのかは、今となってはわからないけれど、「自由」ってのはそういうもんだろうなと思う。誰かの「自由」は、誰かの「自由」を奪って成立している。その事実に目を向けないのは、それもまた「自由」だけれど、それが本意なのでは無いとしたら考える価値はあるんじゃないのかと今の僕は思う。
むしろ出来ないからこそ、声高に主張するのかも知れない。すごいかっこいい。僕だってそうやって生きていきたい。でも「自由」を本当に実現するには、すべてを捨てて誰も来ない山に籠もるか、社会を全く意識せずに生きるしかない。でもたぶん、僕には出来ない。金もないし、まだ山に籠もる方が可能性はあるか。
僕はロックスターではないから、「自由」を口にするのに臆病になってしまう。他人の「自由」を侵してまで自らの「自由」を通そうとは思わない。法律を破る「自由」は求めない。責任は持ちたい。僕は「自由」を求めているけれど、「自由」ではない。すべてのやつらが「自由」を手に入れるのは不可能だと思っている。
「自由」を声高に主張していた中学生のとき、僕らは僕らですべてだったけれど、今の僕の目には、親や教師も見えてしまう。たかが中学生の服装に文句を付けてくる社会なんかくそったれだと思ったとしても、それを受け止めて代わりに頭を下げてくれる教師を無視することは出来ないし、それを踏み台にして手にする僕の「自由」は果たして「自由」だろうか。
僕にはずっと口に出来ない。だから僕はこの曲が好きなんだろうと思うけれど、僕の望む「自由」は中途半端でまったく「自由」じゃない。僕にはその程度の器しかない。でもまあ、そんなもんだろうとも思っている。